ドネーション・オフィス -1- あらましと私のウキウキ新人時代
子ども服の仕分け棚
イラストと数字を参照しながら、対象年齢とアイテム別に分けて棚の上に収納していくのがボランティアのお仕事
ドネーション・オフィスは、メンバーからの寄付品を受け取り、仕分けして、それを必要とする各種プロジェクトに再分配する場所。基本的には、毎週月曜日、午前11時から2時間がオフィスアワーなので、この時間に持ち込みや引き取りに来るよう呼びかけている。また、市内にいくつかある「外国人村」での定期回収も行われていて、それらは週に一度、大量にまとめて持ち込まれる。
各プロジェクトのニーズを把握し、広報したり、寄付の山の中から見つけ出して調達するのがこのオフィスの主な役割である。
IWCチャリティが現在の形でドネーション・オフィス(寄付品の仕分け事務所)という場所を設けて寄付品の仕分け作業および各プロジェクトへの受け渡しを始めたのは、さほど昔のことではない。私が参加し始めた2002年9月でようやく1年とか2年とかだと聞いたように記憶している。それまでは、某外資系企業の倉庫、そのもっと前は、中継所もなく、コーディネータ間のメールや電話による連絡網とボランティアによる車での搬送に頼っていたと聞いている。現在のドネーション・オフィスは、某大使館が、自国民のためにロシア政府から借り上げているアパートの一室を無償で提供してくださっているものだ。
そういうわけで、私がボランティアを始めた当時、オフィスに寄せられる寄付の量は、モスクワを去る頃の数分の一に過ぎなかった。まだ、そのようなシステムがあるということがあまり外国人に知られていなかったからだ。最初の数ヶ月は、オフィス・コーディネータの方が、品物の回収に来る他のプロジェクトのコーディネータの方たちの対応に忙しく働いている一方で、仕分けする品物があまりなかったので、作業はいつも数十分で終了してしまい、残りの時間、私たち一般ボランティアは、おしゃべりに花を咲かせていた。
と言っても、「何かしたくて」集まってきた私たち、ただ、お茶を飲んでいるのも何だか落ち着かないので、メモ紙を切ったり、子どもたちに配るソックスを編んだり、品物をわかりやすく整理するためにイラスト入りでラベルを作ったりしながら時を過ごした。クリスマス時期になると、いくつかのプロジェクトでは、クリスマスプレゼントを必要としたので、寄付品の中から新品を選んでそれらを美しくラッピングしたりするのもボランティアの仕事だった。
で、これらのラベルが私たちの作品(?)
たとえば、一番左は「2-5歳児用長袖シャツ」
ベビーソックス
1年目はこれを10足くらい編んだ。
それでも、活動日に当たっていた毎週月曜日、週の初めに常連が集まって色々話をするのは楽しかった。モスクワ、ニューカマーの私は、そこで色々な情報を仕入れた。クロスカントリースキーを始めたのも、実はここで聞いた楽しいお話がきっかけだったし、店もいくつか紹介してもらった。また、新参者どうしで、モスクワ生活の愚痴で盛り上がるのも、ちょっぴり楽しかった。
この時期、コーディネータの方たちに感謝しているのは、こんなおしゃべり軍団の私たちにも、ひとつひとつのプロジェクトについて熱心に説明してくださったことだ。誰かコーディネータの方が来られるたび、オフィスのコーディネータの方は私たちのことを「月曜日に働くMonday Ladiesよ」と紹介してくださり、各コーディネータは快くご自分のプロジェクトについて説明してくださった。仕事の内容を知らずに末端の作業をするのは楽しいことではない、こんなところにも、一般ボランティアにボランティアの作業を楽しんでもらおうという執行部の方たちの心遣いが感じられた。
総会時に使用したこのようなパネルがあるときは、これを使って、ボランティアにプロジェクトの説明をしてくれるコーディネータもいた。 ~ IWCが施設の改装費用を出すこともある。このパネルは、その「ビフォー・アフター」。もちろん出したのは材料費だけで、作業を行ったのはここで生活する(日本でいうと高校生程度の年齢の)で子どもたちである。
では、どのような物が寄付されてくるのか。
これは、各プロジェクトの実情を知らないとなかなか想像がつかないことだと思う。後に、日本人社会で寄付の呼びかけをするようになってからも、このことをわかってもらうのが一番難しい作業だった。
どのような物が必要で、どのような物が寄付されてくるのか。
答えは、使えるものなら、すべてだ。
衣料品が必要なのはもちろんのこと、要らなくなった日用品や電化製品、家具、おもちゃに手芸品材料など、本当に何もかもが必要なのだ。
