大地は草が密生して必ず森になる。
草は必ず密生するが、密生しなければならない理由がある。
木々は必ず森になるが、森にならなければならない理由もある。
これらは偶然ではなく意図的に形成される仕組みであり、生命の営みに必要だからそうなるのだ。
前回、表土が失われつつある山を紹介したが、岩山の上の表土は薄く、世界の表土の厚さは平均数十センチ。
山であろうが平地であろうが土が止まれる場所には雨さえ降れば表土構造がいつかは形成される。
表土に水を止めることが出来なければ・・
植物は生きて行けない。
止めることが出来なければ・・
川も流れ続けることが出来ない。
川が流れなければ動物も生きては行けない。
表土とは生き物の誕生、消滅、再生だけでなく、すべての動植物の生命維持の役割を担っている。
生命は海で生まれ陸へ進出した。
表土は水を止め続ける「海」そのもの。
水の枯渇、乾燥を防ぐ為に植物は密生する、草も木も・・
それが出来なければ・・人が仕組みを壊せば・・
雨が少ない地域は砂漠化が待っている。
雨に恵まれた地域も、大量に使い続ければ水不足に陥る。
地下水に助けを求めても限りがあり、地下に水が溜まるまで数十年、数百年を要し、枯渇が待っている。
毎年何度も耕し、表土を破壊し続ける現農業は大地に水を止める農業ではなく大量に使い続ける農業・・
広がれば広がるほど表土破壊と海洋汚染は進む。
膨大な水を費やす農業は自然界の仕組みに反し、明らかに間違っている。
数億年を費やして海の藻類が酸素を海に満たし、やがて陸にも酸素を満たした。植物はまだ誕生していない。
理想的な大気が生まれ、酸素が陽光と反応してオゾン層を作り有害紫外線を遮断、生物が陸に進出する条件は整ったが、住めるようになるまでさらに時を費やした。
陸には水がないからだ。
先駆者はやはり海の生命の始祖藻類で、コケなどだが、枯れてはまた進出、何度も挑戦を繰り返した。
雨が降ろうが豪雨だろうが水は一気に海まで流れ込み、あるいは地下へ浸透、陸に止まることが出来なかった。
水がなければ生命体は生きられない。
陸に川があるのは当たり前と思う人は多いだろうが、植物族の努力なくして、表土構造は築けず、川が流れ続けることはなかった。
コケ類からシダ類へ、さらに頑張ってやっと樹木と呼べるものが誕生した。
泥になった彼らの亡骸なくして沼や湖は水を湛えることは出来ず、水は隙間から地下に浸透、大地は常に乾燥していたのだ。
風で子孫を飛ばす裸子植物が被子植物へと進化したのは次々と動物が進出してからであり、それから広域に渡る動植物の繁栄が、力を合わせて本格的に始まった。
それは共生ではなく協生・・
植物族と動物族、どちらが欠けても今の多彩な生き物達の繁栄は成しえなかった。
人間のエゴが彼らの努力の産物を破壊、それを修復する為にどうすれば良いのか・・
地球の誕生、海の誕生、陸の誕生、生命の誕生・・
歴史を遡り、海から山まで、そしてまた海へと・・
広域にわたる生命の物理的な仕組みを何十年もかけて彼らから学び続けた。
学ぶべき教科書は何処にもなかったからだ。
そうして・・ 積み上げた協生理論から
彼らと共に生きようとする「協生農法」は生まれた。
協生農法は海から生まれたとも言える。
続く・・
次回 植物が自力で育つ理由
先進各国が 何故アフリカで失敗したのか・・
生命の海 2
http://ameblo.jp/muu8/entry-12045414393.html