ムル☆まり同盟 -265ページ目

「ワーニャ伯父さん」

チェーホフ, 神西 清

かもめ・ワーニャ伯父さん

 「芝居は小さな芝居小屋で観るもの」「ロシアに住んでいる間にゼッタイ観る価値あり」。ロシアを気に入って住んでいるモスクワ生活の先輩たちからしばしばこのような声を聞き、是非一度はロシア人の芝居を観てみたいと思っていた。役者は演技力抜群なので、ロシア語がわからなくともメッセージは十分伝わってくる、と皆口を揃えて言う。

 演劇はモスクワにおいて俄然根強い人気を誇っている。中心となるのは、チェーホフやゴーリキーなどの古典作品の数々で、収容人数100人前後またはそれ以下の小さな劇場がモスクワはもちろんのこと、ちょっとした街であればどこにでも無数にある。街角のいたるところに、人気劇場の看板や宣言広告を目にする環境にあって、日本人のしかも私よりも「ロシア歴」が1,2年しか長くない人たちに勧められれば、その気にならないわけがない。

 そこで、まず原書を読んで予習してから観ることにした。最初に選んだのはチェーホフの小品集だ。「ワーニャ叔父さん」「桜の園」「かもめ」などどれも短編戯曲で初心者向けだ。読み物としては、短編なので内容がすっきりしていてメッセージもわかりやすい。国も時代もまったく異なるのに、現代日本人の私たちに語りかけてくる共通の想いを強く感じられるのは、チェーホフの偉大さかもしれない。どの作品もほぼ毎日といってよいほど、街のどこかで上演されている。

 「ワーリャ伯父さん」は、ペテルブルグに旅行したとき、「ウラジミール・マリシツカバ劇場」という場末の小さな劇場で観た。観客総勢20人以下、舞台の中に客席があるというユニークな状況で、クライマックスではロシア人観客に混じって主人公たちの迫真の演技に涙を流し、人生について「働くということ」について考える時間を彼らと共有した。 

劇場全景   

舞台兼客席の全景

セット一部

セットの一部  

 

暑いぞっ!

暑い!

暑い、暑い、暑い!!


どうしてロシア猫の私がこんな目に遭わなくっちゃなんないのよっ!

モスクワのおうちはよかったわねぇ。1年中ほぼおんなじ気温でさっ。


見てみてっ!

私、最近、抜け毛がひどいのよぉっ。暑すぎるからだわっ!


・・・というわけで、昨日は、きてぃを操ってエアコンのスイッチを入れさせる方法を編み出した。にぶいきてぃには3回目にやっとこちらの意図が伝わった。今日からはきっと1回で伝わることだろう。さっ、この風が止まったら今日も試してみよっかなっ。【ムルカ】


ねこはエアコンよりも自然の風の方が好きだと猫好きの友人に聞いたことがある。そんなことはない。エアコンが入っているとき、ムルカはいつもエアコンの風が直撃するポイントを選んで寝ている。噴出し口の真下で首を伸ばして風を楽しんでいることもある。【きてぃ】

「戦争と平和」

トルストイ, 工藤 精一郎

戦争と平和 1 (1)  (全5巻)


 モスクワに行けば暇ですることがないだろう、と考えたくさんの本を日本で買い込んで船便で送った。もちろん、「現地で生の文化や風土、気候に触れながら味わいたい」などと考えて、ロシア文学の大作もいくつか買い込んだ。そのひとつが「戦争と平和」。

 全4巻、約2,500ページ。とっても敷居が高かった。あまりにもあちらこちらで絶賛されているこの大作、トルストイが2,500ページにもわたって、戦争と平和について淡々と語るようなイメージを持っていた。ところが、いざ読み出してみると意外に読みやすい。これはナポレオン戦争前後の時代を生きたトルストイの父方と母方の親戚をモデルに書かれた物語で、若い男女の恋のドタバタあり、親子間での確執あり、若者の戦争での活躍へのあこがれあり、と、噛み砕いてみると、現在のテレビドラマにも通ずるような生々しい人間ドラマだった。

