水道と洗剤がもたらした水バブルの時代 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

人間の水消費量は自然界の限界を超えている。

これから先が思いやられるが、そう認識している人はどれほどいるだろうか。

 

蛇口を捻れば当たり前のように出て来る水。

当たり前に出て来るのはそのような仕組みがあり、本来は当たり前に出てはこない。

出て来なければ水使うのには相当な労力を要する。

だからこれほど極端な水使用の歴史がない。

 

海の水が蒸発、雨となって陸に水をもたらす。

水は川と地下から得ているが大半は川の水。

 

地表よりも低い位置に流れる川の水は汲み上げるしかなく、人力や水車がポンプに変わった。

山間部の高い位置にダムを築き、水圧で配水、海岸から平野部に広がる穀倉地帯は付近の大河から汲み上げて配水する。

そうしなければ広大な田に同時期に水を張ることは不可能。

 

生活用水用の大きなダムの他に、農村部には小さな川を堰き止めた農業用水用のダムが無数にある。

その数は伊勢周辺だけでも数百・・コンクリート製でもなく緑に覆われ谷の上にあるから人目に付かないだけだ。

これでは魚が川を遡るのも困難。

 

一般家庭では季節を問わず水が使えるようになった。

風呂、台所、洗面、庭木、菜園、プランター、真冬も洗濯機が自動でやってくれる。

農業、工業も含めてすべて石油と電力がもたらした水だが、枯渇は目に見えている。

 

川も地下水も水量が減り続けるのは当然。

野山は自然林を探すのが困難なほど見渡す限り植林だらけだが、人間の都合で放置すれば陽光は地面に届かず、剥き出しの表土は保水力を失い一気に山を下り洪水を招く。

このままでは未来に残せる水が無くなってしまう。

 

生活排水と農業排水で汚染された川は下水と化して以前の名残がなく、大半は泳げなくなりつつある。

汚染された川の水で米の大半は作られている。

本来の米の味がしなくなるのも当然だろう。

 

野菜、果物、肉、卵も同様に地球本来の物なのか。

今の農業、生活スタイルが自然界の道理、生命の道理に適っているのか、考えていただきたい、その為に毎日このブログを書き続けている。

 

人類が心身を維持して来た数万年、数百万年の暮らしとどう違うのか、それで問題なく体調も環境も存続出来るのか。

人任せ、文明任せにすることではなく、自ら考え判断出来ること。

 

野人も水道の恩恵を受けている。

野人理論を実践した読者もそうだろうが、水道料金は激減、水使用料は依然と比較にならないはず。

 

協生農法もまたさほど水を必要とせず、一般農法とは比較にならない。

木や苗の植え付け時に水を与えるだけで種蒔きに水は必要ない。

 

この暮らしと農法、栽培法で何の問題もなければ現状が異常と言うことになり、どちらが快適かも比較にならない。

体調も環境も復元、自然界の道理そのものだな。

 

現状の水の使い方はバブルのようなもの。

バブルが崩壊しなければ水も体調も環境も元には戻らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

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