破壊と修正を繰り返す人間の文明は旧約聖書に出て来るバベルの塔のようなものだ。
文明とは何か・・
一般的には人間が作り出した高度な文化、社会のことだが、何故人類社会が高度に組織化され文明が発生したのか明確にはされていない。
しかし、学問なくして文化は生まれず、産業なくして学問は生まれない。
産業の始まりは農耕であり、農耕によって長年続いた狩猟採集の暮らしが一変した。
食料の自力生産と備蓄は集落を生み、分業が生まれた。
未知の分野に知恵を使えば学問も生まれる。
間違えて結果が出なければ当然修正もする。
今が最も高度であるなら、何故これほど間違いが多いのだろうか。
正しければ何の問題もなく、間違えても修正が的確であればこれもまた問題がない。
しかし現状はそうではない。
世界中の人間だけでなく他の生き物達も喘いでいるのだ。
間違えた学問は間違えた産業を生み、間違えた産業はまた間違えた学問を生み出し、負の連鎖は数千年も続いている。
バベルの塔はたった一つの構築物だが、人類全体の文明は「バブルの塔」に見える。
いつかは泡のように消え去る学問、産業、人間の道理が多すぎるのだ。
この10年間で野人が道理で崩した世界の常識は花札やトランプの枚数よりはるかに多い。
すべて生命に関する常識だが、理論はすべてに連動して矛盾もない。
わからないもの、あやふやな説もはっきりと結論を出した。
現在の分業化された学問ではトランプの数どころか、分野の異なる2つの常識すら覆せないだろう。
何故それが出来ないのか。
農業の間違い、農学の間違いが根底にあるからだ。
どちらも、産業、学問の始まりであり問題の始まり。
バブル文明はこの上にすべて積み上げられている。
数千年の歴史を遡って修正しなければ問題は解消しない。
野人原人はそれをやろうとしている。
人類全体が乗って圧し潰されるほどの重い山だが、決して動かせないことではない。
個人の一説では不可能だが、確固たる理論なら山も押し返せる。
森羅万象の道理が人間の泡で潰れることなどないからだ。
原人はアフリカで山を持ち上げ砂漠を緑化した。
野人は国内で山を持ち上げ常識を正常化する。
それには自らやって見せるしかない。
巨大な山を動かすには一人では不可能、陣頭指揮して大勢の人を動かすしかない。
人に人は動かせるものではないが、そこに未来への希望があれば動いてくれる人は必ず出て来る。
希望を失えば静かに朽ち果てるのを待つしかないのだ。
川上源一は1%の可能性を野人に教えたが、1%どころか100%の確信を持って山に挑む。
バブルの塔でもある泡の山が動かないはずがない。
「仕方ない」はあきらめの言葉
https://ameblo.jp/muu8/entry-10277981501.html
面白可笑しく・・ この年の洗濯は1回だ
カカカカカ~~~
ポチ 応援
愛犬ポチ