Black Planet -5ページ目

白雪姫1

 ──あの眼。

 ダリア王妃は、夫であるダグラス王が娘を見る時の眼差しに恐怖を覚え始めていた。

 あの眼は、まるで、"女"を──"恋人"を見るような眼ではないか、と。


 ダリア王妃とダグラス王は、国の政略結婚だった。
 そこには様々な思惑が存在していたが、ただの政略結婚ではない証拠に、ダグラス王は妻となったダリア王妃を大切に扱ってくれていたし、何より愛情を注いでくれているのが感じられていたから、ダリア王妃は満足していた。

 ダグラス王の国も、ダリア王妃の国も、二人の結婚に国民達は大いに喜んでいた。

 二人の結婚生活はとても上手くいっていた──はずだった。

 二人の間に、娘が生まれるまでは……。


「ダリア王妃…今日はどのようなご用件ですかな?」

 突然訪ねて来たダリア王妃に、魔法使いは少し驚いた様子で用向きを尋ねた。
 深夜の訪問を不快に思っていたとしても、それを器用に隠しているのか、魔法使いの表情からは嫌悪の感情は読み取れない。

「ええ、私…私、あなたにお話したいことがあって…」

 あなたのほかに頼れる者はいないの、とダリア王妃は魔法使いの顔を伺いながら呟いた。
言外に、ダグラス王には秘密の訪問なのだと匂わせて。

「とにかく、中へ」

「有難う」

 戸口に立っていた魔法使いは、少しだけ退き、ダリア王妃が入れるようにドアを開いた。
暗い道路が、ドアの形の分だけ白く切り取られる。
漏れ出る灯りに眩しげに目を細めて、ダリア王妃は室内へと足を踏み入れた。

 魔法使いの自宅の中は、どこか虚ろな雰囲気が漂っていた。

 不潔ではないが、生彩を欠いた空間。
古く、重苦しい感じのすり家具に、歳月を経た書物が放つ独特の匂いが辺りに満ちている。

 無造作にテーブルに置かれている幾つも付箋が挟まれた本は、先ほどまで読んでいたものだろうか。

 ソファに座ったダリア王妃の前にグラスを差し出しながらスネイプが静かに言った。

「偶然にも、王妃が来られる前に、王が訪ねて来ていました。私に相談したいことがある、と」

 はっとして顔を上げたダリア王妃は、魔法使いの冷静な顔をじっと見つめた。

「王は、何と?」

「その前に王妃、貴方のお話を伺いましょう。その為にわざわざ訪ねて来られたのですからな」

 自らもグラスを持って王妃の向かいに座ると、魔法使いは僅かに微笑んだ。

 あからさまに値踏みするような目付きではなかったが、それでも、ダリア王妃には、この男が自分とダグラス王どちらの側につけば特になるか、慎重に二人を天秤にかけているのがわかった。

 ダグラスばかりではない。狡猾さでは、この男も同じなのだと、ダリア王妃は唇を噛む。

「ええ、そうね……私、あなたにお願いしたいことがあるの──あの子のことで」

「…ほう」

 ランプの光を受けて、一瞬、魔法使いの昏い瞳が赤く輝いたように見えた。

Next2

ラプンシェル

 子を孕んでから、ラプンシェルは呆れるほど眠るようになった。

 つわりが酷いのかと聞いて見れば、とにかくただ眠いのだと言う。
一種の防衛本能のようなものなのか、あるいは、二人分の命を背負うことになった体が、それだけ休息を必要としているのだろう。

 それこそ胎児そのものの体勢で、ベッドに丸くなって眠っている姿をよく見かけるようになった。


 医者が言うには、睡眠とともに適度な運動も必要らしいので、今まで軟禁していた塔から、古い館へと部屋を移した。
 この館の敷地内には、ありとあらゆる強力な人避け魔法をかけてあるから、ここならば人目につかずに庭を自由に散策することも可能だ。

 何より、環境が出産に適している。
ラプンシェルも、やはり自由に外を歩けるのが嬉しいらしく、素直に甘えてくることもある。

 腹の中の子も順調に育っているようだ。
腹を撫でてやると、時折中で動いているのが感じられる。


 予定通りに行けば、我が子の誕生は12月31日になるはずだ。


 哀れな夫婦から奪った最愛のラプンシェルは今、地上で最も恐ろしい魔法使いの腕の中で静かに眠っている。


END

人魚姫

 近く、人魚姫をモチーフにした舞台を観に行くことになったエマは、事前に物語のおさらいをしておこうと、書店で童話を買い求めた。

「人魚姫…?」

 ネクタイを緩めながら、兄がテーブルの上に置かれた本を見やる。
エマは兄から受け取ったコートをハンガーにかけて頷いた。

「うん、今度劇を観に行くの」

「ふーん、劇をねぇ…」

 何やら含みのある言い方だ。

 兄が自らの膝を軽くポンポンと叩いて促す。
エマはちょっと恥ずかしそうにしながらも、ソファに座る兄のもとへ歩み寄った。
 すると、まるで羽毛のクッションでも取り上げるように軽々と膝に抱き上げられてしまう。

「エマは人魚姫の話をどう思う?」

 切れ長の涼しげな眼が直ぐ目の前で笑んでいた。

「えー…人魚姫は悲恋の物語…だよね?」

「まあ、大筋ではそうだな」

 すうっとその瞳が細められ、しなやかな指が髪をすき流す。

「けれど他の大抵の童話がそうであるように、人魚姫にも隠された側面があるんだ。官能的な側面が、な…」

「か……官能的?」

 頬を撫でられながら艶やかに微笑まれたエマは、それこそ白雪姫の林檎もかくやと言う程に赤くなった。

 こういった兄のスキンシップに慣れていないのだ。

「あぁ。人魚姫は王子に会いに行く為に薬を飲んで人間の姿に変化するだろ?
15歳の誕生日という表現があるように、変身前の人魚姫は『思春期の少女』なんだ。
魚の尾の形をした下半身は、両足を閉じた姿──すなわち処女性を表している」

 そこで言葉を切り、兄はくっと笑った。

「そして、変身後の人魚姫は、自由に両足を開くことが出来る人間の女となった。つまり、『処女喪失後の女性』を表しているんだ」

「!!」

 兄の膝の上で貴女は耳まで赤くなった。

気のせいか、兄の顔が先ほどより近づいているような気がする。
間近で美しい顔が微笑んでいる。

「他にも物語の中には様々な隠喩が隠されているらしいけど、童話としての純粋性を前面に押し出すあまり、近頃ではそういった解釈には目を瞑る傾向がある」

 それはそうだろう。
人魚姫がえっち前と後の女の子を暗に表しているなんて、とても子供には教えられない。

「エマの観るという舞台が、本来の寓話そのままを演じるのか、それとも、陳腐な子供向けの童話に貶められたストーリーになっているのか……いずれにしろ、実に興味深いな」

 良い勉強になると言われて、エマは真っ赤になってふるふる震えた。

 人魚姫にそんな意味があったなんて…
もう純粋な目で舞台を観られそうになかった。

「ところで…」

 兄がひときわ甘い声で低く囁く。

「エマはいつまでたってもこうしたことに慣れないな…反応が初々しいというか──まるで、処女のようだ」

 何も知らない人魚姫をとっくに『女』に変身させてしまった悪い男は、そう言ってくくっと笑った。

END