でぼんというのは人から悪口わるくちわれることがたいでしょう。
 人に馬鹿ばかにされたり悪口わるくちわれたりするとものすごく気になるものですね。これが気にならないひとなんでいません。誰でもちょっとした悪口わるぐちでも気になる。
 ですから、ちゅう学生がくせい高校生こうこうせいがメールでもって遠いじんからみんなに悪口わるくちわれて、それが気になってがたくて死んじゃうなんてこともあるじゃないですか。
 だから、もし信心してなければ人から悪口わるくちなんかわれると、それだけでカーッとなってけんを始めるなんて人間にんげんもいくらでもいる。
 ところが、一度ひとたび本尊ほんぞんを信じてくると、ぶっぽうのためにはおこらなくなるんですね。
 しゃくぶくの場でもってどんなに悪口わるくちわれても、ムキになって相手と対等たいとうになってぶん殴ったって話は聞いたことがないでしょう(大笑)。
 よく体験たいけんはっぴょうで聞くんですよね。
 昔の古い友達ともだちしゃくぶくした。相手が慢心まんしんしてとんでもない悪口わるくちった。
 昔ならひっぱたいてやろうとおもってたけれどじっとまんをしている。
 そしたら相手がおどろいて「よくお前は変わったな」とってその姿を見てにゅうしんした(大笑)。
 そういうようなこと度々たびたびよく聞きますが、それは本当にだいにんにくりきが出てきたんですよ。
 本当にことぶっぽうのためにはしのぶというような自然とそういう力が出てくる。
 だいしょうにんさまいちにんにん悪口わるくちじゃないですね。
 国中がじゃしゅうぼう煽動せんどうによってだいしょうにんさま悪口わるくちった。むしろだいしょうにんさまはそれをおよろこびになられた。
 ひとふた迫害はくがいではない。一国いっこく万民ばんみんつるぎにぎる。
 そして国主こくしゅざいざいにした。
 それをだいしょうにんさま「これほどのよろこびをばわらへよかし」といってお喜びくだされた。
 我々われわれにはそんな気持ちは到底とうてい持てません。
 ただし、自分達も世間の三毒さんどくごうじょうぼんとはちがうんですよ。もったいなくもだいしょうにんさま眷属けんぞくである。
 地涌じゆさつ一分いちぶんとなった以上は、やはり分分に応じてねんけんだいにんにくりきを持たなければいけない。
 これは、一切いっさいしゅじょうなんて大それたことは自分達には持てません。
 「だいしょうにんさまを裏切らない」ということなんです。
 日蓮にちれんだいしょうにんに対したてまつちゅう誠心せいしん、このちゅうせいつらぬく者においてはねんけんにして、だいにんにくりきあり」これなんですよ。
 「いっしょうがいだいしょうにんさまを裏切らないで信心をつらぬいていこう」とのその一念いちねんが強ければ必ずじょうぶつさせていただける。
 だから、だいしょうにんさま

こころひるがえさず一筋ひとすじしんたまうならば、げん安穏あんのんしょう善処ぜんしょたるべし」

ということ大難だいなんの中にいるうえ殿どのおおせになられました。
 「その時に、心をひるがえしてはいけない。だいしょうにんさまを裏切ってはいけない」ということであります。
 そして私達は、だいしょうにんさまれんして、そしてしょうがいちゅうせいつらぬいていけばよろしいということであります。


平成24年 10月21日 浅井先生指導