ですから、きょうじゅうはっぽんあります。
 それをよく読みますとねまさしことはわずかなり」ってだいかんじんかんじん法体ほったいをお説きになった部分はほんのわずかである。
 後のことは全部それを讃嘆さんたんすることで埋め尽くされているということなんです。
 きょうじゅうはっぽんの前じゅうよんほんしゃくもんといい、後のじゅうよんほん本門ほんもんという。
 迹門のかんじん方便品ほうべんぽん諸法しょほう実相じっそうです。
 「しょーいーしょーほうにょーぜーそうにょーぜーしょうとこれがかんじんである。詳しく説明せつめいはいたしません。
 そして、本門ほんもんかんじんは、本門ほんもん寿じゅりょうほんおんじつじょうを説いた寿じゅりょうほん一品いっぽん、これがかんじんですね。
 後はすべてそのこと讃嘆さんたんすることである。
 なかんずく、寿じゅりょうほん文底もんていにはしゅ本尊ほんぞんさまことが説かれている。
 このしゅ本尊ほんぞんこそまさしくきょうかんじんちゅうかんじん
 これを説いた所は本門ほんもん寿じゅりょうほん文底もんていのわずかな所である。
 しかし、あとのきょうもんはそれを讃嘆さんたんすることばかりである。
 そうでしょう、寿じゅりょうほん文底もんていにこのしゅ有難ありがた本尊ほんぞんしゃくそんがひそかにおきになった。
 次の分別ふんべつどくほんではこの本尊ほんぞんを「理解なんかとんでもない。何も分からなくても一念いちねんしんをするどく」それがかれているんですね。
 分別ふんべつどくほんでこの本尊ほんぞん一念いちねんしんするどくが説かれている。
 次のずいどくほん、この本尊ほんぞんの話を聞いて『有難ありがたい』とおもって黙っていられない。
 そして隣の人に話した。その次の人もまた同じように話した。それがじゅっ展転てんでんですね。
 この本尊ほんぞんを歓喜してじゅっ展転てんでんするどくずいどくほんに説かれている。
 それから、ほっどくほんにおいては、この本尊ほんぞんじゅしんぎょうする(すなわちごんぎょうをする)というこの一つのこと、このどくがあふれている。
 それから、きょうぼんにおいては、この本尊ほんぞんぎゃくえんの者にも教えていくこのぎゃくえんしゃくぶくどくが説かれている。まっぽうづうほんが説かれている。
 このように、寿じゅりょうほん文底もんていしゅ本尊ほんぞんをお説きになった。
 その後は全部この本尊ほんぞんどくが次々次々に説かれている。これが、じゅっはっぽんの姿である。
 これは、誉めることによって一番かんじんかなめ本尊ほんぞんどくがいよいよすからなのであるということなんです。


平成25年 7月14日 浅井先生指導