そして、だいにんにくりきというのは、同じく『開目かいもくしょう』に

なんしのび、慈悲じひすぐれたることをそれもいだきぬべし」

とこうおおせになっておられる。
 だいしょうにんさま大難だいなんしのび給うた。
 慈悲じひすぐれたること天台てんだいでんぎょうも恐らくは及ばないであろうということをそれもいだきぬべし」おおせになっておられるわけでありまするが、日寛にっかんしょうにんはこの文を釈してこうおおせになっておられる。

 「そと大難だいなんしのぶは、うち慈悲じひすぐるるがゆえに」

 「いかなる大難だいなんしのばれるということは、すなわちだいしょうにんさまうちだいだいがおありになるからだ。その慈悲じひのゆえに大難だいなんしのばれるのだ」

 まことにそのとおりですね。
 お引きになられてえば。母親ははおやどもを育てる。
 どもいっちょう一夕いっせきに育つものじゃない。簡単かんたんに育つものじゃないですよ。
 母親ははおやがいくらおっぱいをやろうとしてもむずがって一晩ひとばんじゅう泣き止まないでおっぱいをもうとしないこともある。
 昼間働いて疲れて、夜も眠れない母親ははおや一晩ひとばんじゅう泣くどもいて「何としてもちちふくませよう」とこういうようなことをする。
 慈悲じひがなかったらどもなんか投げ捨てちゃうじゃないですか。
 それを「いかなることがあろうとも、つらかろうとも、とにかくどもを育てよう」というのは母親ははおやあい一念いちねんである。
 ほとけさまたいしゅうに「何とかじょうぶつせしめたい。お題目だいもくとなえさせよう」とのこのもまた母親ははおやどもちちを含めるのと同じ。
 ですから『かんぎょう八幡はちまんしょう』にははせきくちちちれんとはげむ慈悲じひなり」おおせになっておられる。
 このだいにんにくりきをもって、一切いっさいしゅじょうにお題目だいもくをお勧めくだされたということであります。
 これがほとけさまだいにんにくりきですね。


平成24年 10月21日 浅井先生指導