子供の頃に素朴な疑問があった。
何故、土を作り野菜を作ろうとするのか。
教科書にも出て来た「肥沃な土壌」とは何なのか。
肥沃でない土壌は不毛の大地なのか。
川に囲まれ海と山の境界で育った野人は理解出来なかった。
大人に聞いても判で押したような同じ答えしか帰って来ない。
何故野山のふかふかの表土が駄目なのか、草が生えたら駄目なのか。
野山で寝転ぶのは大好きだったが、畑では寝転べない。
うんこの臭いはするし、うんこまみれの野菜など食えるはずがない。
うんこ臭い通学路の道端には肥溜めが十数個も並び、ピンクのイチヂクカンチョウがプカプカ浮いていた。 なんでそんなものが必要なのか。
今もむー農園や新農園の周囲の田畑は無料の牛糞や鶏糞で溢れ、悪臭がする。
捨て場がなく山積みすれば産業廃棄物、田畑に混ぜれば有機肥料・・
人参・ピーマンなど死んでも食わんという誓いは50代まで続いた。
野生動物のうんこは指でつまめるほど臭くないのに、人間や猫や犬のうんこは何故臭いのかさっぱりわからなかった。
今は食性・・つまり「食べ物を間違えた」のが原因とわかったが、人間の道理をペットの猫や犬にまで押し付けた結果だな。
今も同じようなものだが、小麦粉が主成分のペットフードばかり食べさせれば、人間と同じように毛が抜けて病気にならない方がおかしい。
奈良の鹿のビチうんこもコロナ不況で正常に戻りつつあったが、鹿せんべいが出回ればまた元に戻るだろう。
草食動物も穀物は消化吸収出来ない。
消化吸収出来なければ人間だろうが鹿だろうが同じ結果だ。
ドロドロの未消化食物から水分が抜けて濃度が高まれば腐敗臭と便秘が待っている。
人が何もせずとも自然界は困らないし、植物、動物と続いて海から陸へ上がり、共に表土構造を築き上げた完全な仕組みの歴史は人類史よりはるかに長い。
土作り、野菜作りとは間違いなく表土の破壊だが、理をもって断言する人も止められる人もいない。
作ろうとするのはより向上を目指す人間の前向きな意欲からだろうが、現実の仕組みを意識で判断するからそうなるのだ。
意識を「利欲ではなく理欲」に替えれば、その矛盾が理解出来るだろう。
何故豊かな土やミミズを好むのか。
畑のミミズ、団粒塊と呼ばれるミミズのうんこは歓迎され、ドブや下水のミミズは薬剤で一掃されるのか。
ミミズは下水排水溝やうんこやわらを与えた木の根で繁殖する。
土中の汚物を分解するのが役目だからであり、ミミズが繁殖する有機畑は汚物が入っていないのか。
入っているからミミズが増え、ミミズをエサにするモグラが増える。
堆肥は完熟・未完熟に関係なく有機物であり土中の汚物に変わりない。
ミミズは好気性微生物の及ばない土中の浄化の役割を担っている。
ミミズのうんこを盲目的に重宝する前に、ミミズの役割を認識すべきだろう。 モグラ退治するほどモグラが増えるのは自ら招いた人災。
耕し続け、草を排除し、有機物の投入を続ける限り、土壌汚染とミミズはセットでついて来る
一般常識は「ミミズは土を肥やす」
野人常識は・・
「土壌が汚染されればミミズは増えモグラも増える」
「大掃除が終わればミミズは減りモグラも減る」
土とは何か、表土の仕組みと使命とは・・
野菜とは何か、植物とは何か、その仕組みと使命・・
これらを学ぶことが先決。
その為に野人は協生理論を作った。
協生農法はそれからの話だ。
どうすれば協生農園が造れるのか、野菜果物がよく出来るかを考える前に理解すべきことだな。
むー農園 2015年 秋
2010年 3月
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