じゅんえんこうの今でも、その時にしゅを受けた人は続々と出てくるじゃないですか。
 あの時に悪口わるくちったざいしょうはなかなか取れないですよ。それが今のしゃくぶくで取れていくんですね。
 でこのようにいまぼうぜし人々ひとびととなたまうらん」といって大もうのあの一つの大罰だいばちによってみんなほん一同いちどうが心にかいを起こしてみょうほうれんきょうと命の奥でもって必ずとなえているということがこのおことであります。これが、ざいぎゃくえんこうせんである。
 そして、らいことですが

またかみいちにんよりしもばんみんいたるまで、きょう神力品じんりきほんごと一同いちどういちどうみょうほうれんきょうとなたまこともやあらんずらん。
 しづかならんとおもへどもかぜやまず、はるとどめんとおもへどもなつとなる。
 ほんごく人々ひとびときょうたうとけれども日蓮にちれんぼうにくければみょうほうれんきょうとはとなえまじとことはりたまうとも、いまいちだいもうこくよりせて、ないつよめんときはいかでかみょうほうれんきょうとなえざるべき」

「将来のじゅんえんこうの時はかみいちにんよりしもばんみんに至るまで天皇てんのう以下全こくみんが『みょうほうれんきょう』『日蓮にちれんだいしょうにん』ととなえることが必ずある。
 木は静かになろうとおもっても風はやまない。はるとどめようとおもっても必ずなつとなるではないか。
 こうせんれき必然ひつぜんである。誰がぼうがいしようともしれないんですね。
 ほんごくの人々は『きょうとうとい、ぶっきょうは結構だけれども、日蓮にちれんだいしょうにんが憎ければ自分はみょうほうれんきょうとなえない』と強情を張って拒絶きょぜつしようとも、らいこうせんの時にふたたび国が亡んで人の命がなくなるというこの恐ろしいこく侵逼しんぴつが自分の身辺しんぺんに押し寄せてきた時、そして、強くめられる時にどうしてみょうほうれんきょうとなえずにいられようか」

とこうおおせになっておられる。
 ざいのときも諸天しょてん大罰だいばちによってぎゃくえんこうせんは成った。
 らいじゅんえんこうの時も、やはり国が亡ぶ大罰だいばちの来る時に初めてみんなが目覚めてこうせんするんですね。
 それだけみんな元品がんぽんみょうが強いし、なかなかだいしょうにんさまの偉大なる恩徳おんとくに目覚めるという人はまず宿しゅくえんある地涌じゆさつがそれをおつだいするんですね。
 これは「もうだいしょうにんがい信ずるお方はない」必ずこれがきゃっかんじょうせいの恐ろしさと、顕正会のかんぎょうによってみんながだいしょうにんさまそんざいめてくるんですね。


平成25年 7月14日 浅井先生指導