親戚からの突然の電話連絡・続報62・後編 | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

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古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

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 (半角で 6万文字以内という字数制限に達しましたので、こちらのブログ記事に 前回 すなわち 5月18日(土)の「親戚からの突然の電話連絡・続報62・中篇・5」のブログの続きを記させて頂きます。前回のブログから 話が つな がっておりますので、前回のブログも 御覧頂きますと おわかり頂け易い と存じ上げます)

 

 さて、去る 7年前の11月24日(金)の「散歩・2(両親の食事)」のブログの上段やや下に、

「(前略)去る 6月5日(月)の『新しいヘルパー・3(両親の食事)』のブログの中段に、

『(前略)昨日 すなわち 6月4日(日)の【新しいヘルパー・2(両親の食事)】のブログの中段に、

【(前略)去る 一昨年おととしの6月6日(土)の〖霊峰・富士 ・3〗のブログの上段に、

〖(前略)梅雨に入る前は、トレッキング(英語:trekking)(山歩きのこと)には いい季節ですね。学部一回生の頃、ドイツ語の講師が、今頃は 山が 綺麗と話していました。

 大学生の頃、友人に誘われて った湘南(ちなみに、友人が去る11月の湘南国際フルマラソンに出場しました)の葉山の海の家のあるじが、〘こんな海でも、この季節(今頃のこと)は、海が綺麗。〙と話していました。

 梅雨前の今頃は、山も海も 綺麗なので御座ございますね。ちなみに、去る5月3日(日)の〘アムステルダム・3(オランダ)〙のブログの中段やや下に、

〘(前略)自然(英語:nature)に触れることはいいですね。山や海のような自然と交流するためには、向こうから やって来てくれるという訳ではありませんから、こちらから行動して、訪れる必要があります。(後略)〙と記させて頂きました。(後略)〗と記させて頂きました。この季節も、梅雨つゆ入り前の 今頃のことですね。姉には 上記ことを伝えました。(後略)】と記させて頂きました。当方は 両親の介護があり 上記のように 山や海のような自然と交流することがかないませんので、代わりに どうぞ って来て下さい と伝えました。(後略)』と記させて頂きました。空気が澄んでいるのは 今頃かもしれませんが、山も海も 綺麗とされているのは 梅雨前の頃なのですね、と回答しました。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、今回も 姉によりますと、旅行したら とのことでありましたが、上記と同様に 代わりに どうぞ って来て下さい と伝えました。

 ならびに、去る 昨年の7月7日(金)の「七夕(令和5年)」のブログの中段やや上に、本日は、7月7日(木)・ 七夕たなばたの節句で御座ございますね。 ちなみに、御承知のように、東北三大まつりとは、『青森ねぶたまつり(【弘前ねぷたまつり】もあります)(青森県)』、『秋田竿燈かんとうまつり(秋田県)』 そして 『仙台七夕たなばたまつり(宮城県)』をしますね。なお、仙台には、親戚が住んでいます。その関係で、母親の姉妹たちと一緒に 5歳くらいのときに、上記の『仙台七夕たなばたまつり』にったことがあります。ついながら、生前 母親は、『仙台七夕たなばたまつり(宮城県)』以外の 東北三大まつりに行きたいと話していました。また、生前 父親は、今の状態で 若いときの夫婦の状態に戻りたいと話していました。(後略)」と記させて頂きました。

 なお、姉によりますと、仙台に旅行したとのことでありました。それで、仙台には 親戚があり、上記のように、約59年前に 親戚 すなわち 母親の姉妹たち や 姉と一緒に 「仙台七夕たなばたまつり」にったことを話しました。すると、大昔で ほとんど覚えていないとのことでありました。また、仙台に旅行したとのことでありましたので、そのさきの奥州藤原氏の平泉を言及しました。すると、平泉には 行かなかったが、新緑が綺麗で いい所とのことでありました。それで、東日本〇〇〇(お読み下さいます方々かたがたに影響を お与えすることの無いように、御賢明であらせられます お読み下さいます方々かたがたは ぐに おわかりになられる と存じ上げますので、えて〇〇〇とつづらせて頂きました)から 復興して、親戚もあるしねと伝えました。すると、姉によりますと、仙台の親戚とは 旅行にった(姉の表現の通り)記憶がないとのことでありました。 ちなみに、去る 昨年の8月22日(火)の「那須」のブログの中段やや上に、

