アフリカ・コレクション in ペテルブルク
ペテルブルクで最も伝統ある考古学博物館「クンストカメラ 」で、1月15日、常設アフリカ展がリニューアル・オープンした、と、ここで働く友人が知らせてくれた。
同博物館は、この常設アフリカ展のリニューアルの準備に5年の歳月をかけており、この日のグランド・オープンを迎えた。この展示では、アフリカ全土から集めた各地固有の品々約1500点を展示しており、これは同博物館が所有するアフリカ関連コレクションの9割にあたる。このリニューアル・オープンに合わせ、現在、写真展 も併設している。あいにく英語サイトの英語が未完成ですが、ロシア語版で写真を見ているだけでも楽しいですよ。→★
オープン記念イベントには、アフリカ人学生会から招かれたアフリカ人ミュージシャンたちが、民族楽器の演奏やそれにあわせた歌や踊りなどを披露、同博物館のマネージャたちも皆、アフリカ各地の民族衣装をまとい、このリニューアルを祝ったとのこと。友人が来た衣装は、ロシアの民族衣装に似ていたという。
関西に住んでいるので、日本の古いものはかなり見て歩いたが、正直言って、他の国から来る展示を見に行ったことはあまりなかった。同様に、モスクワで生活するようになっても、最初の頃は、「モスクワに住んでいるからできるだけロシアのものを見て帰ろう」という気持ちが強かった。が、そのうち、モスクワは、旧ソ連時代からの首都であり、そこには、ロシア関連だけではなく様々な国や分野の貴重な資料が多数展示されていることに気づく。古都ペテルブルクも同様だと思う。
短期間の観光で訪れる場合は、もちろん、ロシアものを観て歩くので時間的に精一杯だと思う。が、ロシアに住んでいる場合、モスクワとペテルブルクに集中的に保管、展示されている様々な国の文化遺産や様々な分野の資料を見て歩くのも、駐在・留学生活の有意義な過ごし方だと思う。(大きな博物館なら、たいてい、英語表記があるのでガイドなしでもOK。)
まりあびいき、オジサンびいき
まりあとオジサンが、アツアツだ。
何しろムルカは人間に抱かれたりしなければ、決して擦り寄っても来ない猫だ。(私にですら、いまだかつてスリスリをしたことはない。)それなのに、まりあちゃんは初日からスリスリ、呼べば呼んだ回数だけお返事をする人懐っこい猫だ。メロメロにならないわけはない。
毎晩、家に帰ってくると、私が食事を温めている間、まずイチャイチャ、食べてテレビを観て一通り休息すると、いつのまにか、また、まりあ部屋に姿を消す。何よりも驚いているのは、まりあのトイレの世話まで始めたことだ!(オジサンは今まで、ムルカのトイレ関係の雑用はただの一度もしたことがない。)
今のところ、完全に夜行性を維持しているまりあは、明け方誰かがトイレに行ったり、コトリとでも音を立て起きている気配を感じさせようものなら甘えて鳴き始める。夜の間にゴハンは空っぽになっているし、う☆ちをしていることも多いから、ゴハンをもらってう☆ちの処分をして欲しいのだ。オジサンはそれを無視できない。ムルカには、「しつけだから」と言って、朝イチに欲しがっていたゴハンの時間を少しずつ遅らせ、今では人間の後まで待つようになっているというのに、まりあが鳴きだすといそいそと起き出すのだからあきれたものだ。う☆ちの処分も嬉しそうにしている。
昨日の朝、「そろそろ慣れてきた頃だから、しつけも考えなくては」と制したら、今朝は6時30分、私たちの目覚ましが鳴る時間まで待って、「もういいよね?」と嬉しそうに起き出して行った。
ムルカにゃんのお友だちとして我が家にやってきたまりあだが、今のところ最も熱烈に歓迎しているのはオジサンのようだ。
1日会いたかったよぉぉっ、まりあぁぁ![]()
あたしもニャ~![]()
まりあにさっそく芸を仕込んだんだ。しっぽの付け根をぽんって押すと、しっぽ立てるんだよ。ムルカは立てないよ。まりあちゃんとオジサンだけの芸だもん、ねぇぇ![]()
にゃっ![]()
なんか、うまくオジサンにさりげなく取り入ってない、まりあにゃん?