 非常にたくさんの人物が登場するのに、ひとりひとりの描写がとても丁寧だし、当時の各階級の人々の生活ぶりもよくわかる。戦場とそれ以外の都市や領土での生活が交互に描写されているため、歴史に疎い私にも、何となく当時の状況がつながって見えてくる。舞台もモスクワやペテルブルグ、ヤースナヤ・パリャーナ(トルストイのふるさと)が中心で、それぞれの土地柄を多少なりとも知っていると、各場面の情景も具体的に浮かんできてさらに味わえる。なかなか楽しんで読みことができた。

 難を(?)言えば、総括が長い!これだけの分量にわたり総勢500人とも言われる登場人物たちの戦場、日常生活両方での生き様を淡々と提示しておいて、最後にまとめを持ってきた形で、トルストイ独自の社会的歴史的哲学的考察が、延々60ページ以上にもわたって展開される。この最後の部分だけは、字面は理解したのだが、右から左へと抜けてしまった。あと5年くらいしたらもう一度読み直してみようと思う。

ヤースナヤ・パリャーナ

舞台のひとつヤースナヤ・パリャーナにて。

この白樺並木の道を抜けたところにトルストイの家がある。



 

気になるお外

気になるお外


 ご多分に漏れずムルカも外を見るのが好きだ。だからといって「野原を楽しく駆け回りたい」という願望を持っているかというと大間違いだ。すべての動物は野生の姿が一番自然、それに帰してやるのが一番幸せだなんて、それは人間の勝手な妄想だ。

 最初に違うかな、と思ったのは、避妊手術に連れて行ったとき。ムルカはすぐ近所にある大学の獣医学部付属動物病院で手術を受けた。季節は初夏、キャンパス内にはシロツメクサが咲き乱れ、草は青々と生い茂り、気持ちよさそうに蝶々まで飛んでいた。病院はすぐ近くだったが、大通りや地下通路、と完全室内飼いのムルカには初めての雑然としたところを通ったため、病院に到着したとき彼女はすっかり怯えていた。だから、ご褒美のつもりで、建物に入る前にケージのドアを開け、少し休憩させてやろうとした。喜ぶだろうと思ったのに、ムルカは怯えたままケージから半分身を乗り出しただけだった。

 そのほとぼりも醒めた頃、夫が「近くから徐々に慣らさなくっちゃ」というので、マンションの敷地内を散歩させようとした。とんでもなかった。屋外に出てケージから出そうとすると、いきなり強い抵抗に合った。そのとき彼女がもがいて私の胸部につけた爪痕はその後1ヶ月くらいも残ってしまい、いかに必死に抵抗していたかを物語っている。地面に置くや否や建物の扉のそばまで逃げ帰り、入れてくれと鳴き喚いた。それでも強引にリースを引っ張って歩かせようとすると、すっかり腰がくだけ、爬虫類が地面を這うようなぶざまな歩き方をした。


 そして圧巻がボロンツォフスキー公園だ。

 散歩失敗の話をロシア人猫愛好家にすると、それは自動車騒音のひどいこのマンションの敷地内を歩かせたところに問題があるという。猫は本来、散歩が好きな動物だ。(彼女も頻繁に自分の猫を散歩させている。) 車の騒音の聞こえてこないような郊外または大きな公園の中心部へ連れて行くべきだと主張した。ねこ馬鹿の私たち夫婦はさっそく試してみた。

 ボロンツォフスキー公園は、モスクワ市南西部にある市民の憩いの場だ。林で囲まれた敷地内には池があり、野原があり、子どもたちのための簡単な遊具や売店もある。ボートを漕ぐ人もいれば、何時間もベンチに腰掛けておしゃべりや読書を楽しむ人もいる、市内どこにでもあるのどかな公園のひとつだ。敷地が広いため、真ん中まで連れて行けばもちろん自動車騒音はまったく聞こえない。

