「仕方ない」はあきらめの言葉 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

仕方ない・・は良く使われる言葉で野人も使う。

「仕方ない」はあきらめの言葉であり自分を納得させる為の慰めだ。

 

しかし野人は使い分けが徹底している。

心は自由なもので人間として最も大切なもの、それぞれの違いが個性になっている。

 

思考とは現実問題で答えを出す為のものであり、その手法、つまり方程式を立てる為のもので数学物理と変わらない。

 

人間は何万年も生き残る為に思考を磨いてきた。

結果を求める数学物理の原点は狩猟にあり、生きる為のものだったと言っても良いだろう。

 

人は買い物や家計簿などの計算は割り切って算数の手法を使えるが、心が入るとなかなかそうは行かない。

どうしてもその人の感情が方程式と一緒になって表れる、それが考え方の違いだ。

 

価値観の違いは皆違って当然だが一つの答えを求めるのに考え方はそう幾つもない。

実際やってみれば結果は歴然としている。

 

野人の思考回路は単純な構造ではっきりしている。

過ぎ去った事、済んだ事は「仕方ない」、これから目的を果たそうとする時は「仕方ある」なのだ。

 

温故知新の言葉通り済んだ事が失敗ならそこから学べばそれで終わりだ。

失敗を分析して未来に活かせば良いことだろう。

「失敗は成功の元」と言うのはそのような格言だ。

 

ただし分析の手法が間違っていればやはり同じことを繰り返し「温故知新」にはならない。

個人的なことだけでなく歴史から学ぶ事も大切な事だ。

 

目的を果たす為にまだ何もやっていないうちから「仕方ない」と言う言葉を使うことがない。

調べて、トライして、どうやっても自分の今の頭と力では不可能だと納得した場合に「仕方ない」と言う言葉を使う。

しかし完全にはあきらめずにあくまで保留なのだ。

 

そこまでやったことは無駄にはならず、いつかきっとひらめく時が来る。

そこまでやらなければ「ひらめく時」は永遠に来ないだろう。

 

一言で片付けるのは簡単だがそれは忘却の彼方へと去ってしまう。

その連続が自己を形成、やがては「常識」として定着する。

定着すればもはや疑問を感じる事もなくなり、「それが普通、当たり前」にとって代わる。

 

目的を果たす為の方程式を組む事すらしなければそれは最初から放棄すると言うことだ。

現実はこうだから・・世の中そうなっているから・・と、人は別の道を選ぶ、それが一番安易な道だろう。

 

自分の頭を使い基本から学んで懸命に進むよりも「聞いた」ほうが、「買った」ほうが楽で早いのだ。

それが現代のおかしな常識を生み出したと思っている。

絶対にそのような道は嫌だ。

 

「生きる」と言うことに対してはっきりとした自分の哲学を持っている。

不精でもぐうたらでも良いのだ、人間としての生をまっとうしたい。

 

世の中のおかしな常識を理詰めで元に戻さない限り健康も環境も良くはならないだろう。そう思ってこのブログを書いている。 使命感と言えば大袈裟だが野人流の武士道だから・・仕方ない。

 

それを教えてくれたのは川上源一だった。

今でも心から尊敬し、感謝している。

今はもういないが、田舎企業を世界のヤマハにした社長で「1%の可能性」を徹底的にこじあける男だった。

 

野人は彼の直轄の海洋特務員、兼ボディガードとしてヤマハに入社した。

「不可能です」「だからお前はバカなんだ!」、この繰り返しだったが、それが理解出来たのは数年後だった。

 

あの「くそジジイ」にもう一度会って頭を下げたい。

思えば下げた事がなかった。

 

ごめんね、じいさん汗

 


 

川上源一の言葉 1%の可能性

http://ameblo.jp/muu8/entry-10095910853.html

潜って引きずり出せ!

http://ameblo.jp/muu8/entry-10099485908.html

孔雀 食ったか?

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