「(前略)母親が、母方の親戚を招待したことも ありました。ついながら、このときには 10名以上になりました。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、このときに、仙台の親戚が来たことを伝えました。なお、上記のように、母方が、親戚を招待したのであります。 ちなみに、姉妹で 鮨屋すしやに入って 海胆うに や いくらを注文すると、母方が全額 支払ったことを あとから 聞かされました。但し、あとから 母親によりますと、海胆うにが 一貫 ¥400円(40年くらい前の話であります)もした とのことでありまして、支払うときに ビックリしたとのことでありました。ついながら、その海胆うにちなませて頂きます。つまり、5歳くらいのときに、誠に有り難いことに、母親と姉と 海水浴に行きました。それで、岩場に 海胆うにが ました。そこで、その場に た 地元の 女の子によりますと、海水で洗って食べると 美味おい しいよ とのことでありました。但し、上記のように 5歳くらいのときでありましたし、海胆うには食べたことがなかったので、そのままにして 帰りました

 および、母親は 太っぱらであると話しました。 ちなみに、母親は偉いと思う 徳があるとの話になりました。すなわち、宗教を行なっていましたからね。なお、母親は 男であったら すごい事業家になったと思う伝えました。ついながら、姉によりますと、父親も亡くなってみたら 有り難いと思うとのことでありました。それで、母親が結婚するときに、「この人は よっつ ビルを建てる人だ。」と思ったとのことでありました。そこで、誠に有り難いことに、実際に 父親は よっつの建物を建てていると伝えました。それで、誠に有り難いことに、両親 ともすごいとと思うとの話になりました。同感であるという話になりました。両親の おかげであるという話になりました。 ちなみに、去る 9年前の10月20日(火)の「父性と母性」のブログを記させて頂きました。なお、補足の原理で 母性的な父親 と 父性的な母親でありましたので、これが 逆転していたら さらに すごかったであろうと思われました。

 そして、身體からだに気を付けて という話になりました。

 また、去る 9年前の1月21日(水)の「ボランティア・高尾山登山・その2」のブログの中段やや上に、

「(前略)去る10月28日(火)の『スイス』のブログ の下段に、

『学部一回生のとき、同期生(男性)に勧められて、体育会系ではワンダー・フォーゲル(独語:Wandervogel)(渡り鳥の意味です)部に入部致しました。』と お伝え申し上げました。

 このワンダー・フォーゲル部の入部理由は、同級生(男性)に誘われたということとあわせて、同じパーティー(英語:party)で、同じ釜の飯を食べ、競技では無いので、体育会系では御座ございますが、競争が無いからで御座ございます。ちなみに、一学年下のワンダー・フォーゲル部男子後輩は、当初、茶道部に入るつもりで、ワンダー・フォーゲル部と茶道部を兼部している女子先輩から、新入部員勧誘のときに、ワンダー・フォーゲル部に回されて入部させられたとのことで御座ございました。(後略)」と記させて頂きました。

 さらに、姉が 学生の頃 雲取山を登った話になりました。 ちなみに、上記のように、山でも 梅雨の前の 今頃が 一番いいとされると話しました。なお、姉によりますと、雲取山は あまり いい思い出がないけどね とのことでありました。ついながら、違う山のことだったと思われますが、両足を 沢山たくさん ブユ(関東ではブヨ、関西ではブトとも呼ばれるとのことであります)にまれて 子供心こどもごころに あんなになっちゃうのだ たいへんなんだ と思ったことを伝えました。そして、上記のように、ワンダー・フォーゲル部に入部して 山って そういう所なのであると わかったと話しました。

 それから、誠に有り難いことに、姉によりますと、いいときに 何処どこ出掛でかけて下さいとのことでありました。それで、日々 食べることが出来て お風呂に入ることが出来れば 充分であると思っていると伝えました。ちなみに、昨日も 午前5時 まで 作業をしていたことを伝えました。なお、父親も その時間まで 仕事をしていたことがあったことを伝えました。

