Black Planet -7ページ目

赤ずきん3

 赤ずきんが持って来た花は、花瓶に入れて窓際に飾られた。
その横で揺れているのは、以前お見舞いに来た時に持って来た花だ。
あれはいつのことだったろうか?

 まだ花は枯れていないから…数日前?それとも一週間前?
何故か、よく思い出せない。

 赤ずきんは男と向かい合わせに椅子に座っていた。

「あの…お祖母ちゃんは…」

 ついたてのほうをチラチラ気にしながら男に問いかける。

 男は、ふっと笑んで瞳を細めた。

「その前に少しお話をしましょう。大事なお話です──良いですね?」

 優しいが有無を言わせぬ口調で言われて、しぶしぶ頷く。
男は優しげな声で続けた。

「前回…最後にお祖母さまをお見舞いに来た日のことを覚えていますか?」

「…いいえ…」

 少し迷ってから首を振る。
 祖母に花を持って来たことや、祖母の笑顔ははっきりと覚えているのに、その他のことは奇妙に記憶が曖昧なのだった。

 男は聞く前からわかっていたように頷く。

「お祖母さまは貴女の持って来た花を見て、大変喜ばれたそうですね」

「はい。お祖母ちゃんは紅い花が大好きだから」

 病人にはふさわしくないと母が止めるのも聞かずに、真っ赤な花を見舞いの品に選んだ。

──ああ、そうだ

 確か、森でこの男に摘まないよう止められたのもこの花ではなかったか。

「彼岸花…曼珠沙華とも言います」

 花に注がれた赤ずきんの視線を追って、男が静かに教える。

「ひがんばな…」

「そう。日本では彼岸の頃に咲くこの花を、不吉な花として忌み畏れられてきました。彼岸に戻って来た死者の為の花で、生者が不用意に摘むと黄泉の国へ連れて行かれてしまうという言い伝えもあります」

「そんな…」

 驚きに大きく見開かれた無垢な瞳を見て、男は優しく微笑んだ。

「知らなかったのですから仕方ありません。貴女はただ、お祖母さまを喜ばせようと思っただけなのですから…ね?」

 赤ずきんはうつむいた。

 急にドキドキと高鳴り始めた胸の辺りをぎゅうっと握りしめる。

 黄泉の国。
連れて行かれる。

 その言葉がぐるぐると頭の中で回っている。

 赤ずきんを見つめていた男は、すっと椅子から立ち上がった。

「──では、もう一度お聞きします。前回、お見舞いに来た時のことを覚えていますか?」

「わ…私……私……」

 いやだ、と思った。

 思い出したくない、と。

「お祖母ちゃんにお花をあげて…お祖母ちゃんは喜んでくれて…それで、それで……」

 男は、そんな赤ずきんの見ている前で、静かについたてを横へ動かした。

 隠されていたベッドが現れる。

 そこには、祖母の姿はなかった。

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赤ずきん2

 花摘みに夢中になって、小一時間ほど経った後。

 赤ずきんは出来上がった花束を胸に抱いて、再び歩き始めた。

 森を抜けて、緩やかな坂道をのぼっていく。

 徐々に見えてくる白い建物の壁。
祖母のいるサナトリウムだった。

 歩く度、胸に抱えた花束から甘い香りが立ち上り、鼻をくすぐる。
満面の笑顔で花束を受け取る祖母の姿を思い描き、赤ずきんは思わず口許を綻ばせた。

 さわさわと髪を撫でて風がそよいでいく。

 サナトリウムは、いつも以上に静寂が満ちていた。
 遠く微かに咳き込む音や、人の囁き声すら聞こえない。

「おや。またお会いしましたね」

 人気のない廊下を向こうからやって来た男が、貴女を見てにこりと笑う。
白衣を着たその男は、先ほど森の中で会った男だった。

 どうやらここの医者だったらしい。

「…先生?」

 お医者様ならばそう呼ぶべきだろうと呼びかけてみれば、男はふっと笑った。

「お見舞いに来たのでしょう?」

 お祖母さまのところに連れていって差し上げましょうね。

 男はそう言うと、赤ずきんの手をやんわりと握り、リノリウムの床を滑るように歩き出した。

 ガラス張りになっているチューブ状の渡り廊下を、男に手を引かれて歩いていく。

 ガラス越しの中庭に白いガーデンベンチがいくつか置かれているのが見えた。
 一人の老人が、頭(こうべ)を垂れてベンチで居眠りをしている。
赤ずきんが見ている間、その老人はぴくりとも動かなかった。

「ここですよ」

 一つのドアの前で男が足を止める。

 白い壁に白いドア。
病室のものが大抵そうであるように、横開きのそれを手で音もなく開いて、男は赤ずきんを中へと誘(いざな)った。
祖母が寝ているはずのベッドは、ついたての陰になっていて見えない。

「さあ、お入りなさい」

 男に促されて、足を踏み出す。

 真っ白な部屋の中で、窓際に置かれた紅い花がゆらゆらと風に揺れていた。

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赤ずきん1

 お気に入りの赤い帽子を被って家を出た。

 ちょっと派手だが、大好きな祖母からの贈り物だったので、その祖母のお見舞いに行くとなれば、きっと祖母も喜んでくれるだろうと思ったからだ。

 バスに揺られて郊外へ。

 祖母が入院している病院は、街から離れた森の中にあった。
白くて静かな雰囲気の漂うその建物は、本当は『サナトリウム』と言うのだと母が教えてくれた。

 時間が止まったような空間と、まるで夢の中を彷徨っているかのような顔をした人々。

 その様子を思い浮かべながら、赤ずきんはふと前回訪ねた時に祖母が見舞いの花をいたく喜んでいたことを思い出した。

 当然、近くに花屋などは見当たらない。
ただ緑深いの森が広がるばかり。

 辺りを見回した赤ずきんは、紅い紅い花を見つけた。
火花が散るのにも似た華やかさで開いた紅い花びらが、緑の茎に眩しく映える。

 それを手折ろうと手を伸ばした時、

「お嬢さん、それはとってはいけませんよ」

 不意に男の声が耳に届いた。振り返った貴女の視界が黒く染まる。

 闇かと思ったのは、男の着ていた黒衣だった。
背の高い男が、黒くそびえる影のように、上からこちらを見下ろしている。

「それは死人の花です」

 ひどく優しく、砂糖菓子のような甘い声。

 大きな帽子の陰になった白い顔が、赤ずきんを見て微笑んでいる。

「採るのならば、別の花にしなさい」

 男はそう言って森の深みのほうを指差した。
その方角、茂みの向こうに、淡い色をした可憐な花が群生しているのを見つけ、赤ずきんはわぁっと感嘆の声を上げた。
これだけあれば、きっと素敵な花束が作れるに違いない。

「有難う」

 赤ずきんは教えてくれた礼を言って振り返ったが、既にそこに男の姿はなかった。

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