 こののどかな空間でも駄目だった。最初はケージから出ることすら嫌がった。無理やり出して膝の上に乗せると夏なのにガタガタ震え始めた。「しばらくしたら慣れるよ」という夫の期待もむなしく、ムルカは最後まで決して野原を楽しげに走ることもなければ、蝶々や虫と戯れることもなかった。

 そういうわけで、お外が気になるからといって、それは必ずしも「お外に行きたい」ことを意味するわけではない。3LDKのマンションで飼われていたって、ムルカは幸せだ。


 



我が家の家宝「本棚で眠るムルカ」

ムルカの絵  

 ムルカは月齢2ヶ月で我が家にやってきた。本当にかわいかった!この猫はねこ歴20年近くの私が完全室内飼いをする初めての猫で、これまでのどの猫ともまったく違っていた。これまでの猫たちは外に自由に出し親子で複数匹飼っていたので、彼らには人間の知らない「家の外での猫の世界」が存在し、また「猫の家族内での関係」もあった。彼らには彼らの世界が存在したのだ。だから、家の中には「人間族4人」と「猫族数匹(最高4匹)」が共棲しているという感じで、猫と人間は決して家族でもなければ親子でもなかった。いうなればご近所?彼らには彼らの生活があり彼らのペースがあった。人間がいくらかわいがっても「絶対に立ち入れないねこの領分」というのが存在していた。

 完全室内飼いをした場合の猫と人間の関係が、そうでない場合とはまったく違うということは、正直言ってムルカを飼うまで予想だにしていなかった。

 我が家に来た翌朝、耳元で大きな声でミャアミャア鳴くムルカの声で目が覚めた。うち、猫が来たんだっけ・・・っと思いながらもさらにまどろみ続けていると、ほっぺたをぱしっとぱしっと叩き始める。今のサイズでこれをやられると結構腹が立つのだが、そのときはただ素直に心から「かわいい~っ!!」っと思い、それだけでメロメロになってしまった。

 起きてキッチンに向かうと私のあとをとことこついてくる、朝食の準備をし始めるとなんと近くにあったソファやカウンターを上手に利用して、私の肩によじ登ってきた。そのまま肩にとまって、私がしていることを満足げに眺めているのには、とてもびっくりした。

 その後もずっと私の後をついて歩く。食事をすれば食事をしている様子の見えるところに陣取って毛づくろいをする。パソコンに向かって新聞を読み出すと、なんと私のパソコンのキーボードの上に横になる。シャワーを浴びればシャワールームの前に横になって待っている。とにかく常に私から半径50cm以内のところに自分の場所を見つけては陣取る、見つけては陣取る、その繰り返しだ。なんてかわいいんだろう~!!しかも当時は月齢2ヶ月。階段の段差と彼女の胴の長さは同じくらいで、階段から落ちたらどうしよう、トイレのふたを開けっ放しにしたらおぼれちゃうかも・・・本気でそんな心配をしてしまうくらい小さくて頼りなげだったのに、その小さなムルカが、全身の力を振り絞って私のあとをついてくるのだ。ただそれだけに必死なのだ。なんてかわいいの~~~!

 この絵は、その頃の一こまを写した写真をロシア人画家に見せ、ロシアっぽく仕上げてもらったものだ。当時ムルカは、パソコンに向かったとき私の頭のちょうど真横になる本棚の本の上に座るのが好きだった。私の姿を眺めながらいつのまにか眠ってしまうのがあどけなくてたまらない☆

 こうして、ムルカは上手に私の心を奪い、夫の心も奪い、おとなに成長した今、我が家の女王に君臨している。我が家はムルカ中心の家族となってしまった。

 

 ム:「かわいかった」という過去形が気になるなぁ。今は~?

 き:今はかわいいていうか、あんた対等すぎるよねぇ?

 ム:そういうの、よきパートナーって呼べないの?