 しかして、姉によりますと、上記の檀那の韓国人のかくし子の件につきましては、言い間違えたとのことでありました。ちなみに、名誉のために申しますと、叔母(三女)さんが 浮気をされていたということになりますからね。なお、祖父が 浮気をしていたのを 偶々たまたま 母親が 路上で見付けて 家族 みなに伝えたのであります。ついながら、祖父が 浮気をしていたので、家で 父性を発揮出来なかったのでありますね。すなわち、仮に 祖父が 父性を発揮していれば、ダンス・ホールで 韓国人のヤクザに かどわかされることはなかったのではないかと伝えました。つまり、大事な 一番 綺麗な娘を 韓国人に 付け込まれることは なかったのでありますね。ちなみに、去る 5月9日(木)の「家政婦さんの入院・続報120・中編・34」のブログの中段やや下に、

「(前略)若い頃 この叔母(三女)さんは、田舎いなかではなくて 目白駅付近で 人々が振り返るほど 綺麗であったと 両親から言われていたことを話しました。(後略)」と記させて頂きました。また、「(前略)元々もともと 上野の精養軒に 千人単位の応募者のなかから入った人だから、父親によりますと、目白のときに 人が振り返るくらいの人だったからと答えました。(後略)」と前述致しました。

 なお、姉によりますと、叔母(三女)さんは すごい 綺麗だったとのことでありました。ちなみに、上記は 若い頃のことであるけれども、施設に 叔母さんと って 亡くなる 1ヶ月前でも わあ 90歳でも 綺麗だなと思ったとのことでありました。ついながら、「(前略)兄弟姉妹のなかで 一番 いい子が その家系の業を背負うことを話しました。(後略)」と前述致しました。すなわち、兄弟姉妹で 一番 いい人が その家系の業を背負うのであると言われることを話しました。つまり、一番 いい子が 家族を代表して 背負い込むと言われることを伝えました。すると、姉によりますと、最期は 綺麗な叔母さんで 亡くなったとのことでありました。なお、「(前略)父親によりますと、若い頃 その叔母(三女)は 天地真理のようだったとのことでありました。(後略)」と前述致しました。ちなみに、姉によりますと、ちっちゃくて 覚えているけれども、若かったときには ○○さん(叔母[三女]のこと)綺麗だなっと思ったとのことでありました。それで、上記のように、父親は、天地真理(名前の「まり」が同じなので)と言っていたことを話しました。ここのあいだ 3月の初め(亡くなる直前)に 叔母さんと お見舞いにったときに、もうそのとき 身體からだいたい、いたいと言っていたけれど、顔は綺麗だし、やっぱり 最期まで  綺麗だと思ったとのことでありました。しかも、姉によりますと、入れ歯ではないというのが 羨ましいとのことでありました。それで、 すごいね と伝えました。ついながら、去る 4月3日(水)の「菜食のおかず・762(豆腐)・後編」のブログの上段やや下に、

「(前略)約50数年前 すなわち 当方が、小学生のときのことであります。今は亡き 母親 と その叔母(三女)たちを含める 親戚で、原宿の すし屋に入りました。それで、その叔母(三女)が おすしのシャリを食べずに ネタだけ 食べていました。つまり、上記のように、御飯は ダイエット食なのであります。ようするに、子供心こどもごころに 勿体もったいないと思われたことがありました。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、美容 すなわち 摂取カロリーに気を付けていたと 思ったことを話しました。すると、姉によりますと、年を取っても 結構 いろいろな食べ物について気を付けていたとのことでありました。それで、健康食品とかを 扱っていたことを話しました。すると、姉によりますと、だから すごはだが綺麗でとのことでありました。それで、父親も、はだが綺麗であったことを伝えました。そして、生年月日や血液型を見ますと、父親と叔母(三女)さんは 相性が よかったことを伝えました。だから、叔母(三女)さんが 携帯電話を解約するまで は、よく 連絡を取っていたことを話しました。すると、姉によりますと、そうね でも いたい、いたいと言っていたから、結局 足とか 腰とか 動かせなくてとのことでありました。だから、早く おむかえが来て欲しいなと思っていたとのことでありました。