年齢を追うと、前回の記事でご紹介したとおり、モスクワ市内のベビーハウスの子どもたちの衣類や玩具はほとんど寄付で賄われている。学校に進んで孤児院に入れば、衣料品のほかに文房具も必要だ。スポーツもするようになる。また、将来の就職に備えてコンピュータスキルは必須なので、コンピュータやソフト&ハード備品、HowTo本は引っ張りだこだ。寮の部分を改装することもあるので、カーテンやカーペットなども重宝される。また、孤児が施設で暮らせるのは、義務教育を終了するまでなので、学校を出ると同時に、家財道具一式が必要となる。政府はアパートを与えてくれるが、中身は与えてくれない。
それから、ホームレスは様々な年齢層を含むので、あらゆる年代用の衣料品や靴が必要だ。(実際、裕福な方はあまり痛んでいないブラジャーや靴下も捨てることが多いらしく、とても綺麗な状態の-でも使用済みの-下着も多数寄付されてきた。そして、喜んで引き取られていった。)
さらに、いくつかのスープキッチン(炊き出し)にも協力しているので、米やパスタ、缶詰その他保存食品も歓迎される。社会的孤児のシェルターやあまり裕福ではない子どもたちの集まる青少年センターのようなところも支援しているので、彼らのために、ゲームやスポーツ用品、手芸材料、絵画材料、等々も役に立つ。
また、スープキッチンにやってくる貧しい年金受給者への支援も行っていたので、老眼鏡やひざ掛けなども必要とされることがあった。
そして、施設や路上で生活している方に必要なさそうな美術品などは、年末のチャリティバザーで売却し、運用資金の一部に当てることもできる。
つまり、自分は使わないが、使用可能なものは何でも大歓迎というわけだ。
こうして、1年目は、楽しくおしゃべりをし、色々なプロジェクトについて学んでいるうちに過ぎていった。この時期は、はっきり言って、チャリティ活動への貢献度に比べると、チャリティ活動が私にもたらしてくれるものの方がずっと多かったと思う。そして、ここで様々なモスクワの諸事情とそれに対処するプロジェクトの話を耳にすることによって、ここに集まる仲間だけではなく、モスクワという街、ロシアという国を、以前よりもずっと身近に感じられるようなったことは、この活動以外の面でも、モスクワでの居心地をかなりよくしてくれたように思う。
超不機嫌!!
明日から来客があるので、今日は朝からお掃除に買い出し、料理の仕込み、とバタバタ忙しくしていた。一応、お庭のベストタイム、午後11時頃から午後2時頃までは、ムルカが出たがれば出し、休憩に戻ってくれば、ごはんやおやつを与え、と、結構、忙しいながらも「尽くした」つもりだった。
それでも、不満だったらしい。
今週は、火曜日にも来客があり、外出がちでもあった。おまけに一日中家にいた日は、天候が悪く、ほとんど散歩ができなかった。ストレス溜まるムルカである。
そんな中、今日の夕方、家事の息抜きにブログを書いていたときのこと、2階にやってきたムルカは、最大級の「かまって」モードに入っていた。
まず、机の上にひらりと飛び乗る。それから、本棚に飛び乗り、クローゼットの扉を開けろと鳴く。言われた方の扉を開けて座ると、もうひとつもと鳴く。挙句の果て・・・。
クローゼットの奥の方にもぐって、カサカサ音を立て始める。
怒りが伝わってくる。
伝わってきたけど、証拠写真をとってしまった。
お察しの通り、「焼きがつお」一本で、話をつけました。
ベビーハウス (乳児院)
「モスクワの子どものいる家庭の70%はシングルペアレント。これには、両親以外、つまり、祖父母その他の親戚が保護者の場合も含まれる。」
人に頼まれて、IWCチャリティの資料の中から、子どもの置かれている状況を説明した部分を翻訳しようとしたときのこと、いきなり一行目で手が止まった。タイプミスではないかと思った。しかしながら、他のどの資料を参照しても数字は同じ。詳しい人に確認しても同じだった。一般家庭で育つ子どもの3割しか両親と一緒に暮らしていないとすると、一般家庭以外、つまり施設や路上、里親の下で生活する子どもたちを数に入れれば、両親+子ども、というスタンダートな家族構成で育つ子どもの割合は、さらに低いものになる。
モスクワにおける恵まれない子どもたち、つまり、孤児やアル中などの養育不適格者を親に持つ社会的孤児、(経済的に苦しい)シングルペアレントの子ども、ストリートチルドレンなどが多い理由としてしばしば挙げられるのは、ロシアにおける性教育へ取り組みが非常に消極的なことだ。
