武蔵野舟木組 2024

武蔵野舟木組 2024

               さすらい

 

我が家にはなぜか、カエルとフクロウの置物が沢山います。

特別好きではなかったのですが、見つけると買ってしまった時期が有り、いつの間にか増えて行きました。

 

玄関にあったり、家の中に置かれた鉢の脇に取り付いたり、トイレの中にもいます。

カエルは、子供の頃から我が家の周りには、ガマガエルが住み着いていて、今でも玄関までの通路に出て来る事が有り、夜暗いと踏みつけてしまい事もあります。

「フギュ~!」と鳴きますので、慌てて足を離すのですが、それでも無事生きています(笑)

最近は見掛けませんが、梅雨の時期には、葉っぱの上に、小さな緑のアマガエルが乗っている事もありました。

 

岐阜で買ってきた、小さな布で出来たフクロウも、棚の上に一列に並んでいます。

 

オモチャの空気を送り込むと飛ぶカエル。

これは、孫の偉知が喜ぶと思って買ったのですが、苦手な様で「それ怖い!」と言って逃げ回った時期もありましたが、今では大丈夫になり、陶器の水に浮かぶカエルは、気に入ったのか持って帰ります。

 

「無事カエル」「幸運を呼ぶフクロウ」また見つければ買ってしまうでしょう。

 

 

昭和41年9月17日 日活

 

 

昭和十八年、太平洋戦争も真っ只中の頃である。園田順吉は山陰地方の旧家でいまなお権勢をほしいままにしている家の一人息子である。ある日のこと、突然、父親から町の実業家の令嬢と結婚しろと言われ、激しい口論の末、これを断る。順吉には、園田家で女中をしている小雪と恋仲にあったのだ。それを知った順吉の父親は小雪を“他国行き”にさせようとするが、家を出ることを決めた順吉は、小雪を連れて日本海の荒波と砂丘に挟まれた小さな町で暮らし始めたのだった。貧しくも幸せに暮らす二人の下に、順吉の召集令状が舞い込む。順吉が出征してからも小雪は一生懸命に働き、順吉から届く戦地からの手紙を楽しみに待っていた。戦況が厳しくになるにつれ、やがて順吉からの手紙も途絶え、小雪もいつしか胸を侵されて、病床に臥す身となっていた。ただただ順吉の無事の帰還を祈りながら…。

 

♪お酒呑むな 酒呑むなの ご意見なれど ヨイヨイ

 酒呑みは 酒呑まずに 居られるものですか ダガネ

 あなたも酒呑みの 身になってみやしゃんせ ヨイヨイ

 ちっとやそっとの ご意見なんぞで 酒やめられましょか

 トコねえちゃん 酒持って来い

 

2013年12月の大阪新歌舞伎座舟木一夫特別公演「いろは長屋の用心棒」

舞台の終演は、この歌を唄いながら花道を下がっていく松村信兵衛役の舟木さん。

千穐楽ともなれば、舞台上の役者さんから客席のお客さんも、手拍子に合わせて歌って幕が下りました。

 

この曲の名前は「ヤットン節」と言います。

子供の頃から酒席には付き合わされていたさすらいは、この曲は昔からよく知っています。昔の宴会と言えば、♪小皿叩いて チャンチキ おけさ・・・

ではありませんが、箸で小皿や茶碗を叩いて拍子をとったものでした。

 

宴会では、まだカラオケなどない時代、誰かが唄い出すと、民謡や軍歌など次々に唄われたものでした。必然的にこうした歌を覚えたものです。酔って来ると、春歌なども出て来て、子供の頃は意味が判らなかったものでした。

 

「ヤットン節」は、父の十八番とまでは行きませんが、好んで良く歌っていたのを思い出します。父の十八番と言えば「秋田おばこ」「秋田ドンパン節」「秋田音頭」とやはり郷土秋田の民謡でした。

「秋田おばこ」は特別難しい曲でしたが、父の唄う「秋田おばこ」は正調だと親戚や父の友人たちが言った事を今でも覚えています。

毎日暑い日が続いちますが、昨日の昼の2階の我が部屋の温度計は29.9℃から30℃を行ったり来たりしています。8畳間の部屋のエアコンは勿論付けていていますが、冷房ではなく除湿。

 

 

こちらはエアコンのリモコンです。設定温度を上げてしまうと、停止してしまうので微妙な調整が必要で、24.5℃にしています。いつもならこれでは暑いはずなのですが、丁度良いのには除湿にしたために、湿度が37%と低めなので良かったのでしょう。

 

冷房より除湿の方が、電気量を抑えられるという事と、風量などは自動にして置くのが良いと聞きますから、この設定でこの夏は乗り切れれば良いと思っています。

 

それでもこの部屋から出ない訳にはいかず、1階のリビングで食事をしますから、部屋を出た途端に熱気がムンムン上がってきます。1階と2階では全然温度が違い、2階は1階に比べると3℃も4℃も高い気がします。2階のトイレは最悪ですね。

1階のリビングは、キッチンとの隔たりもなく、また隣の部屋との仕切りも開けてあるので、少しは気温が低いとはいえ、暑いので、やはり除湿を点けっぱなし。

7月の電気代はやはり気になります。

 

夕方になり、突然のカミナリ。

家の上でのカミナリの音が中々過ぎて行きません。正直怖いほどのカミナリ音で、その内雨が降り出しますが、窓を開けても涼しくはなっておらず、熱風が家の中に入ってきます。

 

突然の雷雨で、BSとCSのテレビが映らなくなりました。

我が家はケーブルテレビではなく、パラボラアンテナを設置していますから、雲が厚くなると衛星からの受信が絶たれてしまいます。暫くして雨がやみ、こちらは解決しました。

 

