体感判断の大きな盲点 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

 

 

 

「とにかくやって見よう」は思考の墓場と言い続けたが、その理由とは。

一般的には前向きな行動とされているが、場合によってはそうなるだろう。

 

場合とは、思考が行き詰まり万策尽きた時だ。

よく似たものに戦場で使われる「背水の陣」がある。

逃げる道を断って前に進む決意をした時だ。

これは死を覚悟した悲壮感が漂うが、何が何でもやり遂げる意思と知恵が漲る。

 

日常はこの場合と違い悲壮感もなく安易に考え、駄目ならまた考えればよいという余裕が出る。

他愛ないものならそれでも良いのだが、「とにかくやってみよう」の欠点とも言える盲点は、一事が万事、その思考が身に付くことだ。

 

重大な局面でその思考が出れば命まで失うことになりかねない。

野人は極限の地でそうして命を失った友人知人を見て来た。

幾ら警告しても最後に判断するのは本人であり、どうにもならない。

 

「とにかくやってみよう」は「精一杯考えてやってみよう」ではなく、思考を放棄する安易な手段として用いられることが多過ぎる。

「くよくよ悩み考える前にやってみなさい」も同じだ。

野人から見れば、まあ人知を持つ者としては最悪だろう。

何も考えずに手間と費用をかけて家を建てても、船を作っても崩壊、沈没するのと同じ。

 

この思考が定着すると面倒なことは考えなくなる。

それが悪いことではなく良いこととして持ち上げられているのだから。

 

「悩み考え駄目なら、とにかくやってみるしかない、最後の手段として」

これが人間としては正しい用い方だろう。

 

ただしその場合は当然リスクを伴う

場合によっては修正不能、取り返しのつかないことにもなる。

このような結果になることも承知でやればよいのだ。

 

現状を打破、切り抜け、答えを出す思考が磨かれず、さらに思考が鈍ることにもなる。

現実の問題の解決は物理であり、感性、努力、根性、自己暗示・啓蒙などは関係がない。

 

はじめから感性で現実問題を判断するのもこれと同じであり、「とにかくやってみよう」と大差ない。

健康食品が効くか効かないか、「とにかく試してみよう」と同じ、結果だけで判断しようとしている。

これは薬が効くか効かないかと同じであり、薬は効いても本来の健康とは何ら関係がない。

本来の健康を目指すなら、的外れでまわり道になるだろう。

 

効く」からと、健康食品や他のものに頼るのは薬に頼るのと変わりない。

現状は多くの人がそうではなかろうか。

成分重視の健康食品は成分で出来た薬と変わらず、副作用があるかないか程度だ。

そんな食品に頼るより、日常食品を正常にすればよく、何が正常かも判断次第。

 

風邪を引けば風邪薬などの対処が当たり前の時代になってしまった。

これでは何故人間だけが「よく風邪をひく」のか、「水虫になるのか」、「体が汗臭いのか」、その理由には行き着かず、永久にわからないだろう。

 

「健康食品・薬」、つまり「それが足りなかった」から不調になったのかを考えれば不調の「原因」とは関係ないことがわかる。

同様に「風邪薬が足りなかったから風邪をひく」、この道理が成り立つはずもない。

関係がないもので穴埋めしようとしても埋まるはずがなく、不調の原因は続く。

 

体感も、「とにかくやってみよう」の考え方・手法も、判断の手法の一部であり、問題の解決法ではない。

よく「体の声を聞く」と言う言葉も耳にするが、聞いたことないからわからないし、聞こえたとしても参考程度で物理的判断の指標にはならない。

道理が明確完全な結果が出るもの、それが間違いない方法と言える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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