協生農法の原理と理念 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

協生農法最大の特徴は不耕起、無施肥、混生であり、産物は有用植物すべて、それに付随するもの、毎日多種収穫

周年植物が表土を埋め尽くし、育ったものから順に収穫する事で周囲の植物が次々に生長する。

草は刈っても次々に生えて来る。

耕す必要もなく肥料の必要もない仕組みが数十億年かけて出来上がっている。


地球の表土の道理をそのまま活かし、草を有用植物に置き換えた「環境の維持」が協生農法の最も基本的な原理、これが理解出来なければ先へはなかなか進めない。

その環境に合った必要な植物を中心に生産するのが協生農法であり、自然相手の物理の活用。

農法理論は自然界の理であり、簡単でも理解は難しく、活用は人知に委ねるものだ。


農業はもとより、植物学、生物学、生態学など植物の分野に物理は取り入れられていない。

栄養学、健康学もまた成分中心で、こうなっていると言う結果しか示せない。

人間だけでなく、動植物は物理工学の粋を集めた機械よりはるかに高度な仕組みを持つ物理で成り立っている。


科学物理が難解な「意識」の解明を放棄した時から時間は止まったまま。

科学的証明のみが認められる証なら、それ以外は存在しないと言うことにもなる。

生命の仕組みはわからないからと放棄するのではなく、証明出来ずともわからないなりに解明しようとするのが人知ではなかろうか。


どれほど機械文明が進歩しようが地球の生き物すべてが苦しみ喘いでいるのだ。

学問とは理ではなく利を追うものなのか、名誉の為のものなのか、知識欲を満たす為に存在するのか、その目的は自身の心の中にある。


子供の頃、多くの偉人賢人に憧れ志を持つのは世の中に役立ちたいと言う純粋な心。

レールの敷かれた道、茨の道、どちらを選ぶもその人次第だが、その心が残っているなら現状を見て見ぬふりは出来ないはず。


自らの暮らし、家族中心に考え学問の道を選ぶのが普通であり、誰も責めることは出来ない。

しかし物事の道理を組み立てる事が専門の物理学者がやらなければ誰もやる人はいない。

野人も原人も困難な生命解明の道を選び、植物から始めた。

2人しかいなくとも世代を重ねてでもやり遂げるつもりだ。

後に続く人達を望んでいる。


何もない協生農法の極意3

http://ameblo.jp/muu8/entry-10463778349.html

協生農法とは 利益とリスク2

http://ameblo.jp/muu8/entry-10859255438.html
農業の迷走は土作りから始まった

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人も野菜も栄養と薬を必要とする時代1

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