「是れは御ために申すぞ。古の御心ざし申す計りなし。其れよりも今一重強盛に御志あるべし。其の時は弥々十羅刹女の御まぼりもつよかるべしとおぼすべし。例には他を引くべからず。日蓮をば日本国の上一人より下万民に至るまで一人もなくあやまたんとせしかども、今までかうて候事は、一人なれども心のつよき故なるべしとおぼすべし」
この段は、大聖人御自身の体験を例として今一重の強き信心を促し給うたのですね。
「是れは御ために申すぞ」「この事は、日妙殿のために言うのである」
この間の『兵衛志殿御返事』にも「御為に第一の大事申すなり」と最初にありましたね。
大聖人様はとにかく弟子・檀那のために言葉も飾らずにためになる事を仰せになるわけであります。
「古の御心ざし申す計りなし」の「古」とは「数年前、命かけて佐渡に参詣したその信心というものは言うべき言葉もないほど立派である」という事です。
「其れよりも今一重強盛に御志あるべし」「さらにそれよりも一重強き信心の志を立てていきなさい」
これは「たるんではいけない」「弛んではいけない」という事ですね。
「其の時は弥々十羅刹女の御まぼりもつよかるべしとおぼすべし」「さらに一重強き信心に立つ時、弛みなき信心に立つ時、その人を大事に思って法華経守護の鬼神である十羅刹もその人を守るのである」
「この事の例をよそに見る必要はない、自分を見よ」と大聖人は仰せあそばす。
「日蓮をば日本国の上一人より下万民に至るまで一人もなくあやまたんとせしかども、今までかうて候事は、一人なれども心のつよき故なるべしとおぼすべし」と。
大聖人様を日本国中国主から万民に至るまで全部ことごとく「阿弥陀仏の敵」と言って憎んで誤解をして命を奪わんとした。
そうでしょう、日本国中寄ってたかってついに大聖人様を竜の口の砂浜にまで引き据えまいらせた。
しかしながら、国家権力も大聖人の御頸を刎ねる事はできなかった。
今までこのように厳然としてある事は、大聖人はたったお一人であっても心の強きゆえである。
もし弱き心を起こしたらこんな事はあり得ない。強き心なるがゆえに諸天が厳然と守るのである。
大聖人様がいかに強きお心をお持ちになっておられたか。あの『開目抄』の御文を拝読してごらんなさい。
「詮ずる所は天をも捨て給へ、諸難にもあえ、身命を期とせん」というんでしょう。
諸天の守護などあてにするんじゃない。「諸天も捨てるのなら捨てなさい」とまで仰せられて「命ある限り」と強き信心に立つ事を仰せられる。
そして
「父母の頸を刎ねん念仏申さずばなんどの種々の大難出来すとも、智者に我が義破られずば用いじとなり。其の他の大難風の前の塵なるべし。
我日本の柱とならん、我日本の眼目とならん、我日本の大船とならん等とちかひし願破るべからず」
と仰せられるこの鉄石のお心が仏様のお心であります。
私達は到底このような心を持てるはずもない。
そこで、今の私達の心の強きというのは大聖人様に忠誠を尽くす事、大聖人様を裏切らない事。
その心の強きによって自然と諸天に守られるのであります。
まことに、大聖人様が御自身の御振る舞いを通して「このように、日本国中が殺そうとしても誰人も指一本出せないではないか」とのこの厳然なるお姿をもって日妙殿に「弱き心を起こしてはいけない。常に強く御本尊を信じよ」という事を御指南下されているのでああります。
平成14年 4月5日 『乙御前御消息』御書講義
- 説明
- 日妙殿のただならぬ宿縁
- 『乙御前御消息』の大意
- 蒙古襲来に怯える日本国一同の姿
- 戦いは長の一念によって決まる
- 日妙殿の健気なる信心
- 強き信心に立つ者は必ず守られる
- 同生天・同名天の存在
- 日蓮大聖人の強き御一念により諸天が守る姿
- 蒙古襲来と逆縁の広宣流布
- 日蓮大聖人の大慈大悲・絶大威徳で広宣流布は成る
- 仏様を命かけてお守りする者は必ず守られる
- 信心で積んだ功徳は決して壊れない
- 仏法に背く者の罰の姿
- 広宣流布は大地を的として必ず成る
- 広宣流布は急ぐ旅である
- 日妙殿・乙御前を守らんとする日蓮大聖人の大慈大悲
