健康を目指しても健康になれないのは何故か。
古来より世界中の人々が健康になろうと研究努力を続けているが、目的は果たせず、むしろ悪化するばかりだ。
食べ物に注意を払い体に良いもの悪いものを選別、生活習慣を見直し、毎日適度な運動を続けても他と大差なく、同じように癌や様々な病不調に苦しんでいる。
それでも続けるのは「他にこれしかない」という理由からだ。
野人理論では、現状では健康を目指しても健康になれる道理はない。
5日前にベクトルの記事を書いたが、これはその続きだ。
最も古いベクトル記事はブログを始めて1年半経った2009年の8月。
そこにこの「健康を目指して健康になれない理由」が書いてあり、5日前の記事にも貼り付けている。
数人は見ているようだがあらためて紹介する。
「野人の思考回路ベクトル」と「野人の思考回路ベクトルⅡ・ベクトルの応用」を、それぞれ修正・リニュアルしてわかりやすくまとめた。
「健康」を例に挙げるなら、一般的には健康を目指して努力する。
その時のベクトルの基点は、健康を害したか、もしくは害したくないと言う位置だろう。
つまり、病気になったか、なる前の予防だ。
その位置から健康を目指して思考が始まる。
野人の思考におけるベクトルはまったく逆だ。
健康を願って、現在地から健康に向かってベクトルを伸ばす事などない。
野人には健康と言う定義などはなく、生きていく上で当たり前のことなのだ。
自然と言うものが当たり前のように健康も当たり前、だから思考ベクトルは健康に向かわない。
あえてそれを望むならそんな言葉は通り越し、人類の歴史、生命の成り立ち、地球の歴史まで遡る。
そこを基点に思考ベクトルは始まり目的地は現代だ。
途中「健康」などと言う停車駅もない。
そうすれば何処が生命の理に適っていないか、何処で間違いを犯したかすぐにわかる。
自然界、生命の道理を知らずして、病気から健康に戻れるはずもない。
どうやって治すか、何がそれに効くのかなどの対症・対処ではなく、何を間違えたかが重要なのだ。
それを調べるには、人類の食の歴史を起源から現在に至るまでたどるしかなく簡単なことだ。
人は「健康」という各自のイメージを目的地に思考ベクトルを伸ばす。
イメージには物理的な道理などなく人間が作った言葉の城に過ぎない。
だから明確な答えが得られることがない。
懸命に心身を管理し、食に注意を払っても同じように病気になる。
健康とは目的地ではなく生き物の本来の姿だ。
だから本来の姿を徹底して学べば良い。
生き物本来の姿、物理的仕組みを示す学問も本も世界にはないのだから自ら考えるしかない。
それらの学問がないから現状を招いたと考えれば良い。
人や本から学ぶのが当然のように思われているが他力本願に変わりない。判断出来ない丸覚えは役に立たない。
間違えればリスクを伴うのは当然だろう。
学びとは、本来は自分で考え答を出すものだ。
野人の思考回路 ベクトル
https://ameblo.jp/muu8/entry-10316861983.html
野人の思考回路 ベクトルⅡ ベクトルの応用
https://ameblo.jp/muu8/entry-10317119508.html
お腹がベクトルな 長~~い旅は続く・・
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