ですから、法華経は二十八品あります。
それをよく読みますとね「正き事はわずかなり」と言って大事な肝心の法体をお説きになった部分はほんのわずかである。
後の事は全部それを讃嘆する言葉で埋め尽くされているという事なんです。
法華経二十八品の前十四品を迹門といい、後の十四品を本門という。
迹門の肝心は方便品の諸法実相です。
「所謂諸法、如是相、如是性」とこれが肝心である。詳しく説明はいたしません。
そして、本門の肝心は、本門寿量品の久遠実成を説いた寿量品の一品、これが肝心ですね。
後は全てその事を讃嘆する言葉である。
なかんずく、寿量品の文底には下種の御本尊様の事が説かれている。
この下種の御本尊こそまさしく法華経の肝心中の肝心。
これを説いた所は本門寿量品の文底のわずかな所である。
しかし、あとの経文はそれを讃嘆する事ばかりである。
そうでしょう、寿量品の文底にこの下種の有難い御本尊を釈尊がひそかにお説きになった。
次の分別功徳品ではこの御本尊を「理解なんかとんでもない。何も分からなくても一念信解をする功徳」それが説かれているんですね。
分別功徳品でこの御本尊を一念信解する功徳が説かれている。
次の随喜功徳品、この御本尊の話を聞いて『有難い』と思って黙っていられない。
そして隣の人に話した。その次の人もまた同じように話した。それが五十展転ですね。
この御本尊を歓喜して五十展転する功徳が随喜功徳品に説かれている。
それから、法師功徳品においては、この御本尊を受持信行する(すなわち勤行をする)というこの一つの事、この功徳があふれている。
それから、不軽品においては、この御本尊を逆縁の者にも教えていくこの逆縁の折伏の功徳が説かれている。末法弘通の本化が説かれている。
このように、寿量品の文底に下種の御本尊をお説きになった。
その後は全部この御本尊の功徳が次々次々に説かれている。これが、二十八品の姿である。
これは、誉める事によって一番肝心要の御本尊の功徳がいよいよ増すからなのであるという事なんです。
平成25年 7月14日 浅井先生指導