まさに、大聖人様のお姿を拝見すればその通りですね。
大聖人様が御年32歳の立宗の時に、透徹の御智恵で
「末法の一切衆生の成仏の叶うのはこの三大秘法以外にはない。
念仏・真言等の者は今日本国中が信じているけれども、これは悪法である。地獄に堕ちる邪法である。これを捨てよ。
成仏の法はこれしかない」
という事をお悟りになって、そして「南無妙法蓮華経と唱えよ」と一切衆生にお勧め下された。
しかし、この事を言うならば必ず命に及ぶ大難があるであろう。
その時に大聖人様は立宗の時に御決意あそばした。大誓願を起こされた。
「いわずば慈悲なきににたり。乃至、今度、強盛の菩提心ををこして、退転せじと願じぬ」
「もしこの三大秘法の事、一切の諸法は邪法である事、この事を言わなければ無慈悲ではないか。
さらに、いかなる大難があろうとも退転は断じてしない」
これが、立宗の時の御決意・志念であられた。
そしてその後、御覚悟のごとく大難が波のごとく押し寄せた。
そして、ついに御年50歳の時には竜の口の頸の座にお座りになって、さらに骨まで凍る佐渡まで流された。
その佐渡の雪の中で何と仰せられたか。
「本と願を立つ。日本国の位をゆづらむ、法華経をすてて観経等について後生を期せよ、父母の頸を刎ねん念仏申さずばなんどの種々の大難出来すとも、智者に我が義やぶられずば用いじとなり。其の外の大難風の前の塵なるべし。
我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ等とちかひし願やぶるべからず」
と仰せられた。
「本と願を立つ」というのは、立宗の時に「日本国の一切衆生、全人類を救わん」とこの一つの願をお立てになられた。
そして、いかなる大難来るとも、大聖人様にとって最も耐え難い大難は「父母の頸を刎ねん」とのこのような脅迫ですね。
ですから、大聖人様はその他の大難は風の前の塵だ。両親を殺すというような脅迫に比べれば、あとの大難は風の前の塵、これが凡夫と違うところなんです。
大聖人様は御自身の頸が刎ねられるという事を「そんな事は風の前の塵である」と仰せられる。
しかし、断じて到底耐える事のできない大難は何かといえば「父母の頸を刎ねん」という事なんです。
これだけは、孝養の心厚き大聖人様にとって耐え難い。
しかし「三大秘法以外に成仏の法はない。それを捨てろという以上はその父母の頸を刎ねるという脅迫すらも断じて受けない」これが仏様の御心ですよ。
日寛上人がこの御文を拝して「紅涙白紙に点ず」といって「紅の涙が白い紙に点々と落ちる」とおっしゃっておられる。
まさに、この大聖人様の一切衆生を救わんとの鉄石の御心、これが仏様のお心なんですね。
まさに一貫不変・志念堅固であられる。
平成24年 10月21日 浅井先生指導