「当世の人々の蒙古国をみざりし時のおごりは、御覧ありしやうにかぎりもなかりしぞかし。去年の十月よりは一人もおごる者なし。きこしめしゝやうに日蓮一人計りこそ申せしが、よせてだにきたる程ならば、面をあはする人もあるべからず。但さるの犬ををそれ、かゑるの蛇ををそるゝがごとくなるべし。是れ偏えに、釈迦仏の御使たる法華経の行者を一切の真言師・念仏者・律僧等ににくませて我と損じ、ことさらに天のにくまれをかぼれる国なる故に、皆人臆病になれるなり。譬えば火が水をおそれ、木が金をおぢ、雉が鷹をみて魂を失い、ねずみが猫にせめらるゝが如し。一人もたすかる者あるべからず、其の時はいかゞせさせ給うべき。軍には大将軍を魂とす。大将軍をくしぬれば歩兵臆病なり」
この段は、蒙古の責めという大罰に怯える日本国の姿を示された一段ですね。
当世の人々が蒙古国を未だ見ない時の驕りという物は、日妙殿が御存知のように限りのないほどであった。
しかし、去年の文永11年の10月に蒙古が初めて攻めてきたこの事実を見てからは日本国中一人も驕る者はない。
まさに、日本国中が真っ青になったんですね。虎の咆哮を聞く羊のごとくみんな震え上がったんです。
で蒙古が実際に責めてこない以前に驕っておった。誰も本気にしなかった。
大聖人様は三度この事を御予言あそばしておられる。
その最初は『立正安国論』の時でしょう。他国侵逼の難を経文を引いて御断言されて「其の時、何んが況んや」という事を仰せになられた。
二度目は竜の口の時に逮捕に来た平左衛門に対して強々と「大聖人様を倒すなら日本の国の柱を倒す事になる。必ずや他国侵逼があるべし」という事を仰せになった。
そして、佐渡からお帰りあそばした時に只今申しましたごとくに鎌倉の殿中において平左衛門に「よも今年は過ごし候わじ」と三度仰せになられたけれども、それでも凡夫というのは本当にそのようになるまでは信じないんですね。
いかにいわんや一般庶民においては「大聖人様がそのような事を言われている」という事を耳にしておってもみんな嘲笑しておったんです。
「日本の国は四方を見渡しても海に囲まれているじゃないか。この日本にどこの国が海を渡ってくるものか」と言って大聖人様の御断言をみんな嘲笑しておった。
だから、その時の驕りは限りもなかったのである。
ところが、去年の10月に蒙古の責めが事実となってからは一人も驕る者はない。
虎の咆哮を聞く羊のごとく怯えたというんです。
すでに聞いているごとくに、日本国の中でただ大聖人御一人がこの事を断言しておられた。
そして「よせてだにきたる程ならば」という事は「事は文永11年の1回の蒙古の侵略だけで終わったのではない。もし再び蒙古が責めてくるならば、その時は蒙古軍に対して面を合わせる者もあるとは思えない。ただ猿が犬を恐れ、蛙が蛇を恐れるようにみんな怯えていくだろう」と仰せられる。
そして、大聖人様は「釈迦仏の使いたる法華経の行者」と自らのお立場をこのように仰せになっておられる。
これは、経相に准じての御表現ですよね。
すなわち、上行菩薩として釈尊の付嘱を受けた立場という事であります。
ただし、これはまだ経相に准じての御表現であって、実には下種の御本仏日蓮大聖人を時の国主・為政者が日本国中の真言師・念仏者・律僧等に憎ませた。
そして「我と損じ」というのは「自ら招いた罰である」という事。
ことさら、諸天善神の憎まれを蒙った国であるから皆が臆病になってしまうのである。
例えば、火が水を恐れ、木が金を怖じ、雉が鷹を見て魂を失い、鼠が猫に攻められるようなものである。いわゆる位取りが違うんですね。
そのように、蒙古の大軍を見ただけで全日本中の武士が肝をつぶす。
この時は「一人もたすかる者あるべからず、其の時はいかゞせさせ給うべき」と仰せられる。
このお言葉『立正安国論』の「其の時、何んが況んや」という事と同じ事ですね。
「1回で終わるのではない。もう一度ある」という事の御断言であります。
で「軍には大将軍を魂とす」との仰せがありますが、何十万・何百万という軍隊があったとしても、軍隊の集団行動の魂は指揮を執る大将軍にあるわけでありまするから「軍には大将軍を魂とす」と仰せられるのであります。
もしその大将軍が臆病風を吹かしておったならば、従う兵隊はことごとく臆病になってしまう。
大聖人様が「日本の武士団の指揮を執る北条時宗・平左衛門等が臆病風に吹かれている」という事を御断言であります。
この間、去年でしたか『北条時宗』なんていう大河テレビドラマがあったようですね。私はあれは見る気がしなかった。
くだらない俳優が大聖人に扮して出てくるんですが、聞いただけでもって畏れ多いと思った。
何という俳優でしたかね。奥田瑛二というんですか(大笑)畏れ多い限りであります。
ですから、私はああいうくだらない大河ドラマは見なかったんですが『北条時宗』の筋書きを見る限りにおいてまことに間違ったものでくだらない筋書きであった。
本当は北条時宗も平左衛門も怖じ恐れてどうしようもなかったんですね。それを大聖人様はここに喝破しておられる。
なぜ北条時宗や平左衛門が怖じ恐れたかわかりますか。これは、一般庶民とは違うんですよ。情報を握っているんですね。
一般庶民は「蒙古が攻めてくる」といっても風評ぐらいしか分からない。
ところが、鎌倉幕府の首脳部になってくれば現実に「蒙古がいかにすさまじい軍隊であるか」をよーく知っているんです。
なんせ東は満洲から西は地中海沿岸に及ぶ全地球上に及ぶ領土を持ち、世界中を征服してきた騎馬民族ですよ。
戦いの仕方も日本とは全く違う。その凄まじい侵略性、凄まじい残虐性、蒙古が侵略した後は何も残らなかったんですね。逆らう者は全部皆殺しであります。
そういうような凄まじい侵略性を北条時宗や平左衛門は知っておる。
だから、それがいよいよ本気になって日本を攻めてきた時に体の底から震えが来たんです。
しかも、その事が何に原因するかと言えば、かつて大聖人様が三度に渡って「必ず他国侵逼来るべし」とおっしゃった事、その大聖人様を流罪・死罪にした時に事実となってきた。
「これは仏罰だ」という事を北条時宗はよーく知っておった。だからそこに体から震えが来たから臆してしまった。
大将軍たる北条時宗が臆してしまったならば兵はことごとく本当に震えたんですね。
「逃げながら戦った」というのがこの時の実相であります。
平成14年 4月5日 『乙御前御消息』御書講義
- 説明
- 日妙殿のただならぬ宿縁
- 『乙御前御消息』の大意
- 蒙古襲来に怯える日本国一同の姿
- 戦いは長の一念によって決まる
- 日妙殿の健気なる信心
- 強き信心に立つ者は必ず守られる
- 同生天・同名天の存在
- 日蓮大聖人の強き御一念により諸天が守る姿
- 蒙古襲来と逆縁の広宣流布
- 日蓮大聖人の大慈大悲・絶大威徳で広宣流布は成る
- 仏様を命かけてお守りする者は必ず守られる
- 信心で積んだ功徳は決して壊れない
- 仏法に背く者の罰の姿
- 広宣流布は大地を的として必ず成る
- 広宣流布は急ぐ旅である
- 日妙殿・乙御前を守らんとする日蓮大聖人の大慈大悲
