まむし頭も話に参加 右は屋久島での元上司
元舟艇設計部長 と 元社長
創業者 川上源一 愛用のナイフ
焼酎 霧島・・ 残りはお野人持ち帰る
寒グレとヤリイカの刺身
牡蠣 スズキ味噌漬け
猪肉
猪カレーシチュー ブイヤベース
今日はマリンビレッジにヤマハ発動機を牽引した男達がやって来た。
ヤマハ発動機株式会社・元社長の長谷川至さんはじめ、元舟艇設計部長など4名。
長谷川さんの81歳を筆頭に全員70代で野人の大先輩に当たる。
元設計部長は今も発動機の仕事に関与、中国の大連から駆け付け間に合った。
大連はマイナス20度以下だったので、この寒さも気にならんらしい。
しかし、こんな日に野外で防寒着来て刺身食っているやつなどいないだろうな・・
ヤマハ発動機の創業者はヤマハ株式会社の社長だった川上源一、つまり・・あの強烈なじいさまで、ヤマハ発動機初代社長も兼務していた。
楽器だけでなく、オートバイ、ボート、船外機・エンジンの分野でも世界一を目指した。
じいさまの号令でケツ叩かれながら世界を股に駆けた男達・・
「バカ、バカ~」を連発、危ない業務ばかりやらされた野人もそうだったが・・たまらんなあ~
じいさまを投げ飛ばしたのも、くそじじいと言ったのも野人しかいない。
検挙もされテレビ報道されたがクビにはならなかった。
ヤマハは規格外不良品の野人を大切にしてくれた。
反抗的なお野人以外、みなじいさまに絶対服従、設計部長は逆らって怒られていたな。
しかし皆じいさまが好きだった。
だから何十年経ってもじいさまの遺産・東シナ海での同窓会トカラ会に集まるし、こうして横の繋がりを持ち続けている。これがヤマハの原動力だな。
お野人・・何度かじいさまと寝食を共にし、ご飯も作ってあげたが、それも特務員の仕事。
あれが食いたい、すぐ獲って来い
潜って突いて来いと我儘放題・・
野人がいただいたじいさま愛用のナイフを手に、皆さんじいさまを思い出して感無量だったようだ。
じいさまは初めてFRPを国内に持ち込み、国産ボート事業を始めたが、野人がヤマハに入社した頃はまだたいした船は作っていなかった。
川上社団、つまりじいさまが自腹で大型クルーザーを数隻作ったが、その一隻が豪華クルーザー、海の女王「諏訪瀬丸」だった。
スウェーデン製の高速エンジン2基を搭載、東シナ海、伊勢志摩の海を疾走。
鳥羽国際ホテル所属当時は、三笠宮殿下夫妻、スェーデンのシルビア王妃、イスラエル大使、森光子、池部良、竹脇無我など、多くの芸能人、財界人を海へ案内した。
劇団四季、浅利慶太さんとキャッツのメンバーは顧客であり、何度か鳥羽から豊橋港まで迎えに行き、そのまま終日船から飛び込み、泳いで遊んでいた。
設計者は写真の設計部長、屋久島に回航した初代船長も今日参加している。
役目を終えるまで野人が船長を引き継いだが、船に関与した3人が集まったことになる。
まむし頭も入れて4人・・機関長だったまむし頭は10年間、エンジン・船体の整備と船底塗装をやった。
「料理も酒も旨く、最も思い出深い昼食になったよ」
長谷川元社長の言葉だが、年に何度か来るようだ。
お野人・・今日は楽しく 嬉しかった
トカラ会 画像
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屋久島近海 海の女王
東シナ海流28 真夜中の嵐 朝まで死闘 この船・・
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明日から東シナ海 じいさんの遺産
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突然の来客 川上浩夫妻
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おまけ・・