大聖人様が『下種本仏成道御書』に仰せになっておられる。
「他国侵逼の難とて四方より、ことに西方より責められ給うべし」
この「西方より」というのは当時は大蒙古、今でいうなら中国であります。
まさに、御在世の「四方より、ことに西方より」との仰せがその通りになっております。
いいですか、御在世の日本国は大慈大悲の日蓮大聖人の御頸を刎ねんとする血の凍るような大逆罪をした事によって諸天の厳しき諌めたる他国侵逼の責めを受けた。しかし、この大禍はまだ終わっていないんですね。
大聖人の御頸刎ね奉る大罪の罰はまだ終わらず、御在世だけに他国侵逼があるだけではなく、未来の日本国もまた他国侵逼の大罰を受ける。
よって、大聖人様は「大禍は現当二世に脱れ難くこそ候わんずらめ」という事を『下山抄』に仰せになっておられます。
ここに仰せの「現当二世」とは個人レベルにおけるそれではなく、まさしく国家に約しての御意ですね。
すなわち、もし「大聖人様の御頸刎ね奉るという何と恐ろしい大逆罪を犯してしまったものか」と血を吐くような深い懺悔がなければこの罪過は消えないんです。
御在世に他国侵逼の大罰を受けるだけではなく「現当二世に渡る」との仰せのまま未来日本国が再びその罪障によって他国侵逼の大罰を受けるという事を大聖人様は仰せになっておられる。
いいですか、大聖人御入滅後すでに七百有余年、だが、日本の人々は今だ大聖人様を信ぜずに背き続けているではないか。
なかんずく、あろう事か正系門家が御遺命に背いてしまった。
ことに学会は大聖人出世の御本懐たる戒壇の大御本尊様をも捨て奉った。これ、極限の師敵対・大謗法であります。どうして他国侵逼の大罰が起こらぬ事があろうか。
だが
「大事には小瑞なし、大悪起これば大善来る」
との仰せのごとく、御遺命破壊の大悪と他国侵逼の大罰こそまさしく広宣流布の大瑞なのであります。
大聖人様はこの大罰を用いて広宣流布をあそばす。
ゆえに『撰時抄』には
「前代未聞の大闘諍、一閻浮提にをこるべし。
其の時、日月所照の四天下の一切衆生、或いは国を惜しみ、或いは身を惜しむゆえに一切の仏・菩薩に祈りをかくとも験無くば、彼のにくみつる一人の小僧を信じて、乃至、一切の万民、皆頭を地につけ掌を合わせて、一同に南無妙法蓮華経と唱うべし」
と仰せあそばす。
順縁広布前夜における前代未聞の大闘諍とはまさしく全世界を巻き込んでの核の大戦争以外にはない。
この大闘諍が起これば日本が亡び、人類も絶滅する。
この大悲惨をお救い下さるのは、諸天に申し付ける絶大威徳まします日蓮大聖人ただ御一人であられる。
ゆえに
「日蓮によりて日本国の有無はあるべし。譬へば、宅に柱なければたもたず」
と仰せあそばす。
他国侵逼いよいよ迫る時、そして、国中が大罰に震えおののく時、大聖人様は無数の地涌の菩薩を召し出だし給うのであります。
この地涌の菩薩の大集団はただ一筋に「お救い下さる仏様はここにまします。早く日蓮大聖人を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉れ」とこう叫び戦うんです。
大聖人様の大恩徳と大慈大悲を全日本人に教え戦うのが地涌の菩薩の大集団顕正会の唯一の使命なのであります。
重ねて最後に『諸法実相抄』を拝し奉る。
「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか。
乃至、末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず。皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり。
日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へ伝ふるなり。未来も亦然るべし。是れ豈地涌の義に非ずや。
剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」
何と有難い仰せでありましょうか。
さあ、全顕正会員は「我、地涌の菩薩なり」との鉄石の大確信に立って応え奉らなければいけない。
大聖人様はお待ちあそばす。
早く三百万大法城を築き、広布最終段階の大事な御奉公を命かけて貫き、何としても大聖人様に応え奉ろうではありませんか。
令和4年 11月28日 11月度 総幹部会 浅井先生指導