久しぶりに二軒茶屋餅の会長夫妻がビレッジにやって来た。 この二人、お野人と話すときはいつも楽しそうに会話が弾む。
「観光三重 名物餅」で検索すると、神宮参拝者が食した13種の名物餅の画像が出てくる。
最も有名なのは赤福餅、野人事務所から徒歩5分の所にはへんば餅がある。
二軒茶屋餅は角屋本店製造、中に餡子が入ったきな粉餅で1575年に大湊から勢田川をさかのぼる船着き場近くで創業。
敷地内には、明治5年に明治天皇が海路より伊勢神宮に参拝した際に二軒茶屋に上陸、その記念碑がある。
ここでは餅の他に味噌、醤油、地ビールを製造している。
勢田川にある川の駅は河崎商人館前、それと二軒茶屋前、海の駅は大湊でゴーリキマリンビレッジの桟橋だ。
最初の野人事務所は河崎商人館から歩いて2分の場所にあり、海路から河崎に至る文化復興の為に毎月一回の会議が商人館であった。
共に川の駅、海の駅の拠点であり、野人は船舶運航、海上運送法、など海上法規に精通、ビレッジのボートを使って大湊から河崎まで水路を上がるテストラン運行も担当していた。 潮が満ちていればマリンビレッジから宇治山田駅のすぐ近くまでボートで行ける。
会長は当時の勢田川のお祭りを再現、木造船を作り年一回派手に運航させていたが、その船はマリンビレッジで預かっていた。
今年、船は引退、まむし頭の手配で二軒茶屋の敷地内に陸上設置、会長も既に引退して肩の荷を下ろしたようだ。
伊勢の餅屋さんとは縁が深く、親子共々交流があったのは3人。
最初は赤福で、前社長と現社長はヤマハ時代のマリーナ会員。
前社長と加山雄三は慶応大の同級生で、前社長は歌にも出てくる「光進丸」を友の為に買い取った。
置く場所がないので、お野人が頼まれ諏訪瀬丸桟橋に係留、まむし頭が数カ月間面倒を見ていた。
次に新造した船が「ステラ」で、この時も係留設備の件で色々頼まれ、おかげ横丁では「ステラ」と言う名の酒の販売も始めた。
伊勢商工会議所の忘年会では会頭だったこの赤副社長以下80人がマリンビレッジにやって来た。
おかげ横丁は赤福の子会社「伊勢福」の経営だが、この社長とも交流があり、野人の留守に「自転車で」ビレッジにやって来たことがある。
他には「神代餅」の親子とも交流があり、息子は鳥羽国際ホテル時代にヤマハでアルバイト、まむし頭の指揮下で働き、2人とも結婚式にも呼ばれたのだが・・
すぐに離婚した 情けない・・
モチ・モチ・モチ・・と餅話が続いたが、お野人の餅の評価は・・
1番は・・なが餅
2番は・・御福餅
3番は・・へんば餅
二軒茶屋餅、赤福餅、神代餅には申し訳ないが、私情を入れない評価だ。
「御福餅」は観光三重の13の餅には入っていないが、二見に本社がある。
どちらもルーツは同じで御福餅が元祖と聞いた。
二見に行ったら是非食べてみるとよい。
御年88歳、二軒茶屋餅の前会長が帰り際に言った言葉は・・
15年前、伊勢ライオンズクラブで野人が講演した時の言葉は今でも自分のものにしているということだった。
頼まれて講演したロータリークラブ、ライオンズクラブは伊勢・鳥羽合わせて4か所。
詳しい内容は省くが、「そんな指導者についてゆく社員が可哀そうだ」という言葉。
会長は納得して非常にこたえたようだ。
2本杖の便利さを語ったあと・・
最近は「あちら」へ行った時の為に英語の勉強をしていると言う。
いくが・・
「外国へ行くんですか~」
「いや あの世へ行った時に閻魔様に英語で挨拶しよう思って」
お野人・・
「あの世では脳みそがないから覚えても忘れとるわ」
いつものようにお土産に二軒茶屋餅を持参。
自ら車を運転してまた来るらしいが、もっと長生きしてもらいたい友人だな。
木造船文化の技術の保存
https://ameblo.jp/muu8/entry-10984984771.html
どんどこ祭りに使った どんどこ丸
語り部 お野人・・・海の駅
https://ameblo.jp/muu8/entry-12054058227.html
カッパ巻き物語・・おわり 語り部 黄色いカッパ
面白かった人 ポチ