 のみならず、母親は そのようなことはないけれども、普通の人でありましたら 父親は 焼きもちを焼かれるくらい 叔母(三女)さんに電話をしていたことを話しました。但し、誠に有り難いことに、父親は それ以外の別の女性と 浮気をするということは ありませんでした。すると、姉によりますと、伊勢の叔母さん(父親の従兄弟いとこ)とは 連絡を取っていたとのことでありました。ちなみに、その伊勢の叔母さんは、老人ホームに入居していることを伝えました。すると、姉によりますと、そうそうそうとのことでありました。なお、伊勢の家には 誰も 住んでいないことを伝えました。すなわち、2軒 家が並んでいて、いい所であったのであるけれども、今は 誰も 住んでいないことを話しました。ついながら、一方いっぽうは 三重県津市で 息子の家の近くの老人ホームに入居していて、他方たほうは 名古屋に住んでいることを伝えました。伊勢の2軒の家に 誰も 住んでいないのは 勿体もったいないと話しました。すると、姉によりますと、いつも 両親からの話だけで ったことがないとのことでありました。但し、姉は 祖母が 脱腸で 倒れたときに、岐阜のほうの父方の父方の親戚には っております。つまり、今 話しているのは、父方の母方の親戚のことであります。

 それで、伊勢の 親戚には 父親と ともに 四十二年前の昭和五十七年三月 そして 当方  一人ひとりで 四十年前の昭和五十九年三月に 2回 法事で ったことを伝えました。但し、去る 1月10日(水)の「年賀状のこと・続報2」のブログの中段やや上に、「佐竹克子」という芦屋の親戚には、「あなた 一人ひとりで 来て 可哀想かわいそうね。」と言われたことを伝えました。それで、行かないほうが いいと伝えました。ようするに、行くと たいへんであると話しました。取りも直さず、先方は 法事ということで 人を集めるのであるけれども、上記の芦屋の叔母さんに そう言われたことを伝えました。だから、行くと たいへんであることを伝えました。したがって、行かないで むのであれば、行かないにしたことはないことを伝えました。すると、姉によりますと、立派なうちなんでしょとのことでありました。それで、2軒並んでいて 立派だねと答えました。しかも、伊勢神宮に近い所であるから、いい場所であることを伝えました。すると、姉によりますと、そこが き家なんだ 勿体もったいないね とのことでありました。それで、き家か売ったかは 分からないけれど、住む人が ないことを伝えました。勿体もったいないね 確かにね と話しました。

 くわうるに、上記の 伊勢の叔母さん(父親の従兄弟いとこ)の孫は N.H.K.を退職したことを伝えました。ちなみに、最後は 津の放送局であったことを伝えました。なお、姉の孫と同様に 二人ふたり 子供が ることを伝えました。すると、姉によりますと、たいへんだからねとのことでありました。それで、N.H.K.をめて よかったと思っていることを話しました。すると、誠に有り難いことに、姉も同意してくれました。そして、姉によりますと、1度だけ 上記の 伊勢の叔母さん(父親の従兄弟いとこ)から 電話が入ったとのことでありました。それで、ハッキリ おっしゃる人であるという話になりました。そこで、姉によりますと、しっかりしていてねとのことでありました。なお、この家系は 女性が強いのであります。それで、姉によりますと、養老院に入っているけど と電話があったとのことでありました。ついながら、父親が亡くなって 父親の携帯電話が不通になったので、姉のところに 電話をしたのである と思われました。

