じょうきん殿どのへん』にたまわく
 うんきわまりぬればへいほうもいらず、ほうきぬればしょじゅうしたがはず。所詮しょせんうんのこほうひかゆるゆえなり。
 ないぎしぞんめいおもはせたまへ、なにへいほうよりもきょうへいほうもちたまうべし。



 じょうきん殿どのに賜わったしょ一節いっせつ拝読はいどくいたしました。
 じょう殿どのというのは、北条一門の中のゆうりょくしゃの一人であるつかえた武士であります。
 げい達人たつじん、そしてちゅうの心もあつく、どうこころもあったんですね。ですから「めいである」ということの評判もたかかった。
 よって、主君しゅくんからも大変しんようをされてちょうあいされておったという方であります。
 でこの方の入信は建長7年ともうしまするから、だいしょうにんさまの立宗直後に鎌倉でもってだいしょうにんさまのお説法を目の当たりに拝聴して、大感動して帰依したんです。まさに、宿しゅくえんの深い人であります。
 そして、このじょう殿どのの最大の奉公ほうこうは何か、あのたつくちの大法難の時のおんともであります。
 だいしょうにんさまたつくちけいじょうに向かわれた。
 その急を聞いて、あのじょう殿どのがわらじもかずに裸足はだしでもってそのまま家を飛び出して、だいしょうにんさまの馬のくつわに取りすがってそのままたつくちまでおんとももうげた。
 で、頸の座を目の当たりにした時に、このごうごうちょくじょう殿どのただいまなり」ってしたというんです。
 それを御覧あそばしただいしょうにんさま「これほどのよろこびをばわらへよかし」おおせられたのでありまするが、この時じょう殿どのだいしょうにんさまおんくびが切られたならば、その場を去らずして自分も追い腹切っておんとももうげる』とのこのけつを固めておったという。まことに、捨て身のしんじんの方であります。


平成26年 3月9日 浅井先生指導