常識という保証書 2 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

 

 

常識と言う保証書は保証書になっているのか。

半世紀前と比べて今では疑問を持っている人は多い。

 

動物は言葉ではなく自らの体験で学び、自力で生きることが課せられている。

人間の学びの基盤は確立された学問であり、手法は言葉だ。

そうやって幼少から、先生や本やメディアなどから学び続けた。

 

説が入り乱れ、選択は自由だが、どの説を選ぼうが他力には違いない。

懸命に本を読み勉強する人ほど自力とはかけ離れていくことに気付いていない。

 

文明を代表する学問は科学であり、発見、創意工夫を繰り返すことで便利な現状を築いた。

困難だったことが次々に容易になり、間違いの習性も簡単、電気機械工学の分野は追い付かない程のスピードで答えを出し続けている。

 

生命の分野はどうなっているのか、それに並行して答を出し続けているのか。

そうではなく修正も出来ず答も出せないままだ。

病不調などの他、環境、農業なども行き詰まり崩壊寸前。

この極端な差はいったい何が原因なのかを考えるとよい。

 

生命の分野でも医学がもたらした結果は極端に分かれている。

人類の危機とも言える伝染病・感染症対策は完全な結果を出し、病不調はまったく歯が立たない。

応急処置や延命は出来ても自己が原因の病の完治は出来ない。

結果で判断すれば前者の方向は間違っておらず、後者は間違っていると言うことになる。

 

まったく完全な結果が出ないから、人々は何とかしようと奔走する。

常識や説がアテにならないから模索を続ける。

方向は間違いではないが、手法は間違っている。

 

自力のつもりでも、現状の書籍・資料・見聞きなどで答えを出そうとすれば、学び方は依然と同じであり他力を頼ることには違いない。

そこに完全な答えがないのはわかっているはず。

 

自力で考え答を出すということはどのようなことなのか。

 

病不調の原因は食べ物にあることは間違いない常識。

そこから先は手法が入り乱れ戦国時代のようなもの。

 

医学も健康学も栄養学も歯が立たず、健康食品のCMに登場する医師・専門学者は多数。

ケールに青麦にイタドリにシジミの殻・・成分・栄養分のデパート。

あれがよい、これがよいと言ってもさっぱり理由が理解出来ない。

 

「その成分が足りなかったから発症した」わけではないのだから主因とは関係がなく、主因を除かない限り完治は不可能。

成分重視の薬品や漢方薬の思考とまったく変わらず、化学肥料も有機肥料も目的は同じで成分の違いしかない。

 

医学で完治出来ず、健康食品など他の方法でも完治出来なければ、完治出来る説も理論も存在しないと言うことであり、完全な結果が出るものがあれば既に世界に波及している。

 

続く・・

 

 

 

 

 

 

 

 

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