野人理論 間違いと修正の歴史 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

 

ブログ開始以来これまでの記事には、基本理論に大きな間違いはないが答や前提には幾つか間違いもある。

 

参考記事として下に貼り付ける時に気が付けば修正するが、修正していない記事もある。

当時は野人もわからずたいしたことではなかったが、理論が進化するにつれて明確になることが多い。

10年経っても今と変わらなければ全く進展がないことになる。

そのような理論なら10年間毎日書き続けられない。

 

代表的な記事は・・

協生農法を中心に記事を書き始めた頃は、人は本来肉食か草食かなどどちらでも良かったが、はっきりさせてからも当時の間違いはそのままにしてある。

 

適当に名付けた野人農法は協生農法に改名、当初の漠然とした「生命力」も、エネルギー論を出してからは生命力の他に「生命エネルギー」、「電気エネルギーの一種」、人間に必要な心身の「制御エネルギー」と呼称も変化、目的に合わせて使い分けている。

 

常に最近3年以内の記事を参考にすれば間違いないが、それも10年後にはどのように進化しているか誰にもわからない。

移り変わる人間の文明と同じだが、野人の生命理論の基盤は変わることはないだろう。

 

これだけ解明して理論を導き出しても、まだまだわからないこと、解明しなければならないことは山ほどある。

 

多くの病不調の復元は解決済みだが、年齢に関係なく眼鏡不要・視力の完全復元、激痛の瞬間消滅、難病の完全復元、地球上全ての毒物の解毒、意識の細部に至る物理的仕組み、水エネルギー、情報エネルギーの仕組み・・

 

何処から手を付けるか、気が遠くなるな・・

 

 

失敗から学ぶ。

幼少から自然界の探求心が旺盛な野人の歴史は失敗と挫折と怪我の繰り返しだった。 まあ、知性も野性に近かったから当たって砕けてばかり。

その度に体に大きなダメージを負い、野人流の学びは命がけだったな。

 

小学校では海で2度、山で1度、打ちどころ、刺され処が悪く合わせて3度気絶。

中学では数キロの湾を泳いで横断、台風の海にも飛び込み限界を体で試した

高校大学もまあ似たようなもの、アンビリーバブルな話題で皆を楽しませた。 不可能へのトライだな。

何事もなく平穏に過ごすことのほうがはるかに難しい。

 

この程度で懲りることはなく、驚き慌てることもなく、物の怪だろうがサメだろうが怯むこともなかった。

反省はなかったが得るものは多く、失敗から道理を学べば同じ過ちは繰り返さない。

 

皆が本と先生と社会から学んでいる時、自らの体を実験台に自然界から学び続けた。

人間の体力の限界と、上下、左右、表裏、陰陽の境界を、言葉ではなく身をもって知ることが野人にとって重要だったのだ。

 

人生最大の理論実践場は南西諸島・トカラ列島であり、テーマ「連載 東シナ海流」で60編以上書いたが、デリンジャラスで面白い20代だったな。

探求心旺盛な原人は昨年、野人のルーツをたどってヨットで長期航海した。

 

森羅万象にあまねく通ずるのが陰陽師。

家系ゆえに野人のもう一つの顔だが、座学だけで得られるものではなく、限界と境界を知ることは野人が選んだ道だった。

 

そうして時空を超えて立体思考は磨かれた。

立体思考とは物理的仕組みが連なるイメージの世界だ。

野人はこの立体を何処からでも入れて出られる便利な球体に仕上げた。 球体は今も膨らみ続けている。

 

見える世界と見えない世界の境界・・こうして皆の役に立っている。

怪我は絶えなかったが、骨が折れたのも気にならない程痛みに鈍いお野人はこれがまた面白くてたまらなかったのだ。

 

唯一の深手は、打ちどころが悪かったのか、中一から原因不明で数日動けないほどの激痛に年に数回、40年間悩まされ、救急車の世話になったこともある。

中学高校の6年間、むー母は呼吸出来ずに強烈な激痛に苦しむ野人を憐れむように、おまじないを唱えながら背中を撫で続けた。 親の肩を揉まず親にマッサージさせる親不孝者と皆に言われたが。

最後までむー母の背中を撫で続けたのも因縁だな。

 

おそらく脊髄辺りの破損か指揮系統の故障だったのだろうが、スキャンもしたが今も原因はわからない。

未知の世界に踏み込んだ土産のようなものだな。

20代、30代と毎年数回激痛で動けなくなる野人をまむし頭といくは見続けた。

最後まで原因がわからなかったのだから難病だな。

酷い時の痛みは尿管結石の激痛に近い。

 

十年ほど前に自然に治ったが、昔も今も最も疲れるのは背骨と背筋であり日中は横になっている時間が長い。

自然治癒した理由は、無意識に体調復元法・制御エネルギー論を実施していたからだろう。

 

そもそも生物は、いや‥人体はわからないことだらけなのだ。 教わってわかったような気でいるから疑問が湧かず間違いにも気づかない。

 

すべて人に頼り、本に頼り、常識に頼る・・そのような学びは完全な他力本願。

積み重ねた生命の知識に自ら考え答を出したものが幾つあるのか。 よく考えれば言葉の羅列ばかりで道理がないことがわかる。

 

人は最も優れた知能を有しているのも関わらず、生命に関しては学び方も教え方も、学問の在り方も間違っている。 丸覚えでは知性が磨かれるはずがない。

 

道理のない確信は、疑問だけでなく思考の機会さえも奪い去ってしまう。

 

解明されていないことを前提に思考を進めたほうが、過ちが少ないことは確かだ。

 

 

 

 

 

 

常識と言う保証書

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科学の壁を超える意義

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因果の悪循環 問題解決の法則

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