そして、にんげんとして生まれるということはこれだけでもどくがあり果報があるんですね。
 犬や猫などの畜生や様々な下等な生物に生まれず、地球上の生態系の中では最高のにんげんかいに生まれるという事自体がすでに一つの福運であります。
 ですから、にんげんとして生まれた以上はいかなる人にも必ず二つの天が影のごとくにっているのである。
 その一つをどうしょうてんといい、もう一つをどうみょうてんという。
 そのどうしょうてんどうみょうてんが左右の方にいつもついてその人をしゅする。
 ゆえに、特別悪いことをするということでもなければ、人と生まれた以上は天もそれをあやめることはない。
 いかにいわんや善人においておやということなんです。
 これは、人と生まれた以上は何らかの福徳を持つがゆえに、どうしょうてんどうみょうてんがその人の果報に応じて守っていくのである。
 このしょにもありまするが、このどうしょうてんどうみょうてんというのはぼんてんたいしゃくが人と生まれた者を守らせるためにこの二つの天を肩に背負わせるのである。
 生まれたばかりの肩だけではない、母のたいないに入った時からこのどうしょうてんどうみょうてんがその人を守るためについているのである。
 そして、母親のたいないから出てきて死んで終わるまで左右の肩についてはなれないんですって。肩が重いとおもったらそうおもってください(大笑)。
 そしてこのどうしょうてんどうみょうてんは善いことにつけ悪いことにつけ一々にその行動を天に登ってぼんてんたいしゃくに報告するということなんです。
 ですから、そこに悪いことを重ねてくると、その者はたとえにんげんとして生まれても自分で防ごうとおもっても防げないで命を落とすようなことになってしまう。
 しかし、もし善いことをするならば今度はぼんてんたいしゃくどうしょうてんどうみょうてんの便りを聞いて守るのだということであります。
 されば、みょうらくだいの曰くにはこころかたきにりてかみまもすなわつよし」しんじんが固いことによってしょてんぜんじんはその人を守るのである」というのはこういうことなんですよ。
 「ひとこころかたければかみまぼかならつよしとこそそうらへ」ほんぞんしんずる心が固ければしょてんぜんじんの守りも強くなる」という事。
 だから、ある時はしんじ、ある時はうたがうというフラフラしているようなペラペラな薄っぺらなしんじんではしょてんぜんじんは守らないということなのであります。
 そしてこのどうしょうてんどうみょうてんことぶっぽうでわかってきたらば、法律なんかでばっしなくても悪いことをする者はないですよね。
 今の世の中はうそをつきっぱなしでしょう。
 ことに、せいの姿を見ると『どうしてあんなにうそをつくのか』とおもう。せいはろくな者がいないですね。
 これが広宣こうせん流布るふの前夜なんですが、せいが全部信用をうしなった時はこっはもうまとまりがなくなりますね。
 今のこの秘書の給料のピンハネでも与党野党問わずあらゆるせいがやっているんじゃないですか。
 そして、この間まではムネオ・キヨミとまるでまんざいのコンビみたいなものですが(大笑)、今度はマキコなんて者がくわわってトリオとなった(笑)。
 この者達を含めみんなせいうそをついてくるんでしょう。この連中はぶっぽうを知らないんですね。
 もしどうしょうてんどうみょうてんことを知ったらうそをつくということはしなくなりますよ。
 いくら口でうまいことったってどうしょうてんどうみょうてんが「この者は勤行をまなけております」と全部報告するから全部わかっている。
 これが「ほとけさまおんを恐れる」ということなんです。
 「誰が見ていようといまいとだいしょうにんさまらんあそばす」ということでもって自分の行をつつしむというのが賢人であります。


平成14年 4月5日 『乙御前御消息』御書講義