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さて、去る10月27日(金)の「家政婦さんの入院・続報90・後編」のブログの下段やや上に、
「(前略)去る 5年前の5月15日(火)の『訪問看護(父親)・4』のブログの中段やや上に、
『(前略)弘法大師の即身成仏 すなわち 入定の話をしました。すると、更に この訪問看護師の方によりますと、真言宗の方々が聴いたら ビックリなされて 【とても・・・】と お思いになられると存じますが、枯れるように逝くということは この入定と同じことと思われる とのことでした。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、この話を 真言宗の檀家である その家政婦さんに話しましたら、誠に有り難いことに、自分も そう思うとのことでありました。(後略)」と記させて頂きました。
また、去る11月3日(金)の「家政婦さんの入院・続報91・中篇・14」のブログの下段やや上に、
「(前略)前回 上記のように、真言宗の檀家である その家政婦さんに 弘法大師の即身成仏 すなわち 入定の話をしました。因みに、その家政婦さんには、『入定』の漢字を 書いて示しました。なお、仏教の『戒定慧』の話も しました。序で乍ら入定の『定』は 『戒定慧』にもあることを伝えました。(後略)」と記させて頂きました。
ならびに、去る 8年前の11月14日(土)の「満州のこと」のブログの中段やや上に、
「(前略)弘法大師も、遣唐使の一行の留学僧として 長安を訪れています。(後略)」と記させて頂きました。
および、去る 8年前の12月1日(火)の「姪の来訪」のブログの上段に、
「(前略)御承知のように、日本人が 牛肉を食べるようになったのは 明治維新以降であります。某・新聞に 書かれていたことで御座います。すなわち、大久保利通が、畏れ多くも 明治天皇陛下に 『牛肉をお召し上がりになったほうが外交上得策でありましょう』と話しました。すると、同・陛下は、弘法大師は 牛肉をどうしたか との旨を回答された とのことでした。約10年前、前述の 某・ボランティアのサークルに所属している事務局長に この某・新聞の記事をあげましたので、手許に御座いません。その為、ここに その記事の写しを掲載させて頂きますこと 適いません。(後略)」と記させて頂きました。
それから、去る 9年前の10月8日(水)の「親の受診に付き添っていること・1」のブログ そして 去る 9年前の11月9日(日)の「親の受診に付き添っていること ・2」のブログのそれぞれ上段に、
「(前略)女人禁制である高野山で修行する弘法大師のもとに、母親が訪ねて来たとき、弘法大師は、高野山の麓の家に、母親を滞在させて、毎日会いに行ったとの旨のことが、NHKで放送されていました。(後略)」と記させて頂きました。
しかも、去る 9年前の10月27日(月)の「紫蘇(今日のおかず)」のブログの上段に、
「(前略)御承知の方々も おられると存じ上げますが、親友に話しました処、驚いていましたので、お伝え申し上げます。紫蘇という字のこと、紫が蘇る と綴りますのには 理由があるので御座います。
紫蘇科ヤマハッカ属カメバヒキオコシ(亀葉引き起こし)という植物が御座います。昔、弘法大師が山を歩いていると、一人の行者が倒れていて、それを見つけた弘法大師が このカメバヒキオコシ(亀葉引き起こし)の汁を飲ませると、この行者が たちまち『引き起こせる』程、元気になったとされることから『引き起こし』とか、延命草とか呼ばれるようになったそうです。
このように、紫蘇という字の語源は、紫のような顔色になっても、蘇るという意味から来たとのことで御座います。(^-^)(後略)」と記させて頂きました。
ときに、空海は、遣唐使の留学僧として 唐(中国)の都である長安に到着します。そして、わずか 3ヶ月で 梵語を習得して、青龍寺の恵果阿闍梨の元を訪れます。それから、空海密教の頂点に立つ恵果阿闍梨と 師弟関係を結び、20年は 掛かると言われる真言密教の全てを 3ヶ月で授かるのであります。
次に、満濃池は、大宝年間(701~703年)に 讃岐の国守によって築造され、弘仁12年(821年)に 弘法大師 空海によって 改築されたと伝えられています。弘法大師 空海が考案し、今も使われている仕組みに、水の圧力を分散させるアーチ型の堤 と 水位0が 一定以上とならないよう、余分な水を下流に放流する 余水吐きがあります。
なお、家政婦との話しで、その讃岐うどんなどは 弘法大師 空海に あやかっているとの内容になりました。
ところで、去る 4年前の5月18日(土)の「鰻の蒲焼・319(天ぷら・カレーうどん・父親の食事)」のブログの中段やや下に、
「(前略)去る 5年前の11月16日(日)の『根菜』のブログの中段やや上に、
『(前略)研修医の頃、11ヶ月間、週4日間、内科の一般外来と特殊外来で、主任教授 と 診療教授(後になってからの役職)の外来に 陪席(ゲシュライバー)するように、とのことで 御座いました。後略)』と記させて頂きました。この内科学教室の研修期間中のことで御座います。すなわち、東洋医学外来でも 陪席(ゲシュライバー)をしていたとき(後略)」と記させて頂きました。すなわち、その東洋医学外来の室長であり、母校の神経科教室の助教授(当時の名称・現在では、准教授と言われますね)から 当家に電話が入り、 陪席(ゲシュライバー)を行なったことがあります。そのとき、その助教授が、患者さんに 弘法大師を超えなければならない と話していました。すなわち、弘法大師の後世に生きているのであるから ということのようであります。
(義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)