ロシアでは、保守的な体質が根強く、性教育をタブー視する傾向にあるため、学校できちんとした性教育がなされていない。また、ロシア正教の教えにより、中絶をする人は非常に少ない、と聞く。したがって、避妊の知識不足から、初体験の相手とできちゃった結婚せざるを得ない状況に陥る20前後の若者が非常に多い。学生どうしである場合も多い。(同じ理由で、ロシアにおけるHIV感染率は非常に高く、将来は労働人口が不足し国外の労働力に頼らざるを得ないだろうとの懸念もある。)
できちゃったからと言って、彼らに経済的能力があるわけではなく、多くはどちらかの親の家庭に転がり込むことになる。そうして結婚した彼ら、当然、長続きする確率は非常に低い。相手の親と折り合いが悪くなる場合もあれば、恋が冷めて別れたくなる場合もある。赤ん坊は生まれた、仕事はない、と、行き詰った状況が、ドメスティック・ヴァイオレンスやアル中につながることも決して少なくは無い。
こうして残された子どもたちは、孤児院に収容されたり、そこから脱走してストリートチルドレンになったり、経済力のないシングルペアレントの下で生活苦にあえいだり、と、非常に厳しい道のりを強いられることになる。
モスクワ市内には、約20箇所のベビーハウスがある。ベビーハウスは、0歳児から就学直前までの孤児または社会的孤児の面倒を見る場所だ。施設の規模にばらつきはあるが、だいたい1施設に30から50人程度の乳幼児が収容されていて、年齢別に10人前後ずつのグループ分けをされて生活している。1グループにはシフト制で常時2人の保母が付く他、この施設では他に医師が2交代で1名常駐、院長と秘書、食堂の調理師、警備員などが働いている。また、教育担当の保育士もいる。
この施設は、起床から就寝まで、3食とお昼寝のほか、保育士による紙芝居やおゆうぎ、お絵かきなど、何らかの「教育」の時間、トイレやお風呂の時間まで、こと細かく決められたプログラムにしたがって運営されている。が、10人前後のグループに、たった2人で1日中面倒を見るのだ。ここの保母は大変な重労働(しかも薄給)、とても自由時間に一緒に遊んでやる体力的精神的余力は残っていない。
そこで、外国人ボランティアが、1,2週間に一度、同じハウスを訪問し、自由時間に一緒に遊んでやるのだ。
ボランティアのグループは、モスクワ歴が長くロシア語の話せる経験者を中心に、各施設の近所に住むボランティア登録者3-5人で構成される。私のグループにもロシア人と結婚したモスクワ歴10年の台湾人がいて、この人がリーダー兼通訳を務めてくれた。
最初に訪れたときの顔ぶれは、台湾人とアメリカ人、そして日本人の私という顔ぶれでロシア語が話せるのは、このリーダーさんだけだった。3人中2人がアジア人だし、3人中2人はカタコトロシア語だし、「こんなんで、ボランティアになるのかしら?」と半信半疑だった。
けれども、案内された4,5歳児のお部屋に入って、まずびっくり。
靴を脱いでプレイゾーンに入るなり、親戚か顔見知りの近所の人が来たかのように、子どもたちは、嬉しそうに私たち3人のまわりにわっと集まった。抱っこをせがむ者、ボール遊びをせがむ者、大好きなお人形を見せてくれる者、等々。とても初対面とは思えない対応だった。
愛情に飢えているのだ。
もちろん保母さんたちがそっけないわけではない。保母さんたちも、温かく接してはいらっしゃるのだが、何しろシフト制とはいえ24時間この子たちの面倒を見ている。とてもお疲れで、鬼ごっこやボール遊びなど、体力を使う遊びにまでつきあう余力は残っていないという感じだった。
私がボランティアをしていたのは、第12ベビーハウス別館。家からバスで20分ほどのところにあった。ここには、少し広めのお庭があり、そこにIWCから寄付された遊具で作ったちょっとしたプレイロットがあった。ここに連れられてきてから、運よく養子にもらわれるか、あるいは、学齢の子どもの孤児院に移るまで、彼らはこの外の世界をほとんど知らずに育つ。だから、外の世界に異様なまでの関心を示す。
たとえば。
ある日のこと、窓際に数人が集まって、おでこをぺったり窓にくっつけて何かを見ている。「何が見えるの?」と尋ねると、「く~る~ま~♪」と一斉に答える。とてもわくわくするモノを見ている表情で、嬉しそうに口々にそう教えてくれる。見れば、一般的な国産車が敷地内に入ってきたところだった。それが子どもたちの好きな誰かの車、というわけでもないらしく、その後、気をつけて見ていると、物資搬入の業者の車であれ、何であれ、門が開いて何かが入ってくるたびに、何人かは必ず反応していた。
車は外界の雰囲気を運んでくるもの。彼らには大きな関心の対象だった。もちろん、私たちボランティアも。
