このブログ(英語:blog)に御訪問頂き、誠にありがとうございます。
リンクを 貼 らせて頂いております。紫色のブログ・タイトルをクリック(英語:click)(もしくはタップ[英語:tap])して頂きますと、過去のブログ記事に移行します。(^O^)
さて、去る 一昨々年の2月12日(日)の「建国記念の日(両親の食事)」のブログの上段に、「(前略)昨日の建国記念の日は、その手作りの 小さな日章旗ではなく 新しい日章旗を購入致し、国旗掲揚を行いました。因みに、アクリル繊維が 国旗に多く使われるようになった由来は、昭和39年(1964年)の東京オリンピックまで遡ると伺っております。53年前に採用されたアクリル繊維は、今でも国旗に必要不可欠な素材として役立っている とのことです。なお、今回、このアクリル生地の日章旗(日本製)を注文致しました。(後略)」と記させて頂きました。
ならびに、去る 昨年の5月3日(金)の「憲法改正(憲法記念日)」のブログの上段に、
「(前略)去る 昨年の5月3日(木)の『憲法改正・(仏花[父親の食事]・12)』のブログの上段に、
『(前略)去る 昨年の5月3日(水)の【国旗掲揚(洗濯機・両親の食事)】のブログの上段に、
【(前略)去る 昨年の5月3日(火)の〖榊(母親の遣い・祭日)〗のブログの冒頭 そして 去る 一昨年の5月3日(日)の〖アムステルダム・3(蘭)〗のブログの最後に、
〖(前略)本日は祭日(憲法記念日)でありますので、 国旗掲揚を行いました。(後略)〗と記させて頂きました。本日も、〖憲法記念日〗であり 祭日ですので、 国旗掲揚を行いました。(後略)】と記させて頂きました。なお、憲法記念日にあたり、今年こそ、長年の悲願である 憲法改正の年にしたいものであります。(後略)』と記させて頂きました。
および、一昨日 すなわち 5月1日(水)の『新元号(即位の日)』のブログの最後に、
『(前略)昨日 すなわち 4月30日(火)の【退位の日】のブログの最後に、
【(前略)本日は、〖退位の日〗ですね。なお、ヘルパー(日本語:家政婦)との話しで、平成の御世は 平安時代と同様に 平和であった との内容になりました。
ときに、世間で 10連休と言われている期間には、連続して 国旗掲揚を 行っております。序で乍ら、ヘルパー(日本語:家政婦)にも このことを話しましたら、誠に有り難いことに 納得してくれました。(後略)】と記させて頂きました。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、 国旗掲揚を 行っております。なお、憲法記念日にあたり、今年こそ、長年の悲願である 憲法改正の年にしたいものであります。(後略)」と記させて頂きました。国旗掲揚を 行っております。なお、憲法記念日にあたり、今年も 引き続き、長年の悲願である 憲法改正の年にしたいとの思いを 新たに致しました。
次に、去る 一昨々年の9月18日(月)の「国を憂える(敬老の日・両親の食事)」のブログの上段に、
「(前略)去る 一昨年の9月27日(日)の『綺麗で奥ゆかしくて誠に素晴らしい日本語』のブログ の上段に、
『(前略)話を戻しますが、これ迄 已むを得ず使わなければならなかった場合を除きまして、極力自国語である日本語を用いるように努めて参りました。外来語を使用するときには、日本語と区別するために、何語であるのか、その言葉の綴りを添えまして注釈を入れました。日本には如何に外来語が多いか、ということを知って頂く意味も御座います。御承知のように、先の大戦後、日本の底力を恐れた連合国軍最高司令官総司令部(G.H.Q.)による【日本弱体化政策】が行われました。自国語である日本語ではなく、英語を用いさせようとすることは、米国にとりまして 誠に都合のいいことであります。現・日本国憲法は、米国による この【日本弱体化政策】の産物とされています。(後略)』と記させて頂きました。
ならびに、去る 一昨年の11月16日(月)の『七五三に思うこと』のブログ の上段に、
『(前略)前述致しましたように、戦後 日本人の精神性がやられましたことは、 惜しみても 尚余りあることと思われます。その原因は、前述の【日本弱体化政策】、すなわち、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(英語:War Guilt Information Program、略称:W.G.I.P.)であります。この【日本弱体化政策】は、巧妙に行われました。
