努力とは何か 何の為の努力か 2 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

 

 

一般的には事を成すにおいて努力が先に立ち、手段はそれぞれが思う方向で・・と、二の次になっている。

努力の中から手段や技を見出すと言うことだろうな。

「苦節何年・・」と言うのがそれにあたる。

一生懸命、真面目に、挫折を乗り越えて・・などがそれに続く。

 

皆が思うような手段で努力して結果を出せた人は賞賛され、結果は出せても考えられない非常識な手段であれば変人扱いされ、奇跡、驚異的、偶然などの言葉が加算され、さほど褒められることはない。

スポーツに限らず、汗水流すのを本能で避けてきた野人もその部類に入る。

 

人類全員が常識人なら文明の進化は止まる。

最初は、変人、バカ呼ばわりされながら1%の可能性をこじ開け、誰が考えても不可能の壁を超えた人間がいたから文明は栄え、多くはその恩恵を被っているのでは。

それは物作りの世界も技作りも同じ。

長年、走行途中の飲水が厳禁だったマラソンも今は補水が常識だ。

 

人類が今普通に暮らしの中でしていることは、最初にそれをやった人がいたからであり、その手法は伝承され時代と共に移り変わる。

さらに便利になるものもあれば、間違いで完全に消えるものもあり、間違いを修正したものもある。

 

そのうちに熱中症を招く帽子やヘアスタイルの常識も、健康だけでなく体臭口臭便秘の常識も変わるだろう。

 

野人は半世紀以上かけてそれらを正常に戻す膨大な野人理論を創り上げた。

その中の半分に当たる生命に関する理論、協生理論、体調復元理論、協生農法理論をまとめ、さらに進化させるのに相当な年数と知力体力を費やして来たが、努力をしたと思ってはいない。

この程度の「費やし」は皆がやっていることだ。

 

努力とは正反対、大半はテレビ映画見ながら、お笑いを入れながら、飲み食いしながら書き上げた。

理論は膨大だが単純なのだから難しく考えることもなく、この程度が適当で丁度良いのだ。

力んで気合や思いが入れば本質を見失う。

根拠のない余計なものを捨て去れば真相が見えて来る。

 

理論と言っても既に存在する森羅万象の「当たり前」の道理を説いたのであり、新たな発見とも思っていない。

これまで誰も気付かなかったのが不可解で、理論と言うのも恥ずかしいと思っているくらいだ。

 

気付かなかった原因は、「学び方を間違えた」からであり、それがさらなる学問の間違いを招き入れ、身動きがとれない状況に陥ったのが現状。

場合によっては、努力や真面目、前向きや常識、それら道理とは関係がないものが頭を固くして真相解明の足を引っ張ったのかもしれんな。

 

努力とは何か、人に教わるのではなくあらためて考えるきっかけになればよい。

 

 

努力に関してよく似た考えのお方がいるので紹介する。

三冠王の記録を持つ優れた野球選手だった落合監督・・

球界の異端児でもあったが結果を残した。

大リーグの大谷選手もまた世界中が信じられない結果を残し、野球を楽しみながら新たな道を切り開こうとしている。

どちらも結果が出なければ我儘で不真面目で非常識な異端児として表に出ることはなかった。

 

落合語録

挫折なんてことを考えたこともない

努力や練習が大嫌い

嫌いと、やるかやらないかは別次元のこと

嫌いっていうけど、練習しますか、しませんかといえば多少はします、ゲームで体が動かせる程度の練習は

ゲームに入って行くための体づくりの練習をやればいい

それをみんな間違えている、日本人の悪いクセで。

これだけやって負けたら仕方ないというあきらめというのかな、予防線というのかな、張りたがるんじゃない。けど、負けたら終り。

 

大事なバッティングのコツを何で教えるのかっていわれる。

教えたってこいつには絶対負けないだろうと思うから教える。

でも、どれだけ教えたって、やっぱり先生が一番強いよ。元祖がね。

独自でやらなかったら先生を越すことは絶対に出来ない

オレが教えるってことは、そのことによってまた、オレが勉強していることでもあるんだから。オレなりにまた新しいものを発見していくんだから

 

 

彼は猛烈な練習や努力ではなく理性で技を磨き続けた。

現実の出来事はすべて物理であり、どうすれば球を捉え、遠くに飛ばせるのかを考え続けて答えを見つけた。

監督業ではどうすれば長期に及ぶ集団戦に勝てるのか、兵法を考え続けた。

これも努力に入るのだろうが当人はそうは思わず、努力したから結果が出せたのではなく道理が間違っていなかったからだ。

 

このような思考回路を持つ人は常にその思考が進化し続けているのであり、終わりはないということだな。 実践と共に進化を続ける。

だから個人技術を磨く選手としても、長期集団戦略を練る監督としても、他と異なる方法でずば抜けた結果を残せた。

 

その技を惜しげもなく人に教え続けたのは、師を超えることは出来ないと確信を持っているからであり、その道理は・・

独自でやらなかったら先生を超えることは絶対に出来ない」

独自とは独創・オリジナルのことであり、いくら改良しようが、自分で無から有を、新たな理論と技を生み出さない限り不可能と言っている。

 

野人もまた完成した理論・技はすべてブログで公開、講習会で読者の皆さんに細かく教え、報告を聞くことで理論はさらに進化、共に歩むことで新たな理論が生まれ、課題も広がる。

 

協生理論とは、太古から続く生命の仕組みなのだから隠すものでもなく、権利を主張するものでもなく、波及が目的なのだから自由に使いこなして、体調復元・農法に限らず、事業ではなく個々の暮らしに役立てていただければよい。

関係者皆の迷惑にならない使い方であれば問題はない。

何が迷惑になるのか、危険なのか、あやふやなら野人に問い合わせればよい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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