前回、健康とは実体のない当たり前のことで、当たり前の状態の維持には森羅万象の仕組みがあることを述べた。
人は「健康」という各自のイメージを目的地に思考ベクトルを伸ばす。
イメージには物理的な道理などなく言葉の城に過ぎない。 だから明確な答えが得られることがない。
懸命に心身を管理し、食に注意を払っても同じように病気になる。
健康とは目的地ではなく生き物の本来の姿だ。
だから本来の姿を徹底して学べば良い。
健康は医者や厚生省の領域ではなく、当たり前に暮らせば得られる当たり前の状態のことなのだ。
それが得られないのは当たり前ではないという明確な答えが出ている。 当たり前だと思っている現在の常識を見直したほうが良い。
小さい頃からの習慣もあるだろうが、それが必ずしも当たり前だとは言えない。
賛否はともかく生命の歴史を遡って自らの頭で考えるべきだろう。そしてあらためて判断を下せば済む。
洗剤を使う入浴、歯磨きなどの習慣もそうだが、生命の本質からはかけ離れた状況にある。
陸上のすべての生命は例外なく脂膜と微生物に守られ当たり前の状態を保っている。
だから鳥は空を飛べ、動物は病気から守られ凍死することもない。 人間はどうなのか考えて見ると良い。
全ての生き物は洗剤で脂膜と微生物を殺せば生きて行けない。
風邪、感染症、ニキビ水虫などの皮膚病、シミ、体臭口臭、抜け毛・・ 有害な紫外線から体を守る仕組みも完璧なのだが人は頭を悩ませている。
健康と同じように「野菜」と言う言葉も独り歩きしている。
人がそのイメージを作り上げ、健康の象徴に無農薬有機野菜などが注目されている。
それらは化学肥料や農薬を避けようとする思いからだろうが野人の思考ベクトルからは外れている。
だからどちらもまったく気にせずたまに食べている。
食性に合わない野菜を大量に食べた人類の歴史などない。
生命の起源から学べば、動物にとって本来必要な食べ物は何かと言うことになる。
そうやって消去して行けば最も必要な食べ物は野生本来の肉と果肉に行き着く。
人は雑食性で何を食べようが問題はないが、肉と果物の本質だけでなく、今の野菜が植物の本質を保っているかどうかだけ判断すれば良い。
野生と養殖の、環境と生い立ちの違いを知ることだけでも事は足りる。
それを野生に戻すのが健康への一番の近道だろう。
健康の常識としての野菜は人間の食の本質からはあまりにもかけ離れている。
肉や果肉と違って消化出来ず、毒とアクで武装した野生植物の葉や根は人が毒とアクを抜いて品種改良しなければ食べられない。
野山の葉を片っ端から食べれば誰でもわかる。
つまり食べた歴史はなく、長年心身を育んで来た食べ物ではない。 それが野人が出した答えだ。
狂信的に野菜ばかり食べる必要もなく適当で良い。
毎日ふんだんに野菜が食べられる現代のほうが不自然なのだ。