一例を挙げますと、報道におきましては、同じ 日本のマス・コミ(英語:mass media)を利用して行われました。同胞である日本人による報道を行わせることによって、日本人に信じさせるように仕向けました。終戦を境に 報道内容が全く変わりました。報道内容は、G.H.Q.が書いた文章とされています。しかも、新聞などの報道機関を統制する 為に G.H.Q.から発せられた規則であるプレス・コード(英語:Press Code for Japan)がありました。これにより検閲が実行されました。日本人は、G.H.Q.にとりまして 不都合なことを書くことが出来ませんでした。日本人は、書くことに 制約を受けました。言論の自由どころではありませんでした。戦後70年 経った今でも、その後遺症が 残っているようであります。
また、教育におきましては、まず 教科書を書き換えたことであります。さらに、日教組を作ったのは、連合国軍最高司令官総司令部(G.H.Q. ・以下、G.H.Q.と示させて頂きます)とされています。このG.H.Q. と 日教組の 両者の方針は一致しています。(後略)』と記させて頂きました。
および、去る 昨年の3月11日(金)の『東日本〇〇〇・黙祷』のブログの中段やや上に、
『(前略)大東亜戦争後、この米国による報道 そして 教育の影響を 日本人が受けたからであろうと思われます。唯物的な影響もあります。御承知のように、日本には 勿体ないという 特有の言葉があり、元来 日本人は、精神的 そして 霊的に優れた民族であり ものも大切に扱ったと存じます。去る10月28日(水)の【姪のこと】のブログ の上段に、
【(前略)現在の日本では、米国による この〖日本弱体化政策〗がうまくいっているということになりますね。(後略)】と記させて頂きました。(後略)』と記させて頂きました。
ところで、去る5月27日(土)の『トイレ介護(両親の食事)』のブログに記させて頂きました 排泄介助の方が、誠に有り難いことに 一昨々日も 昼過ぎに見えました。この排泄介助の方も この日の午前中に来た ヘルパー(英語:helper)(日本語:家政婦)も、北朝鮮のミサイル発射のことを言及しました。それで、この排泄介助の方に 前述の『日本弱体化政策』、すなわち、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(英語:War Guilt Information Program、略称:W.G.I.P.)、そして、米国にとりまして 誠に都合のいい 現・日本国憲法のことを言及しました。すると、この排泄介助の方によりますと、『憲法9条のこと(に関しまして) 威嚇も しては ダメ!(本人の言葉通り)』とのことでした。なお、誠に 国の将来を憂えるべきことで御座います。(後略)」と記させて頂きました。
さて、去る 昨年の5月3日(金)の「憲法改正(憲法記念日)」のブログの下段に、
「(前略)これらのことを ヘルパー(英語:helper)(日本語:家政婦)たちにも 繰り返し 話しておりますが、誠に有り難いことに 納得して 頷いてくれます。(後略)」と記させて頂きました。引き続き これらのことを 去る4月25日(土)の「マッサージ(父親)・108・中編・1」のブログ や 去る4月25日(土)の「マッサージ(父親)・108・後編」のブログに記させて頂きました マッサージ師の方、去る4月27日(月)の「リハビリテーション(父親)・85・中編・1」のブログ や 去る4月27日(月)の「リハビリテーション(父親)・85・中編・7」のブログに記させて頂きました 理学療法士の方、去る4月21日(火)の「訪問看護(父親)・50・前編」のブログ や 去る4月21日(火)の「訪問看護(父親)・50・後編」のブログに記させて頂きました 訪問看護師の方々、去る 6年前の10月8日(水)の「親の受診に付き添っていること・1」のブログ や 去る 6年前の11月9日(日)の「親の受診に付き添っていること ・2」のブログのそれぞれ共に中段やや上、更に、去る 5年前の2月23日(月)の「天皇陛下行幸の君恩に浴して」のブログの中段に記させて頂きました 某・ボランティア(英語:volunteer)のサークル(英語:circle)の 二人以上の先輩、そして、後輩たち、それから、家政婦たちにも 繰り返し 話しておりますが、誠に有り難いことに 納得して 頷いてくれます。
(半角で 4万文字以内という字数制限を超えましたので、文章を削らせて頂きました。なお、義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございました。唯々感謝。(^-^)