スペイン(西)・4(マドリード) | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

 このブログ(英語:blog)に御訪問頂き、誠にありがとうございます。

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 さて、昨日 すなわち 8月3日(水)の「西スペイン・3(トレド)潜在意識」のブログの最後に、

「(前略)機会がありまして、 宜敷よろしければ、この続きを記させて頂きます。(後略)」と お伝え申し上げまして、誠に有り難いことに、「いいね」を頂きましたので、今回、その続きを記させて頂きます。

 

 ときに、前回のブログで 記させて頂きましたように 前日は おそ かったので、起きると、昭和61年(1986年)9月2日(火)の午前9時でありました。銀行で 両替したあとに プラド美術館を鑑賞しました。

 

 

 

 

 

 下の画像は、ゴヤ(西スペイン語: Francisco José de Goya y Lucientes)(宮廷画家)の作品で、「着衣のマハ」 と 「裸のマハ」です。

 なお、去る 6年前の6月10日(金)の「ニホニウム(日本の技術)」のブログの上段に、

「(前略)ルーヴル美術館内で 撮影った絵画『モナ・リザ』の写真を、下に掲載致します。去る 一昨年おととしの11月1日(土) の『東ベルリン(旧・東 ドイツ)』のブログ の中段、去る 昨年の1月16日(金)の『一枚の絵画(ブルージュ[ベルギー])』」のブログ の下段 そして 去る7月23日(木)の『 オランダ 1』のブログ の上段にも記させて頂きましたように、ここでも、誠に有り難いことに フラッシュを かなければ、写真を 撮影ってもいいとのことでした。(後略)」と記させて頂きました。

 

 

上記の「着衣のマハ」 と 「裸のマハ」

 

 

 

 そのあと、プラド美術館を構成する建物のひとつである Casón del Buen Retiroカソン デル ブエン レティーロに行く。ちなみに、その建物に収蔵されている ピカソのゲルニカが圧巻でした。そのあと、庭園を散歩して 公園を通り抜け メトロ(西スペイン語:Metro de Madridメトロ・デ・マドリード)に乗りました。なお、途中で Solソルで降りて パン(ポルトガル語:pão) と bierビア と 朝食を取り、王宮に向かいました。ついながら、去る 8年前の10月24日(金) の「すこやかに生活をして頂くために」のブログで お伝え申し上げましたように、医者(研修医)になってから、ポケベル(今は ほとんど用いられていませんね)を持つようになり、夜中でも呼び出されましたので、お酒をめました。

 また、去る 6年前の6月14日(火)の「ボン( ドイツ)(ベートヴェンの生家)」のブログの上段に、

「(前略)そして、『ベートーヴェンの生家』に到着致しましたが、午後1時~3時は 休館とのことでした。着いたのは、午後1時20分でした。 ちなみに、 西スペイン語で シエスタ( 西スペイン語: siesta)という お昼 もしくは その時間の昼休憩(午後1時~4時が目安)を す言葉があります。当時、 西スペインでは、この時間帯は 商店、企業 そして 官公庁などの多くが休業時間となっていました。 ドイツでも このシエスタがあるのか と思われました。なお、近年では、E.U.(英語: European Union、日本語: 欧州おうしゅう連合)統合によって、北の諸国の習慣に合わせて シエスタの慣習を廃止する傾向が見られるそうです。 たとえば、平成18年(2006年)1月1日から、 西スペインの公務員につきましては シエスタ制度が廃止された とのことです。(後略)」と記させて頂きました。

 話しを戻しますが、王宮は 上記のシエスタの慣習で 午後4時から だと言うので、それまで  北駅の北側の公園を散歩しました。 ちなみに、途中 午後1時50分から 3時50分まで  2時間 昼寝しましたが、最高に 気持ちが よかったです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 丁度ちょうど 時間になったので ケーブル カーに乗らずに もと 来た道を戻り、王宮に行きました。ちなみに、王宮は、300pesetaペセタ(当時の西スペインの通貨・当時のレートで 日本円で 約¥300円)を 取るだけあって たいへん素晴らしかったです。なお、内装が たいへん素晴らしかったです。ついながら、当時は 日本の皇室では 絶対に このような展示は行われないだろうと思われましたが、そこが かくり身で 日本の皇室のいい所なのであります。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(上の画像の右下の日付が 昭和61年[1986年]9月3日[水]となっていますが、これは カメラの時間合わせの問題でありまして 実際には 上記のように 同 9月2日[火]の午後であります。すなわち、日付が 翌日になってしまっているのですね)

 

 

(上の画像の右下の日付が 昭和61年[1986年]9月3日[水]となっていますが、これは カメラの時間合わせの問題でありまして 実際には 上記のように 同 9月2日[火]の午後であります。すなわち、日付が 翌日になってしまっているのですね)

 

 

(上の画像の右下の日付が 昭和61年[1986年]9月3日[水]となっていますが、これは カメラの時間合わせの問題でありまして 実際には 上記のように 同 9月2日[火]の午後であります。すなわち、日付が 翌日になってしまっているのですね)

 

 

(上の画像の右下の日付が 昭和61年[1986年]9月3日[水]となっていますが、これは カメラの時間合わせの問題でありまして 実際には 上記のように 同 9月2日[火]の午後であります。すなわち、日付が 翌日になってしまっているのですね)

 

 

(上の画像の右下の日付が 昭和61年[1986年]9月3日[水]となっていますが、これは カメラの時間合わせの問題でありまして 実際には 上記のように 同 9月2日[火]の午後であります。すなわち、日付が 翌日になってしまっているのですね)

 

 

(上の画像の右下の日付が 昭和61年[1986年]9月3日[水]となっていますが、これは カメラの時間合わせの問題でありまして 実際には 上記のように 同 9月2日[火]の午後であります。すなわち、日付が 翌日になってしまっているのですね)

 

 

 

 時間が なくなったので、午後5時20分に 王宮を出て 宿泊所に 午後5時30分に 到着しました。 ちな みに、近道をしようとして 迷いましたが、そのまま進みましたら 大丈夫でした。

 

 つぎに、機会がありまして、 宜敷よろしければ、この続きを記させて頂きます。

 

 (義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)