また、ボランティアが一緒だと、保母さんたちが少し大目に見てくれることを知っているちゃっかりした子は、ボランティアと手をつなぎ、プレイロットから離れて、敷地境界線のフェンスのところまで行く。そこから、じぃっとお隣のアパートや外の世界を眺めている。(余談になるが、うちのムルカが敷地の境からじぃっと外界を眺めている姿を見ていると、たまに彼らのことを思い出し、とてもせつない気持ちになる。ともに、同じ空気が流れていて、すぐそこに見える敷地の外に出ることは決してできない。)
虐待などのつらい経験を経てハウスにやってきた子も少なくない。そんな子は心に深い傷を負っていて、決して人と目を合わせなかったり、見ないのに握った手を離さなかったり、ボールを投げても受け取ろうとはしなかったりする。また、繰り返し、訪問しているうちに、友だちを叩くくせのある子、お腹が痛いとうそをつく子などに気づく。そうすれば、ボランティアが自分に注意を払い話しかけてくれることを知っているのだ。
最初は、ただかわいかった。(ホント、スラブ系の子どもってお人形そのものなんですよっ!) それから、彼らがいかに愛情に飢えているかということに驚き、顔なじみになってくると、だんだん人の目を見ない子、叩く子や仮病を使う子たちの悲しい実情に気づき、一緒に遊んでいるのがつらくなってきた。
教育の行き届いていない貧しい後進国や内戦中の国とは事情が異なる。モスクワのこういった子どもたちの多くは、親の身勝手さにより、このような境遇に陥っている。性教育だけで解決のつく問題ではないと思うが、それも第一歩だと思う。また、養育放棄を気軽に考えすぎている親のモラルの向上が最も望まれるのは間違いのない事実だ。
施設の看板 「ДОМ РЕБЕНКА но.12 ФИЛИАЛ(ドーム・リビョンカ no.12 フィリアル)」(子どもの家 no.12 別館)と書かれている
この施設の外観(門から見たところ)
施設の敷地のはずれ。私が一緒で保母さんが大目に見てくれることを承知の上で、ひとりが敷地の境界に向かって走り出すと、他の子も便乗。しばらく一緒に隣のアパートを見ながらおしゃべりをしてから、プレイロットに戻った。
カラフルな遊具の並ぶプレイロット。(IWCからの寄付金により設営されたもの)
館内唯一のテレビもあるホール。ここで様々な会を催すらしい。このときは、楽しみにしているアニメが放映される時間で、希望者(ほとんどだが)が集まっていた。
4-5歳児1グループのプレイゾーンの約半分。玩具や遊具のほとんどは、IWCを介して外国人から寄付されたもので、私たちのようなボランティアやコーディネータが持ち込む。
モスクワでのチャリティ活動
先日、大学でロシア語を専攻し、新卒時代をロシア専門商社で過ごし、将来、ロシアに住んでみたいとも考えているディープなロシアファンの方とお話しすることがあった。話の流れから私にボランティア経験があることを知った彼女は、その話を詳しく聞きたいと言ってくださり、少し話してみると、もっともっと知りたい、と言いつつ、とても熱心に聞いてくださった。
ロシアネタもそろそろ尽きてきた今日この頃。ちょくちょくお邪魔する「時には、淑女のように。 」で、shibakoさんが時々ボランティア体験記を掲載されているので、私も書いてみようかなぁっという気持ちは以前からぼんやりとあった。そこで、この方の反応を見て、「あ、こんなに興味を持ってくれる人もいるんだ」とちょっぴり嬉しくなったのを機に、モスクワで携わっていた活動についても少しずつ紹介させていただくことにした。猫ブログで取り扱うには、ちょっと重た目の話もあるので、興味のない方はスキップしていただいて、ムルにゃんの毎日のみをお楽しみいただければ、と思う。
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私がチャリティ活動を始めたきっかけは、とても単純だった。
…手先がとんでもなく不器用なのだ!(-。-;)
モスクワの治安はあまりよろしくないので、ご主人の赴任についてきた奥さん方は母国単位またはInternational Women's Club(以下、IWC)という英語を共通語とした外国人女性の会を通じて、様々な活動を企画しては、誰かの家に定期的に集まって過ごすのが一般的だった。私が2年半にわたりロシア語会話を一緒に勉強したグループとも、このIWCで知り合った。
家でできる活動と言えば、
手芸
