東シナ海流79 出入り禁止になった野人 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

種子島は市だが屋久島は町、人口は2万人、ついでに猿2万、鹿2万、山の客2万、釣り客2万と言われていた。

鹿や海山はともかく、人と類人猿合わせて4万ビックリマークと言えば市に昇進出来たかもしれない。

 

平野が少なく山からいきなり海の周囲に集落が分散、飲食店もまばらで、宮之浦に焼き肉屋は1件あったが、鮎同様に屋久島では元々牛肉を食べる習慣もなく豚肉しかなかった。

賄い食ばかりで外食に飢えたヤマハ関係者達が押しかけ、「豚肉ばかりこんなに食えるか・・汗」と文句を言うものだから、やがて牛肉を仕入れて出すようになった。

 

これと言った娯楽施設のない屋久島には小さなパチンコ屋が一軒あった。

船の出航がない日の野人は、時々このパチンコ屋に出かけていた。

タイムカードなど入社以来打ったこともなく、出勤と休日の境界もなく、毎日が休みで仕事のようなもの、そのけじめがつけられるほど器用でもない。

 

島の周回道路は海岸線に一本しかなく大半は非舗装の砂利道、高い山越えなど出来ないからわかりやすく道に迷うことがない。

パチンコ屋に向かう途中対向車がクラクションを鳴らし横に停車した。

ドライバーは宿泊施設の副支配人で助手席には浜松ヤマハ本社の伊藤常務が乗車、空港まで迎えに行って帰る途中だった。

 

常務が言った。

 

「おい 何処行くんじゃ」

 

「パチンコ屋・・」

 

「なんじゃ 今日は休みかはてなマーク

 

「いや・・ そうじゃなく ヒマだし・・」

 

「まあいい 終わったら話があるから待っとる」

 

「待っとる」・・の、お墨付きを得て時間を気にせずパチンコ一直線。

常務はどうせ泊まりなのだから話は夜でも問題ない。

打ち止め終了まで3時間もあれば十分。

 

パチンコで負けることなど考えられず、勝って当たり前だった。

大学生の時はアルバイトの度にクビになり、3回繰り返せば誰でも普通の仕事は無理だと悟る。

そこで重宝したのが時間自由なアルバイト・パチンコだった。

好きでやったわけではない。

 

ガラスの中にはタマとクギと風車と穴しかなく、天井に溜まって降りて来る玉を観察していれば、パチンコの仕組みがよくわかる。 玉の流れる道がわかれば穴に入る道理もわかり、負けることはない。

専属の釘師がいくら釘を調整しようが一瞬で見破り、出ない台は打たなかった。

 

多くの友人達がパチンコに熱中したが、勝ち越した男は一人もいなかった。

全員数学物理だらけの理工系だが、視点・思考回路の違いを教えてもピンと来なかったのだろう。

全勝と負け越し・・大きな違いだが。

 

貨物にマグロの水揚げ、港湾で栄える静岡県清水市にはパチンコ屋が無数にあり、その7店舗を縄張りにして地味に巡回、卒業まで毎月6万を目安に稼いでいた。

空手の合宿がある春と夏は費用を入れてそれぞれ10万円稼いだがその気になればもっといける。

これはヤマハ入社時の基本給9万円よりも多い。

 

当時の仕送りの平均は3万円だったから、裕福で毎月数回の寿司屋通い。 実家からの仕送りも必要なかった。

高校は潜水漁労で大金、大学はパチンコで大金、間違いなく芸は身を助ける。高校大学の7年間、小遣いもらわず毎月カウンターで寿司を食べ続けたのだから。

 

市内の7店舗でローテーションを組んだ理由は当時の張り紙だった。

入り口には・・「パチプロ セミプロ お断りビックリマーク

まあ、勝ち続ければ店が困るから来るな・・と言うことだな。

野人はひたすら目立たず、負けることなく全勝を続けたが屋久島では困った。

 

パチンコ屋が一軒しかない 汗 ・・からだ。

 

目立たないようにたまに行っていたのだが、いつ行っても客が20人程度。 これでは10連勝もすれば顔を覚えられる。

 

30分もしないうちに終了の札を持ってきた店長が言った。

 

「頼むから もう来んといてくれ

 

学生の時と違い裕福でアルバイトでもないし、迷惑かけて嫌われてまでやっても仕方がない。

 

会社施設へ戻ると伊藤常務が言った。

 

「早かったのう もう打ち止めかはてなマーク

 

「いや 一度も負けんので 出入り禁止に・・」

 

「うん わかるわ その気持ち」

 

「わかりますか・・ 嫌われた俺の気持ち」

 

「お前じゃねえ パチンコ屋の気持ちじゃいビックリマーク

 

それから部屋で二人の密談が続いたが、思ったより重要な話で深夜まで続いた。

それにもかかわらず、勤務中にパチンコに行って待たせた野人を、怒らず、急がせず、待っていたこのお方・・

 

太っ腹だなグラサン  やりたい放題だがクビにならない・・

 

 

余談

このような会話は、常務が社長になってから退任する・・野人42歳の時まで続いた。

10年前に亡くなったが、遺言で 亡くなった後も中途退社した野人の会社の株主になっていた。

 

伊藤常務と野人

 

 

 

 

 

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