少し前に、自転車で姫路市の自宅と美作市の湯郷温泉を往復した話を記事にした。

 

姫路市⇔湯郷温泉(美作市)、往復サイクリング、再び・・・ | 武術とレトロゲーム (ameblo.jp)

 

 自分の母方の祖父母は、湯郷温泉よりもやや北に住んでいた。途中で家を建て替えたが、旧宅は曽祖父が生活していた家だった。

 そのために、小学生だった昭和の頃から、父親のマイカーに乗せられてこの国道179号線(JR姫新線沿い、出雲街道、美作道)は何度も行き来しており、感慨深いものがある。柿の木と栗の木があったので、秋は柿や栗を採って持って帰っていたし、ゴールデンウィークや正月などもよく訪れていた。

 

 

 子供の頃のことなので、記憶が変容している可能性もあるが、この道を通っていて昭和の昔にはよく見かけたのが、ワラ葺きかカヤ葺きの家や納屋。自分にはワラ葺きとカヤ葺きの区別がつかないが、葺き替える人材がいなくなったからであろう、トタンのような金属板に替えた家や、取り壊してしまった家ばかりになってしまった。確か、ワラ葺き(カヤ葺き?)の家や納屋は、昔ながらの土壁の家が多かった気がする。そして、道沿いのそれらの家には、ボンカレーやキンチョールや地酒の金属製の看板(ホーロー看板)が貼り付けられていることがよくあった。秋・冬の柿の木とワラ葺き(カヤ葺き?)の屋根、子どもの頃の姫路⇔美作の道中の第一印象だ。

 

1960s 大塚製薬製 ボンカレー ホーロー看板 | ブリキのおもちゃ&アンティーク TOY GARAGE (toy-garage.jp)

 

【昭和レトロ】キンチョールなど殺虫剤の研究 + 琺瑯看板古店舗と市内残存古民家散策 2022.11.11(金) : 伝説の場所 (livedoor.blog)

 

 今回は春だったが、秋の稲刈りの時期には、昔だと稲架掛け(はさがけ)をよく見かけた。昭和50年代~60年代には、コンバインで稲を刈り取ると同時に脱穀して、持って帰った乾燥機にかける農家はそれほど多くはなかった。稲を天日干しした米の方が、機械で乾燥させた米よりおいしいので、自宅で食べるぶんだけ天日で干すとの話も聞いたことがあった。基本的に、稲架掛け(はさがけ)のスタイルは以下のようなもので、自分の姫路の実家もこの干し方だった。

 

昔ながらの「稲架(はさ)掛け」 | 収穫から食卓へ | お米ができるまで | クボタのたんぼ [学んで楽しい!たんぼの総合情報サイト] (kubota.co.jp)

 

 美作市に近づくと以下のようなスタイルの稲架掛け(はさがけ)も、見かけたことを覚えている。

 

No.664 稲架(はせ)掛け (稲/花言葉:神聖): なおかつ フォトエッセイ (cocolog-nifty.com)

 

 脱穀後の稲わらも円状に積んで干す場合があるようだ。以下のリンク先、二つ目の画像を参照。

 

日進撫炉具: 積みわら (ik-sanjin.blogspot.com)

 

 

 反対に、昭和当時は見かけなかったが、現在サイクリングしていて驚いたのは、道沿いのオオキンケイギクの大繁殖。当時は植物にそれほど興味がなかったので、記憶違いの可能性も捨てきれないが、昭和の頃の5月・6月には、こんなに繁茂していなかったと思う。オオキンケイギクは特定外来生物で、キバナコスモスほどオレンジ色をしておらず、黄色に近い。全国的に大繁殖し、在来の野草を駆逐し、生態系を大きく変えてしまう可能性がある。

 

 

かれんな黄色い花…でも危険 特定外来生物オオキンケイギクに注意 [神奈川県]:朝日新聞デジタル (asahi.com)

 

外来生物対策-オオキンケイギクについて | 九州地方環境事務所 | 環境省 (env.go.jp)

 

untitled (env.go.jp)

 

 

 また、サイクリング中に思ったのだが、猪や鹿の侵入を防ぐ、電気の通った柵が田畑に増えた。あとは、メガソーラーまでは行かない規模の太陽光パネルも、昭和の頃には見かけなかった。そう言えば、山上の携帯電話用のアンテナもなかった。思い返せば、LEDの信号機もなかった。

 

 

 それから、昭和50年代の国道179号線に、コンビニエンスストアはなかった。もちろん、道の駅もなかった。では、トラックのドライバーらがどのように食事をしていたかと言うと、ひとつは明石市にあったドライブインながさわや太子町にあったドライブインうかいやのようなドライブイン。そしてこの国道179号線には、「サラヤのおむすび」の小さな建物(サラヤミニショップ)がいくつもあったのを覚えている。ここで仕事をしている人、当時はエアコンなんかなかったのではなかろうか。真夏は暑かったのではないか。

 

サラヤミニショップ クラフトグッズ プレゼントキャンペーン| ゆかり®三島食品 (mishima.co.jp)

 

サラヤのむすびを求めて | 僕の知ってる住吉区 (ameblo.jp)

 

 この道沿い、昭和の頃にコンビニは見かけなかった。反対に令和の現在、個人経営のたばこ屋さんを見かけなくなった。

 

 あと、サイクリングをしていて思ったこと。昭和50年代に見かけなった道端のゴミのひとつは、空のペットボトル。1990年代半ばまで、500ミリリットルサイズの清涼飲料水ペットボトルは存在しなかった。だが、空きビンや空き缶のポイ捨ては、当時から多かった。もうひとつ最近になって見かけるようになったのが、不織布製の使い捨てマスク。これは、令和のコロナ禍以降に増えたポイ捨てゴミだ。

 

 反対に昭和の頃はよく見かけたが、令和の現在あまり見かけなくなったポイ捨てゴミは、空き缶の分離式リングプルタブ。

 

空き缶の分離式リングプルタブを山中に発見! | 武術とレトロゲーム (ameblo.jp)

 

 廃タイヤやタバコの吸い殻のポイ捨て、ガムと包み紙のポイ捨ても、昭和の頃よりは減ったと思う。

 

 

※関連リンク先

国道179号線の万能峠(まんのうとうげ)、旧出雲街道の万ノ乢(まんのたわ)、兵庫と岡山の県境。 | 武術とレトロゲーム (ameblo.jp)