人魚姫 | Black Planet

人魚姫

 近く、人魚姫をモチーフにした舞台を観に行くことになったエマは、事前に物語のおさらいをしておこうと、書店で童話を買い求めた。

「人魚姫…?」

 ネクタイを緩めながら、兄がテーブルの上に置かれた本を見やる。
エマは兄から受け取ったコートをハンガーにかけて頷いた。

「うん、今度劇を観に行くの」

「ふーん、劇をねぇ…」

 何やら含みのある言い方だ。

 兄が自らの膝を軽くポンポンと叩いて促す。
エマはちょっと恥ずかしそうにしながらも、ソファに座る兄のもとへ歩み寄った。
 すると、まるで羽毛のクッションでも取り上げるように軽々と膝に抱き上げられてしまう。

「エマは人魚姫の話をどう思う?」

 切れ長の涼しげな眼が直ぐ目の前で笑んでいた。

「えー…人魚姫は悲恋の物語…だよね?」

「まあ、大筋ではそうだな」

 すうっとその瞳が細められ、しなやかな指が髪をすき流す。

「けれど他の大抵の童話がそうであるように、人魚姫にも隠された側面があるんだ。官能的な側面が、な…」

「か……官能的?」

 頬を撫でられながら艶やかに微笑まれたエマは、それこそ白雪姫の林檎もかくやと言う程に赤くなった。

 こういった兄のスキンシップに慣れていないのだ。

「あぁ。人魚姫は王子に会いに行く為に薬を飲んで人間の姿に変化するだろ?
15歳の誕生日という表現があるように、変身前の人魚姫は『思春期の少女』なんだ。
魚の尾の形をした下半身は、両足を閉じた姿──すなわち処女性を表している」

 そこで言葉を切り、兄はくっと笑った。

「そして、変身後の人魚姫は、自由に両足を開くことが出来る人間の女となった。つまり、『処女喪失後の女性』を表しているんだ」

「!!」

 兄の膝の上で貴女は耳まで赤くなった。

気のせいか、兄の顔が先ほどより近づいているような気がする。
間近で美しい顔が微笑んでいる。

「他にも物語の中には様々な隠喩が隠されているらしいけど、童話としての純粋性を前面に押し出すあまり、近頃ではそういった解釈には目を瞑る傾向がある」

 それはそうだろう。
人魚姫がえっち前と後の女の子を暗に表しているなんて、とても子供には教えられない。

「エマの観るという舞台が、本来の寓話そのままを演じるのか、それとも、陳腐な子供向けの童話に貶められたストーリーになっているのか……いずれにしろ、実に興味深いな」

 良い勉強になると言われて、エマは真っ赤になってふるふる震えた。

 人魚姫にそんな意味があったなんて…
もう純粋な目で舞台を観られそうになかった。

「ところで…」

 兄がひときわ甘い声で低く囁く。

「エマはいつまでたってもこうしたことに慣れないな…反応が初々しいというか──まるで、処女のようだ」

 何も知らない人魚姫をとっくに『女』に変身させてしまった悪い男は、そう言ってくくっと笑った。

END