協生農法はやっと世に出たばかり。
国内では「業」としてまったく波及していないがアフリカで華々しくデビュー、日本を飛び越えて世界中に広まるのは時間の問題になった。
しかしここまでの道のりは長かった。
農法を世に出した先人達は農業関係者であり、何年も試行錯誤しながらその農法を確立した。
その苦節の日々がメディアで紹介されている。
彼らは考えながら「とにかくやってみよう」から入り、こうすればやれるという方法を見出した。
しかし野人にとって勝算もない「とにかくやってみよう」は思考の墓場であり、そのような習慣もなく、確信がなければ行動に移すことはない。
構造計算失くして家も構築物も建てられないのと同じで農園も作れない。
現実の出来事はすべて物理であり、そこには道理があり結果もその通りになる。
その方程式に確信を持ったから本格実験に入った。
そうならなければ何処かが間違っているのだから修正すればよい。
農法理論に確立までの苦節はなく、波及までの苦節のほうがはるかに長く今も苦節中だ。
3カ月間の庭での実験を経て、1か月で本一冊分の基礎理論を完成させた。
野人は農業関係者でもなく、野菜が好きでもなく農業とは対極的な海に関する会社経営者。
海洋学が専門であり、自然科学、物理、魚介類、植物学、これらの体験から、自然体験マイスターとして三重県の非常勤講師も兼務。
魚介類、植物、体験施設の講師として県から多くの自治体、過疎化集落に派遣され、農業、漁業の再生、負の遺産施設の再生を頼まれた。
「こうすれば簡単にやれる」と、農業、漁業ともに再生理論を説いてもなかなか理解されなかった。
自然界は詳しいが、まったく性に合わない農業は最もやりたくない分野で、生涯やるつもりはなかったが、「やれる」ことを証明する為にやむなく理論を書きあげた。
それから一反の本格実験農園を造成、モデル農園として紹介したのだが・・
農業関係者の誰に話しても信用されることはなかった。
野人の役目はこれで終わり、後は広まるだろうと思っていたのだが・・
それが理由で造成1年後からブログを始め、幅広く公開することにした。
2008年3月から、膨大な理論を1日3編アップし続けた。
全国各地の困った農村から依頼があれば最初は無償で造成、結果は間違いなく出るのだから波及も時間の問題。
それで今度こそ野人の役目は終わるはずだったが・・
誰も依頼して来ない。
生産高10倍以上、経費労力10分の1以下・・
これを使用しろと言う方に無理があったようだ。
最初に理解してくれたのは、ブログでの公開から1年以上経った翌年の夏に農園にやって来た今野さんで、当時鳥羽のリゾートホテル、タラサ志摩の社長だった。
それから何度もタラサ社員や今野関係者など大勢を連れて野菜収穫と食事に訪れた。
農園で遊ばせるのが野人の仕事になりつつあり、これでは農業は変わらない。
農業関係者も来たが、相変わらず理解されない。
何が欠けているのか、何が必要なのか日々考え続けた。
農法名も、野人農法、ピラミッド農法、物理農法・・など適当で、内容も複雑。
野人にはばかばかしいほど簡単でも、他の人にとっては難しい上に常識とは正反対。
理解出来ない上に、とても信じられないと言うのがほぼ全員の評価だった。
理解出来れば常識の壁などあってないようなものだが、出来ない限り壁は立ち塞がる。
県の講師時代を通して5年間、誰も理解出来なかったと言うことはこれ以上は野人には困難。
理論を実践して結果を出して見せることは出来ても、波及は気が遠くなるほど難しく目的は果たせない。
どうすればよいのか・・
これは農法と言うより総合的な地球生命物理論であり、理論を完全な形に完成させて広められるのは物理学者しかいない。
物理とは無縁の農学界で理解されるはずもなく、理解して実践すれば現農業の仕組みはすべて壊れてしまう。
農家は喜ぶが、現農学はじめ関連事業の大半は不要になり、新たな流通の仕組みが必要になる。
学問の領域の異なる物理学会で証明するしかない。
続く・・
野人の心境
https://ameblo.jp/muu8/entry-12319138188.html
志と信念 1
https://ameblo.jp/muu8/entry-10683075507.html
タネばらまけば幾らでも出来る・・