「いかなる男をせさせ給うとも、法華経のかたきならば随い給うべからず。いよいよ強盛の御志あるべし。氷は水より出でたれども水よりもすさまじ。青き事は藍より出でたれどもかさぬれば藍よりも色まさる。同じ法華経にてはをはすれども、志をかさぬれば他人よりも色まさり利生もあるべきなり。木は火にやかるれども栴檀の木はやけず。火は水にけさるれども仏の涅槃の火はきえず、華は風にちれども浄居の華はしぼまず。水は大旱魃に失すれども黄河に入りぬれば失せず」
日妙殿の将来を案ぜられて「いよいよ弛みなき信心を」と励まされた一段ですね。
「いかなる男をせさせ給うとも」という事は「将来日妙殿がたとえどのような男性と再婚する事があったとしても」という事なんですね。
「法華経のかたきならば随い給うべからず。いよいよ強盛の御志あるべし」
もしその将来の夫が「信心をやめよ」と言うならばその事に対しては断じて従ってはいけない。いよいよ強き信心に立っていきなさい。
これは、日妙殿の将来を案ぜられての大聖人様のお慈悲であります。
信心というのは年月を重ね、功徳を積めば積むほど同じ御本尊様であってもその功徳が勝ってくるという事を仰せになっておられるんです。
例えば、氷というのは水から出たのであるが水よりも冷たいではないか。
また「青き事は藍より出でたれどもかさぬれば藍よりも色まさる」というのは昔の藍染において植物から取った藍という染料 において白い布を何回も何回も染めていく。
そして、何回も重ねていくうちに元の原料の藍の液体よりももっと見事な青色になっていくんです。
これが「藍より出でて藍より勝る」という事ですね。
それと同じように、同じ御本尊様であったとしても信心の志を重ねていく事によって功徳を重ねていくならば人よりも色勝り功徳も大きくなっていくのである。
その積み重ねて身に具わった功徳というものは誰からも壊されるものではない。
例えば、木というものは火に焼かれるけれども、栴檀の木は焼けないではないか。
また、火は水に消されるけれども仏の涅槃の火は消えないのである。
花は風に散るけれども、浄居の華は萎まないではないか。
水は大旱魃でなくなるけれども、あの大きな黄河に入れば同じ水でもなくなる事はないではないか。
これと同じように、信心を怠らず積み重ねていった功徳というものは、世の中がどんなに荒れ狂おうとも絶対に壊される事はない。
大聖人のお姿を見てごらんなさい。大聖人様のお積みになった功徳というのは久遠元初以来からお積みになったものである。
よって、国家権力が御頸刎ねようとしても寸毫の傷も負わせ奉る事ができない。御頸を刎ねる事ができないという事は、大聖人様が久遠元初以来お積みになった功徳だからであります。
ですから、私達も10年、20年、30年と月日を重ねて功徳を積んでいく。
その身に具わった功徳というのは誰が壊そうとしても壊せないんですね。
平成14年 4月5日 『乙御前御消息』御書講義
- 説明
- 日妙殿のただならぬ宿縁
- 『乙御前御消息』の大意
- 蒙古襲来に怯える日本国一同の姿
- 戦いは長の一念によって決まる
- 日妙殿の健気なる信心
- 強き信心に立つ者は必ず守られる
- 同生天・同名天の存在
- 日蓮大聖人の強き御一念により諸天が守る姿
- 蒙古襲来と逆縁の広宣流布
- 日蓮大聖人の大慈大悲・絶大威徳で広宣流布は成る
- 仏様を命かけてお守りする者は必ず守られる
- 信心で積んだ功徳は決して壊れない
- 仏法に背く者の罰の姿
- 広宣流布は大地を的として必ず成る
- 広宣流布は急ぐ旅である
- 日妙殿・乙御前を守らんとする日蓮大聖人の大慈大悲