除草剤が届くので、今日は無理しても庭に除草剤を撒こうと考えています。

 

昭和41年6月25日 日活

 

 

北海道の山村に育った親友同士の二人、大津良夫と中川玄一の夢は高校を卒業したら、横浜に出て船乗りになることだった。先に横浜に出た玄一の後を追って、良夫も横浜にやって来るが、玄一が乗っているはずの船は見つからず、おまけに有金全部を盗まれてしまうのだった。困っている良夫を助けてくれたのは、かもめ丸の船長田山とレストラン“かもめ亭”の娘みどりだった。良夫が横浜に来て数ヶ月、休日に良夫はみどりを誘い横浜の街を見て廻っていると、行方が知れなかった玄一と偶然出会う。玄一は良夫をバーに誘うが、マダムの令子や、やくざらしい黒沼という男とばかりヒソヒソ話していた。足元もふらつかないぐらい飲んだ玄一を見て、良夫は気を利かして玄一が大切そうに持っていたスーツケースを持ち帰るが、ちょっとした調子で開いたケースの中味を知って驚く。ケースの中には密輸品の時計がギッシリ入っていたのだ。玄一は船員ではなく、運び屋になっていたのだ。良夫は玄一を泥沼から救い出してやる決心をするのだったが…。

 

 

20年近くも前の記事を引っ張り出してくるのは、多少後ろめたさも感じるのだが、時を経ても舟木一夫と言うスターの現在地が変わらない。

歳をとり、引退宣言をする人も居れば、引退宣言を取りやめると言い出す人も居る。また道半ばでこの世を去らなければならない人も居る。

いつまでも「歌い続ける」という覚悟は、我々観客側にいる人間には、判っているようで判っていないのではないだろうか。その覚悟が有るからこそ「65周年」「生涯現役」を口にできる「舟木一夫」は凄いのだと思う。

 

朝からバタバタと、投函せねばならぬ手紙やはがきを用意して、役所に提出する書類も電話で確認しながら書き込みます。

 

そうこうしている内に時間が経ち、朝食も取らずに出発。

市役所に行く予定を変更して、市政センターで済ませる事にしました。市役所に行くとなると、隣駅からになり、バスを利用しても、かなり歩かなければならないので、出張所になる市政センターは駅前にあり便利です。

 

予定を変更した事で、全ての行動も変わります。

駅前にある業務スーパーに寄り、買い物も済ませますが、あれもこれもと買っている内に、買い物袋が一杯。トマトが10個で398円。重いなどと言っていられないので、当然買う訳です。

 

一度は、そのままバスで帰る予定でしたが、バス待ちの間に、いつもの大庄水産で、地元の先輩が食事しているのを見つけて入店。

朝食も食べていないので、お酒は控えるつもりでしたが、我慢できずにコップ酒(笑)

厚切りの刺身が美味しくて、さらにコップ酒を追加して、ごはんもお替り(笑)

食べ過ぎです。

 

先輩との話は、年寄りのアルアル話。

病気の話、薬の話で大盛り上がり。そんな話でも、話し相手がいて話をするのは、一人暮らしのさすらいには新鮮なのです。

 

1966年3月27日 日活

 

 

弁護士志望の木場正彦は、ある深夜ハイウェイをもの凄いスピードで飛ばす車を助ける。ハンドルを握っていたのは、宇月美紗緒という女だった。美紗緒はお礼を言い、正彦を家まで送り届けようとしたとき、チンピラに車を囲まれる。しかし正彦の機転で美紗緒を逃がすことは出来たが、正彦はバーに連れていかれてしまう。そこでヤクザに痛めつけられる新聞社編集長・広瀬を見た正彦は、そのヤクザの顔を見て驚く。そのヤクザは小学生時代の同級生吉田一也であった。一也の友達と知って正彦はそのまま家に帰されるが、翌日の新聞に広瀬の死と犯人として一也が捕まったことを知る。一也の無実を信じて正彦は師である小島弁護士に協力を求め、事件の真相を探ることになる。ある日、小島弁護士の用事で宇月産業を訪ねると、そこに美紗緒がいた。実は美紗緒は宇月産業の令嬢だったのだ。惹かれあう二人だったが、美紗緒には既に親が決めたフィアンセがいた。広瀬殺しの事件を調査する正彦だが、そこには宇月産業、美紗緒をも巻き込んだ大きな陰謀が隠されていたのだった。

昭和40年12月4日 日活

 

 

北川和夫は蓼科高原の農場で、ここの亡くなった主人の遠藤善吉の研究を引き継ぎながら、主人の未亡人とその娘の光子と暮らしていた。和夫は街に出掛けた際、きれいなお嬢さんに出会い心を惹かれる。彼女は高原の別荘地に遊びにきていた小泉淳子というお嬢様だった。ある日、この別荘地に、和夫のいる農場を買収しに観光開発会社社長の息子である三島進がやって来るが、進にあった和夫は驚く。二人は小学校の同級生だったのだ。お互い積もる話をしているうちに意気投合することになるが、買収に関しては和夫はガンとして一歩も譲らなかった。2、3日たったある夜、進からパーティの誘いを受けた和夫は進のフィアンセだという女性を紹介されるが、現われた彼女は街で見かけたあの小泉淳子だった。パーティの途中で帰る淳子を送る和夫。和夫の話を夢中になって聞く淳子も、そんな和夫に心惹かれていくのだった。「私、進君のフィアンセじゃないわ。お父様たちが勝手に決めたのよ」という淳子に和夫は思いを告げる。楽しい日々がまたたく間に過ぎさり、淳子が帰京する日が近づいてきた。和夫は、淳子への思い、同級生で親友の進への思い、そして農場の土地買収に悩むのであった。