。手先の器用な方にとっては、マトリョーシカ・ペインティングにロシア風トールペイント、ロシア刺繍、ビーズ刺繍に水彩画、と、選択肢は豊富、おまけに先生は、国宝級の方が登場することも珍しくない。そして材料費もレッスン料もかなり安価、と、天国のような条件が揃っていた。けれども、小学校ですでに自分の手芸能力に見切りをつけ、高校入学と同時に美術が選択性になることを大喜びした、とんでもなく手先が不器用な私は、9月になって、IWCのサークル活動勧誘会に行っても、まだやりたいことを何も見つけることができなかった。
この会にご一緒したモスクワ生活の先輩が、私がロシア語会話以外どの活動にも登録しなかったことを知り、心配してくださった。ビザの関係上仕事はできない、夫の勤務先では配偶者が仕事のサポートをすることを前提としていたため語学学校への入学も禁止されている、子どもの世話はない、それではあまりにも退屈でしょうと。そして、こうアドバイスしてくださったのだ。「3年間、ずっと家にいるなんて、もったいないじゃない。せっかく英語が話せるんだったら、IWCで習い事をするのもいいけど、IWCで働くってのはどう?」
ということで、さっそく持ち帰った会報を隅々まで眺める。と、チャリティグループというのがあり、広くボランティアを募集しているとの広告が目に入る。IWCの組織全体の役員の募集に関しては、何だか、下々の一般庶民がしゃしゃり出ては…、とはばかられたのだが、一ボランティアとしてひっそりと活動するのならお手軽で気楽だ。その場で掲載されていた代表者に電話をし、翌週予定されていた総会への出席を申し込む。
そして、総会。会場である英国大使公邸に到着。限りなく場違いな豪華で上品な建物。当時、英語を話す友人はいなかったので、ひとりで出かけたので、よけい不安が募る。だが、同じマンションに住む他国籍の方や連れのいない他のニューカマーが次々とやさしく声をかけてくださり、不安な気持ちが少しずつほぐれていく。総会が始まるまでには、やっぱ、ヒマな時間をボランティアに使おう、と思い立って、寒い中わざわざ出かけてくるような人たちだから、おつきあいして気持ちのよさそうな人が多そうだな、と早くもこのグループが居心地よくなっていた。
総会では、現在のモスクワの現状、それに対して、私たち外国人に何ができてどんなプロジェクトが進んでいるのか、というプレゼンテーションが、各プロジェクトの代表者から行われた。…目からうろこだった。
モスクワに到着してから約半年、外国人マンションに住み、車で移動していた私に、外部で繰り広げられる普通のモスクワ市民の日常はまったくと言っていいほど伝わっていなかった。外界は危なくて怖いところ、○○へは行ってはダメ、△△へは必ず複数で行くこと。耳に入ってくる情報はその程度のもので、その「外界」には、生身の一般人が生活しているという実感はあまりなかった。
ところが、そこに集まった人たちの大半は同じ外国人でありながら、その生身のロシア人たちと対峙し、政府が対応できていないロシアが抱える問題について、自分たちに何ができるのかを真剣に考え、積極的に単独でまたは各種NPOや宗教団体と協力して真剣に取り組んでいる。その範囲は、寄付品集めや孤児院の慰問、スープキッチンから、拘置所に入れられた未成年者への職業訓練や医師の派遣、独居老人の定期的訪問にまで及ぶ。
しかも。一般ボランティアは週に一回程度、楽しみながら気軽に参加できるよう、執行部がシステマティックに活動を管理運営しているため、誰もが無理をすることなく、自分のできる範囲のことをして、そしてちょっぴり誰かの役に立つことができるようになっていた。その体制の完成度は日本の(私が知っている程度の)企業とは比べ物にならない。もしかしたら、若い頃、ジョブ・ローテーションとか言って様々な部署を経験したのは、この日のためだったのかも、なぁんて思わないこともなかった。
プレゼンテーション中にわかったことだが、日本人女性で長く活動に携わっている方がいらっしゃった。お話ししてみると、とっても気さくでよい方だった。(しかも、国籍不明なまでに英語が堪能だった。) とりあえず、この方が活動されている寄付品の仕分け事務所と乳児院の慰問に参加することにする。(この方は大変な猫好きで当時も5匹の猫と暮らしてらっしゃった。以来、彼女がモスクワを去るまで、ムルカ関連とチャリティ関連、両方で深くお世話になることになる。)
こうして、モスクワでのチャリティ活動参加が始まった。チャリティグループというものがあることを知ってから、実際に活動に参加し始めるまで10日間。「思い立ったが、吉日」的行動は、若い頃から変わっていない。
















