そして、最後の「こくよりめらるる」とは、当時かいを征服しただいもうがいよいよ日本にっぽんに向かって押し寄せてきたことであります。
 だいもうはすでに5年前の文永11年に2万5千の大軍をもって襲来しゅうらいしている。
 もし再度襲来しゅうらいするならば今度こそ日本にっぽん亡国ぼうこくは必至となる。
 この状況を知って国中こくちゅうおびっておったんですね。
 その時にだい聖人しょうにんさまあらためて御予言くだされたのが今の『しゅっせのほんがいじょうじゅしょ』における最後の「こくよりめらるる」という部分であります。これが総罰そうばつの最後であります。
 果せるかな、この2年後の弘安4年、だいもうこくは前回とは比較にならぬ14万2千の大軍勢だいぐんぜいをもってせてきた。これで日本にっぽんは亡んで当然であったんです。
 だが、諸天しょてんに申し付け給うだい聖人しょうにんさま絶大ぜつだいとくによってもうぐん不思議ふしぎの撤退をして、日本にっぽんは守られたんです。
 あの弘安年中のもう襲来しゅうらいくらい不思議ふしぎなものはないですよ。
 14万2千の大軍たいぐんが博多湾にせてきて、海全体がもうぐんの軍船でいっぱいになった。それが、台風たいふうによってそのままかえしてしまった。
 これは、だい聖人しょうにんさま諸竜しょりゅうもよおして敵舟てきしゅううみしずめ、梵釈ぼんしゃくおおけて蒙王もうおうるべし」と『滝泉りゅうせん申状もうしじょう』におおせになっておられまするが、その通りのことが起きているんですね。
 しかも、もうの者もせいにならず、不思議ふしぎにそのまま全部引き返している。
 これが、だい聖人しょうにんさまどうの中における不思議ふしぎこく侵逼しんぴつであった。
 絶対ぜったいに亡びるという状況の中で亡びず、そして、敵陣もまた全部命を取られることなく台風たいふうによってかえされている。だい聖人しょうにんさまが全部お守りくださったんです。
 では、この弘安元年の総罰そうばつはなぜ起きたか。
 先にべたごとくに日蓮にちれんだい聖人しょうにん国中くにじゅうが邪法の悪僧どもにそそのかされて憎み、ざいざいに処したてまつったその大罰だいばつが現われた。
 そして、だい聖人しょうにんさまはこの大罰だいばつを用いて人々を改悔せしめて後生の大苦を救い給い、逆縁広宣こうせん流布るふをあそばされたのであります。


令和4年 11月28日 11月度 総幹部会 浅井先生指導

令和4年 11月30日 11月度 男子部班長会 浅井総男子部長指導