対して、極限の大謗法を犯し、未曾有の邪教化に陥った学会、そして、御遺命を売り渡した罰で餓鬼道に堕した宗門が共に凋落の一途をたどる姿を見てはなおの事、御本仏の厳たる御仏意に五体が打ち震えてまいります。
また
「仏法は摂受・折伏時に依るべし」
との仏法の弘め方について先生は『開目抄』の
「摂折の二門を弁えずば、いかでか生死を離るべき」
との御文をもって重大事をお教え下さいました。
信心が不純になり、大聖人に対し奉る忠誠心がなくなると、末法に摂受を持ち込む事を先生は指摘され、池田大作の所業こそ臆病と保身から発する似非摂受であると喝破されました。
先般発刊された『創価学会教学要綱』における折伏に関する記述を見てもその似非摂受ぶりは度し難いものがあります。
教学要綱において池田大作一党は「令和3年に制定した創価学会社会憲章にある仏法の寛容の精神に基づき、他の宗教的伝統や哲学を尊重する」との内容を強調し、さらに「実際の弘教においては、仏法の寛容の精神に基づき相手の立場や思想を尊重しつつ、智恵を発揮して共感と納得の対話を貫く事を重んじている」などと述べ、完全に折伏の精神を捨て去ってしまっております。
この学会の似非摂受について先生はかつてこのように痛烈に喝破されました。
「大聖人様の折伏は自讃毀他ではない。
三大秘法だけが一切衆生の成仏の大法であり、国家安泰・世界平和の唯一の正法である。
他宗はことごとく人を不幸にする邪法である。
ゆえに『邪法を捨てて正法を立てよ』と仰せ給うのである。
まさに、破邪立正の折伏こそ大慈大悲なのである。 ゆえに『開目抄』には大聖人様の折伏を批判する輩に対し、涅槃経の序を引いてこう仰せ下されている。
『慈なくして詐り親しむは是れ彼が怨なり、乃至、彼がために悪を除くは則ち是れ彼が親なり』と。
今学会は選挙の票欲しさに世間に諂い、大聖人の御心に背く憲章まで今回新たに作った」と。
まことに「天台沙門」と名乗り、日蓮大聖人の御徳を隠し、似非摂受に陥った五老僧の姿を全く同じであります。
教学要綱の話のついでに六百万学会員を救わん特集号に対する学会の反応について触れておきます。
六百万学会員を救わん特集号が連連と発刊され、真面目な学会員が続々と正義に目覚め、大確信で立ち上がる大潮流が起きている事にいたたまれなくなった池田大作一党が、敵対団体を攻撃するための媒体で3月26日から29日の4日に渡って顕正会を誹謗する記事を掲載しておりました。
その中の一つのタイトルはこういったものでした。
『顕正会は大聖人の仏法とは異質の邪教』『広告文と遥拝勤行で学会員を救うとは笑止』とは一体何を血迷っているのでしょうか。
誰がどう見ても「大聖人の仏法とは異質の邪教」とは他ならぬ学会の事であります。笑止とはこちらのセリフであります。
4号もの紙面を使って何をだらだら書いているのか一瞥してみると「邪教顕正会の顕正新聞が、最近は学会に対して的外れな誹謗中傷を並べ『未曾有の邪教化』などと批判して『広告文と遥拝勤行で学会員を救わん』と繰り返し、今月3月25日付の新聞でも学会批判の記事で埋め尽くしているが笑止千万」などと精一杯強がってみせていました。
しかし、何とも滑稽なのは「未曾有の邪教化」などに対する呵責を「的外れの誹謗中傷」と言いながら、それに対する反論が一切なされていない事であります。
学会ではこの教学要綱について何と言っているかといえば「創価学会が実践する日蓮仏法の骨格・核心について論じられている」とか「創価学会こそ日蓮仏法の唯一の正当な教団である事を明確に示したもの」と宣伝しております。
例によって「日蓮仏法」などと信心なきゆえに失礼千万な言い方をしておりますが、もしそこまで教学要綱に誇るべき内容が記されているのであればこちらの破折に対して堂々と反論すべきであります。
しかるに、教学要綱の「き」の字も出さず、一言たりとも一連の特集号の内容に触れられないのです。
これ、下手に触れたら池田大作一党の極限の大謗法、未曾有の邪教化等が学会員の知る所となり、藪蛇になってしまうからであります。
かといって、何も手を打たなければ多くの学会員が顕正会に続々と入会してしまうため浅井先生の悪口だけを書きなぐるしかなかったそうです。
結局のところ、極限の大謗法、未曾有の邪教化、その他の池田大作一党の稚拙な己義に対する顕正会の破折に対し、池田大作一党は公式の出版物では何も触れられず、件の媒体で密かに中傷する事しかできず、完全に反論不能である事が露呈してしまったのです。
六百万学会員はこの池田大作一党の腑抜けぶりをもって学会の誤りに早く気づき、正しき師匠浅井先生に師事すべきであります。
また、先程の登壇でもありましたが、今学会員が次々に顕正会に入会しているため、学会組織では顕正会対策に躍起になっているそうです。
その具体的対策なるものは「顕正会員が学会員の所に折伏しに来たら警察に通報せよ」というものだという。
過去に学会は「K対策」という顕正会対策マニュアルを作成し、全国の学会組織に周知徹底した事がありました。
その内容は「顕正会員が学会員宅を訪れたら、学会員である事を隠し一般人を装って警察へ通報せよ」というものでした。
学会は、今回もこのような通報を積み重ね、警察等の公権力が顕正会員の活動を警戒注視せざるを得ない状況を作る事で事件性のない物でも顕正会員が関わっていれば厳しい捜査をするよう暗に仕向け、また、マスコミを使って「警察へ数多くの通報が寄せられていた」などと大々的に報道させるのでしょう。
そうすれば、顕正会を「犯罪集団」「危険集団」と印象付けられ、学会の組織防衛を図る事ができるのです。
これあたかも、御在世において法義では太刀打ちできない良観が権力者に讒言して大聖人様の御命を奪わんとした所業のごとくであり、学会はこのような謀略的な対応を構える事しかできないのであります。
大聖人様は
「吾が一門の人々の中にも、信心もうすく、日蓮が申す事を背き給わば蘇我が如くなるべし」
と「信心不純で大聖人の仰せに背くならば蘇我のように身を亡ぼす」事を仰せ給うておられます。たとえ学会が最後の悪あがきであらゆる策謀を巡らせても、日蓮大聖人の御遺命に背いた上に極限の大謗法を犯し、未曾有の邪教化に陥った学会は、諸天の鉄槌により正本堂が轟音と共に崩壊したごとく、一時に瓦解する事断じて疑いありません。
されば
「私は学会員を憎いと思った事は一度もない。ただ不憫に思っている」
との先生のお心を帯し、罰に呻吟し入阿鼻獄となる学会員を救う戦いをいよいよ果敢に展開してまいろうではありませんか。令和6年 4月26日 4月度 総幹部会 浅井会長指導
- 説明
- 浅井先生の指さされるままに進む顕正会の戦い
- 命限りあり、惜しむべからず
- 師子王のごとくなる心を持てる者必ず仏になる
- 宗門僧侶の腐敗堕落の実態
- 浅井先生の師子王のごとき大忠誠心の数々
- 池田大作一党の似非摂受の姿
- 時に適う御奉公
- 亡国の大難の数々