 そこで、当家と 電話をしたのは 老人ホームに入る前のことであると話しました。それで、姉によりますと、ちょっと しばらく 話していたのであるけれども、すごい ハッキリしていた、頭 しっかりしていたとのことでありました。取りも直さず、こわいもの 知らずで あったのであります。そこで、老人ホームに長く 入ってしまうと どうだろうねと話しました。すなわち、まだ 入居したばかりであるので、みなと 住んでいたときのことが まだ 残っているから 今のところは いいでしょうけれども と話しました。つまり、老人ホームに ずっと入っていると、やっぱり 段々だんだんね と話しました。すると、姉によりますと、ボケちゃうとのことでありました。ようするに、職員との対応が たいへんであることを伝えました。すると、誠に有り難いことに、姉も同意してくれました。そして、姉によりますと、そんなんで まあ その伊勢の叔母さん(父親の従兄弟いとこ)とも話していたとのことでありました。それで、よかったですねと話しましたら、姉によりますと よかったとのことでありました。そこで、当方にも 唐突に 電話がかってきて、普段 話をしていないにもかかわらず、「なんで 結婚しないの。」と言われたことを話しました。それで、御承知のように 菜食であるからと答えたことを伝えました。そして、去る 5月10日(金)の「本の進呈・続報124・前編(シンクロニシティ)」のブログ そして 去る 5月10日(金)の「本の進呈・続報124・後編(シンクロニシティ)」のブログに記させて頂きましたように、その伊勢の叔母さん(父親の従兄弟いとこ)とその息子の氏名を 一筆いっぴつ入れて 成書を進呈したことを伝えました。取りも直さず、ハッキリしている 叔母さん(父親の従兄弟いとこ)であることを伝えました。そして、生前の父親によりますと、その伊勢の叔母さん(父親の従兄弟いとこ)は 綺麗であったとのことでありました。すると、姉によりますと 笑いながら、なかなか 聞きづらいことを ハッキリ言う人とのことでありました。それで、ハッキリ言うかただよと答えました。「御無沙汰しているのに、いきなり 電話がかってきて その話だからね。普段 会っている人だったら、わかるけどね。」と伝えました。但し、言ってもらえたから、菜食であることを伝えることが出来たから よかったのですけれどもねと話しました。

 おまけに、今日は 天気が良くて よかったと話しました。そして、叔母(三女)さんの御冥福を 心より お祈り申し上げますと伝えました。それから、「(前略)一番 いい子が 家族を代表して 背負い込むと言われることを伝えました。(後略)」と前述致しました。すなわち、これは、周囲の勉強なのであります。つまり、ほかの家族の人たちは、見せられているのであります。

 また、「(前略)(納骨時に ¥8千円を支払えば 氏名を ることが出来た件につきましては、)叔母(四女)さんに伝えましたら、心外と思われるから、言えないと話しました。(後略)」と前述致しました。すなわち、叔母(四女)さんにしてみれば、うまく っていると思っているのに、水を差すようなことをしてもね と話しました。すると、誠に有り難いことに、姉によりますと、「そうね。」とのことでありました。つまり、老人ホームのことから ずっと多用だったから 求心してもらったほうが いいと思っていることを伝えました。ようするに、今も 一杯 一杯で 本当に 来られているから 言うような タイミングではないね と伝えました。すると、姉によりますと、疲れているようとのことでありました。それで、少し休んで頂いて 休心して頂いたほうがいいねと話しました。すると、姉によりますと、そっとしておいてくださいとのことでありました。ちなみに、上記の「タイミング」という外来語についてであります。すなわち、去る 9年前の9月27日(日)の「綺麗で奥ゆかしくて誠に素晴らしい日本語」のブログの上段に、

「(前略)一昨日おととい 、全国放送の天気予報で、某・気象予報士が 『明日は、雨の降るタイミング(英語:timing)があります。』と話していました。この文脈でタイミングとう言葉を聞きまして 違和感を覚えましたので、すかさず 英和辞書を引きました。タイミング(timing)とは、『タイム:time』+『ing』の組み合わせの単語です。時間的調節、そして、時間測定の意味です。また、御承知のように、外来語が日本に入りますと、意味が変わることがありますので、国語辞典も引きました。すると、『丁度ちょうどよいとき見計みはからうこと』、また、別の国語辞典では、『ある物事をするのに 最も適した時機・瞬間』、または、『物事を行うのに丁度ちょうどよいおりのこと』と書かれてありました。雨が降るのを丁度ちょうどよいと思っているのでありましたら 状況と致しましては、まだ 正しい使いかたですが、御承知のように、今は 水不足の時期では御座ございません。外来語を用いるときには 気を付けなければならない、という教訓を あらためて いだかせて頂きました。(後略)」と記させて頂きました。つまり、上記の場合は その「物事を行うのに丁度ちょうどよいおりのこと」という文脈で 「タイミング」という言葉を使っていますので、この言葉の使いかたと致しましては 適当であると考えられます。

 ならびに、誠に有り難いことに、これで 終了となりました。ちなみに、通話時間は 約22分間でありました。

 

 (義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)