木造船文化と技術の保存 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

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保存している野人の大事な「櫓」
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年に一度の祭りで使う木造船「どんどこ丸」

二軒茶屋餅所有 ビレッジで保管
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大湊の強力造船所跡地にマリンビレッジを作ってからまだ果たせていない構想がある。

それが木造船文化と技術の保存だ。

かっての強力造船所は150人の従業員、木工技術も優れていて船大工も数人いた。

強力先輩の父は数年前に他界したが、車椅子に乗ってマリンビレッジでよく食事していた。

伊勢市の商工会議所会頭も長年努めて赤福の社長に引き継いだ。

10年前、マリンビレッジのイスやテーブルを造船所の廃材で制作したのはOBの船大工で70歳を超えていた。

木造船も、動力の「櫓」を作る船大工もあと数年でいなくなるだろう。

小さくても数隻の木造船と櫓を残し、マリンビレッジで保存、櫓を漕ぐことを子供達に教えたい。

野人にもっと「商才」があったなら簡単に出来ただろうが相変わらず零細企業だ。

出来れば数人で動かせる「小型帆船」も作りたい。

正念場だな。


大型船は木から鉄に、漁船は加工に便利なFRPに変ったが、それぞれ百数十年、数十年の歴史でしかない。

人類は丸木舟に始まり、植物を活用して来た時代は数万年に及ぶ。

木造船の頂点にあるのが大航海時代の大型帆船だろう。

機械動力もなく、自然の力を活かした知恵の芸術とも言えるものだ。

パイレーツ・オブ・カリビアンの人気も案外その部分にあるのかもしれない。

宮大工でもあった祖父は野人が小学2年の時に「海へ出る舟を作ってやろう」と言う言葉を最後に世を去った。

小学生で「櫓」を完全に使いこなし、中学では木造の機械船を自在に乗りまわしていた。

手動でエンジン始動のクランクを回すのは力を要し、小学生では無理だった。

九州から四国へ渡ろうとして漂流したのもこの頃だ。


野人の会社の理念は「古代からの技術と資源を活かす」ことだ。

海山の食材だけでなく、これらの知恵は継承しなければならない。

時代遅れ、古い・・と人類はあらゆるものを捨て去って来たが、それで良かったのだろうか。

便利さは必ずしも幸せを招くものではなく、自らの首を絞めることが多過ぎる。

「温故知新」、この言葉と道理を大切に生きたいと思っている。



当時の木工施設も残っている
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