理解とは何か 協生農法 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

協生農法講習には野菜の作り方や種の蒔き方もなく、畑、うね、土作りもない。

そのつもりでノートを持参した人は拍子抜けする。

協生農法講習も自然界の仕組み講習も健康セミナーも内容に大差なく、場所もどこでやろうが大差ない。そうかと言って概念ではなく完全な物理。


まず農園を見たいと言う人が大半だが、見て、触れて実践しても参考にはならない。

楽しいことには違いないが、理論の理解とはさほど関係がなく、実践の一例に過ぎない。

まったくイメージの異なる農園を野人が幾つも作れば理解に苦しみ混乱する事になる。


つまり、方法は無限大にあり、見て覚えても理解にはあまり役に立たないと言うことだ。

植栽の好みも環境条件も異なり、農園は基本理論を理解した上で好きなようにやれば良い。

このことからも「思考の起点の違い」がよくわかる。


最初から自分の思いと知識常識を持ち込むのは当然のこと。

しかし、見よう見まね、読んで聞いて自分なりの理解で何年努力しようが協生理論の理解とは関係がなく、完全に理解出来たかどうかは、理論を作った野人に問うしかない。

その為の講習会なのだが、そのような質問はほとんどなく、わかりにくい内容の質問が大半だ。


協生農法は誰にでも出来る、小学生から農業で生計を立てようとする人まで。

生産量はどれだけその道理を応用出来るかで決まり、応用とは理論を覚えることではなく使いこなせる事だ。使いこなせればどのような環境であろうが必ず答は出せる


面倒な人はそこまでやらずとも自分なりの解釈でやればよい。

結果が出ないのは何処か間違えたからであり、その度に修正すればよい。

ただ、仕組みがわからなければ間違いも気付かず修正も出来ない。

これは無理だと自分で判断してあきらめるか、仕組みの基本から学び直すかも自由。

個々の考え方、意識までは野人が関与すべきことではないのだ。


野菜の作り方を教えるのではなく自然界の仕組み、その精巧な物理を教えるのが農法講習。

「理論も農園画像もブログで見た、理解出来ない部分だけ教えて」・・と言う人がそのうち来るかも知れんがそれでは不十分。


最も重要な事は「理解出来た」と言う理論が本当に理解出来たかどうかであり、出来たと「自己完結」するか、野人に「確認する」かも自己判断。

当人が自己申告しなければ野人にもわからない。


理解した人間は今のところ原人しかいないが、その原人も何度か叱られている。

元々思考回路にない理論を解しようとするのだから簡単なはずもない。

簡単な道理を難しく感じる原因は「自分の心の中」にあると言うことなのだ。

未だに教え方に四苦八苦するのは思考の起点、順路が馴染めないからであり、常にもっとわかりやすい方法を考えている。


理解と言う言葉は常識のように使われているが、便利な言葉に過ぎない。

現実の問題の答を出そうとするなら思考の起点次第で結果は180度異なることが多く、それが本人にとって重要なほど人生も変って来る。

協生理論は暮らしカル~理論そのもの。

何の問題も抱えず、今が幸せな人にとっては協生理論は不要だろう。



協生農園 管理と表土構造

http://ameblo.jp/muu8/entry-11205966975.html

農業は地球生態物理学

http://ameblo.jp/muu8/entry-10853006914.html

http://ameblo.jp/muu8/entry-10853507682.html

http://ameblo.jp/muu8/entry-10854958174.html