何やら取り出す・・ 顔も仕草もじいさまそっくり~
川上源一愛用のナイフ・・ 胸が熱くなる
ヤマハ株式会社 7代社長 川上浩夫妻
明日から一週間、鹿児島と硫黄島へ行って来る。
鹿児島で「トカラ会」が開催され、屋久島、硫黄島へも旅する。
トカラとはトカラ列島のことで、ヤマハ総帥だった故川上源一の号令で屋久島、薩摩硫黄島、諏訪の瀬島などにリゾート拠点を設け、私設飛行場は硫黄島と諏訪の瀬島、国内最大の僻地「諏訪の瀬島」には道路、地下水道、発電所だけでなく新しく港も作った。
10人乗りアイランダー3機、セスナに浜松の自衛隊基地から直行する社長専用ジェット、鹿児島空港には専用ゾーンと格納庫、事務所を持ち、屋久島の船舶拠点には60トンから20トンまでの大型クルーザー数隻を有し、船員は15名を越えていた。
ヤマハは夢を売る企業、その信念を持つ川上源一の意志で過酷な条件下、不可能を可能にする挑戦が営利抜きで始まった。
野人はその為にじいさまに雇われ、用心棒だけでなく入社した年から船舶、潜水などマリン業務の屋台骨を背負わされた。
40年前、稟議決済なくサイン一つで100万まで経費を使える上場企業の新入社員もいなかっただろう。それ以上でも本社決済で通る。
それで必要なものをすべて揃えた。
給与が10万に満たない時代だ。
ヤマハ本社の施設を預かる工作課を中心に住友建設がすべての工事を請け負い、共に多くの犠牲者も出した。
予科練の生き残りも2人いたが、1人は社長専用ジェット機と共に東シナ海に散り今も行方不明。
トカラ会とは元社員の同窓会のようなもので、これが最初で最後になる。
大半が野人より年上で最高齢は当時の工作課の総責任者、90歳近い。
定年退職しなければ集まれるものではない。
20年ほど前にヤマハは総撤退、今は飛行場など一部残骸が残っている。
みな命を賭けて川上源一の夢を追いかけた者ばかりで、あえて一同に集まるのはそれだけ思い入れが深かったからだ。
当時の出来事はテーマ最下段の「連載東シナ海流」に60編ほど書いて5年半中断しているが、完成すれば100編をはるかに超えるだろう。
本当に偶然だが、今日、川上源一の長男でヤマハ7代社長を務めた川上浩夫妻がビレッジに野人を訪ねて来た。
昨年4月の依頼を引き受けたが、そのお礼と、新たな川上源一の遺品を持参していた。
それはじいさん愛用のナイフだったが、先に頂いた包丁同様に素晴らしい逸品だった。
トカラ会はすべて川上源一に従った社員、これも因縁だろうな。
じいさんの遺品、一つは野人に、一つはトカラ会に進呈、ビンゴか何かあれば賞品にして下さいと浩さんは言ったが・・
よく考えて見れば飛行機内には持ち込めない、荷物を持たない野人は海外便でも預ける手荷物など一度もなかった。
まあ他の方法を考えよう。
前回の依頼で、野人が下した「丸く治まる名案」とは・・
川上源一の特殊な遺産の処置は「野人に一任」、どうしたかは報告しない。 読者にも・・言えない
これで3者がもめることはないだろう。
突然の来客 川上浩夫妻 丸く治まる名案・・?