『妙法蓮華経 従地涌出品 第十五』に宣給わく
其の志念堅固にして、大忍辱力あり。
婦人部大会、
先般の
御大会式でしばしば話してまいりましたが、
涌出品における
地涌の
菩薩の
出現、あの時の姿において、まず
釈尊は、
迹化・
多宝の
大菩薩等が
末法の
弘通を
真剣に願い出たんですね。
「もしお許しを
賜わるならば、自分達は命を捨てて
弘通させて
頂きます」とのこの切なる願いを
釈尊は
「止みね、善男子」といってこれを
制止された。
なぜこれを
止められたかと申しますると、
迹化・
多宝の
大菩薩には、
末法の恐ろしい
大難は
到底耐えられるものではない。
もう一つ、
迹化・
多宝の
大菩薩は
下種の
仏法には縁がない。
本法所持の
人ではない。すなわち、
三大秘法を
受持する人ではない。
よって「
末法に
弘通する
資格がないのだ」とこういう
事から
釈尊は
「止みね、善男子」といって
制止されて
直ちに
大地の底よりはるばると
上行菩薩に
率いられた
六万恒河沙の
無数の
地涌の
菩薩を
召し
出だして
付嘱をせられて、
末法弘通のその
体験という
事を
予言証明せられたわけでありまするが、その
上行菩薩に
率いられた
地涌の
菩薩の
巍々堂々たる姿を
眼前にして、
釈尊の
第一の
弟子である
補所の
菩薩といわれる
弥勒菩薩、
釈尊と
紙一重の
智恵を持っておる
弥勒菩薩が「そのような
荘厳なる
地涌出現の
儀式を今まで自分は見た
事がありません。一体このような
立派な
菩薩方はどこから来たのでございましょうか」といってその
地涌の
菩薩の
威徳を
称えて
釈尊にこれをうかがい
奉る。
その中の段にこの
弥勒菩薩の
言葉として、
上行菩薩のお徳を
讃嘆して
「其の志念堅固にして、大忍辱力あり」
「まことに、私が今まで見た事がございません。志念堅固にして大忍辱力がある」
とこの
言葉をもって
上行菩薩は
讃嘆した。
それが
只今の
涌出品の
経文であります。
「
志念」の
志とは
志、
念は
一念信の
念、それが
堅固である。
すなわち、
上行菩薩が
末法の
一切衆生をお救いになるその
一念の固さは
金剛のごとく
堅固であるという
事。
それから「
大忍辱力あり」の「
忍辱」とは
忍は
忍ぶ、
辱は
辱めですね。
どのような
悪口を
言われても、どのような
侮辱をされてもそれを
忍んでいく
力がある。
このように、
上行菩薩が
末法の
大衆をお救いになる。
三大秘法をお
弘めになる。
そのお徳というものはまさに
「志念堅固にして、大忍辱力あり」と。
平成24年 10月21日 浅井先生指導