「れはおんためにもうすぞ。いにしえおんこころざしもうばかりなし。れよりもいまいちじゅうごうじょうおんこころざしあるべし。ときいよいよじゅうせつじょおんまぼりもつよかるべしとおぼすべし。ためしにはくべからず。にちれんをばほんこくかみいちにんよりしもばんみんいたるまでいちにんもなくあやまたんとせしかども、いままでうてそうろうことは、いちにんなれどもこころつよゆえなるべしとおぼすべし」

 この段は、だいしょうにん御自身の体験を例として今一重の強きしんじんうながし給うたのですね。
 「れはおんためにもうすぞ」「このことは、にちみょう殿どののためにうのである」
 この間の『ひょうえのさかん殿どのへん』にもおんためだいいちだいもうすなり」と最初にありましたね。
 だいしょうにんさまはとにかくだんのためにことかざらずにためになることおおせになるわけであります。
 「いにしえおんこころざしもうばかりなし」の「いにしえ」とは「数年前、命かけてさんけいしたそのしんじんというものはうべきこともないほど立派である」ということです。
 「れよりもいまいちじゅうごうじょうおんこころざしあるべし」「さらにそれよりもいちじゅう強きしんじんこころざしを立てていきなさい」
 これは「たるんではいけない」「たゆんではいけない」ということですね。
 「ときいよいよじゅうせつじょおんまぼりもつよかるべしとおぼすべし」「さらにいちじゅう強きしんじんに立つ時、たゆみなきしんじんに立つ時、その人をだいおもってきょうしゅの鬼神であるじゅうせつもその人を守るのである」
 「このことの例をよそに見る必要はない、自分を見よ」だいしょうにんおおせあそばす。
 「にちれんをばほんこくかみいちにんよりしもばんみんいたるまでいちにんもなくあやまたんとせしかども、いままでうてそうろうことは、いちにんなれどもこころつよゆえなるべしとおぼすべし」と。
 だいしょうにんさまほんこくちゅうこくしゅから万民に至るまで全部ことごとく「ぶつかたき」とって憎んで誤解をして命を奪わんとした。
 そうでしょう、ほんこくちゅう寄ってたかってついにだいしょうにんさまを竜の口の砂浜にまでえまいらせた。
 しかしながら、こっけんりょくだいしょうにんおんくびねることはできなかった。
 今までこのように厳然としてあることは、だいしょうにんはたったお一人であっても心の強きゆえである。
 もし弱き心を起こしたらこんなことはありない。強き心なるがゆえにしょてんが厳然と守るのである。
 だいしょうにんさまがいかに強きお心をお持ちになっておられたか。あの『かいもくしょう』のもんを拝読してごらんなさい。
 「せんずるところてんをもたまへ、諸難しょなんにもえ、身命しんみょうとせん」というんでしょう。
 しょてんしゅなどあてにするんじゃない。「しょてんも捨てるのなら捨てなさい」とまでおおせられて「命ある限り」と強きしんじんに立つことおおせられる。
 そして

くびねんねんぶつもうさずばなんどのしゅじゅだいなんしゅったいすとも、しゃやぶられずばもちいじとなり。ほかだいなんかぜまえちりなるべし。
 われほんはしらとならん、われほんげんもくとならん、われほんたいせんとならんとうちかひしがんやぶるべからず」

おおせられるこのてっせきのお心がほとけさまのお心であります。
 私達は到底このようなこころを持てるはずもない。
 そこで、今の私達の心の強きというのはだいしょうにんさま忠誠ちゅうせいを尽くす事、だいしょうにんさまを裏切らない事。
 その心の強きによって自然としょてんに守られるのであります。
 まことに、だいしょうにんさまが御自身の御振る舞いを通して「このように、ほんこくちゅうが殺そうとしても誰人も指一本出せないではないか」とのこの厳然なるお姿をもってにちみょう殿どの「弱き心を起こしてはいけない。つねに強くほんぞんしんじよ」ということなんくだされているのでああります。


平成14年 4月5日 『乙御前御消息』御書講義