しぃぃぃっ、いいにゃ、いいにゃ・・・。
火力発電所
パソコンである作業をしていて行き詰ったので、久しぶりにモスクワの写真ファイルをパチパチクリックしていて見つけた1枚だ。
この写真は、モスクワ市の外周を走る自動車専用環状線(通称:MKAD、ロシア語で「モスクワ環状自動車道路」の略)から撮影した火力発電所を撮影したものだ。
何箇所あるのか忘れてしまったが、MKADを一周する間に、この光景には何度もお目にかかる。日本人にとっては、市街地すぐそばにこのような大規模な火力発電所があるだけでも珍しいことなのに、それが何箇所もあるから余計驚いてしまう。私は、モスクワに行った当初、「ロシア=危険な国」という先入観に満ち満ちていたから、この光景を初めて目にしたときは、火力発電所とも知らず、市内にまでこのような怪しげな施設があるのか、とますます恐れをなしてしまったことを覚えている。
環状線の内側、モスクワ市内には、ソ連時代に建設された画一的デザインの集合住宅が多数ある。ただでさえ極度の方向音痴なのに、最初の頃は、道路標識も瞬時に読めないから、私はしばしば自分がどこにいるのかわからなくなったものだ。
「ここ、知ってる、前来たことある○○の近くだよ。あと5分も行けば△△じゃない?」
「何、ゆうとんねん、○○とは正反対の方向に向かっとんのやでぇ!!」
助手席に地図を持って座っていた私は、しばしば、ただの「地図ホルダー」と化していて、夫に文句を言われたものだ。だから、こんなに特徴的な施設を見つけると、自分のいる場所がわかったように錯覚し、一瞬とても喜んだものだ。
「ここ♪知ってる~!ゼッタイに知ってる~♪」
でも、市内の東西まるで反対の方向にいた、ということはよくあり、しばしば夫に馬鹿にされた。
救われるのは、同じような勘違いをしたのは、私だけではない、ということだ。何人かの日本人家族の車の中で、火力発電所を目印にしたばっかりに生じた勘違いで、同じようないさかい(?)が起きたという話を聞いた。
でも、こんな特徴的かつ大きな施設が、市内に何箇所も、しかも、環状線沿いにあるなんて、思いませんよねぇ??
大物? それとも天然??
今日は天気がよかったので、午前中いっぱいムルカを外に出していた。まりあ部屋もベランダ側の窓を少し開け、外の空気が入るようにしておいたので、まりあも午前中は窓際で気持ちよさそうに過ごす。何度様子を見に上がっても、窓際で伸びをしたり、ウロウロしたりしていた。
そしてお昼過ぎ。
私がまりあ部屋から出ようと扉を開けると、出たところにムルカが黙って座っていた。
まりあがうちに来て、今日で一週間になる。まりあの体調はすっかり回復し、病院は電話だけで済まそうと考えていたところだったので、思い切って、そのまま「お見合い」させてみた。
るんるるん♪♪今日はあったかいにゃーん♪♪
だ、誰にゃ・・・
だから、誰にゃっ?
あ、ムルカ、これ、まりあ。まりあにゃん、こっちは、ムルカ。
ムルカが恐る恐る部屋に一歩踏み込むと・・・。
あ、あの・・・怪しいモノじゃないにゃ。
とたんに窓際のカーテンの向こうに逃げ込んだまりあ。
まりあちゃん、大物なのかしら?それともただの天然?┐( ̄ヘ ̄)┌
とりあえず、このまま、ワイルドなことにならないよう、ムルカを誘って一緒に下に降りる。その後のムルカには少々手を焼いた。
ご対面のときはプライドがあってか無言だったのだが、一緒にリビングに降りたとたん、動揺を隠せなくなり、鳴き叫びながら、あたりを走り回ったのだ。
・・・とっても意外なリアクションだ。
何とか落ち着かせようと、今日はぽかぽか陽気でまったく必要なかったのに、大サービスで床暖房を入れてやる。それから、私たちのテーマアルバム、東儀秀樹さんの「Togism 2001」をかけ、くつろげる雰囲気を作ってやっと寝てくれた。(ムルカがうちに来るのとほぼ同じ頃友だちに借りたアルバムで、当時、お昼寝のとき、よく聴いていた。)
- 東儀秀樹
- TOGISM 2001
30分後には、こんな寝顔になっていたので、たいしたショックではなかったのかもしれない。
おふとん探検その後
ほんの2週間ほど前、おふとんのぬくもりを初体験したムルカ(→★ )、その後も1日に1,2回は必ずおふとんに近づいて試してみようとするのだが、なかなかこの間のように中にもぐることはない。ムルカは本当に用心深い猫だ。
つい先ほど、ソファの上に置きっぱなしになっていたおふとんに、またまた挑戦しようとしていたのを見つけたので、そっと一部分をめくってやったら、ゆっくりと中に入っていった。まわりには私たちもいるし、テレビの音も響いているので、寝室で挑戦するよりはリラックスできるようだ。
ところで、このおふとん。
なぜ、こんなところにあるのか?
そう。まりあちゃんが来てから1週間、ほぼ毎日、私はここで寝泊りしている。見るからに表情から自信の消えたムルカを安心させるためだ。そういう努力の甲斐もあってか、ムルカにも少しずつ余裕が出てきたように思う。今日の午後には、しばらく私を挟んで、扉の中側と外側で「お見合い」をしていた。もちろん、どちらもうーっとかシャーなんて言わない。静かに、でも、興味深げにじーっと見つめあっていた。
ムルカは、外見から性別、性格、月齢まで好みを告げて3つの里親募集クラブを介して見つけてもらった猫。生後2ヶ月で我が家にやってきて、私の好み通りにしつけられた猫だ。一方、まりあは、生まれてからこれまで、親猫と引き離されたり、ノラ猫になったり、シェルターに保護されたり、と、実に短期間で豊富な経験をしてきた猫。
まりあが来てからずっと、できるだけ平等に扱うことを心がけてきたが、それは間違っているのかもしれないという気がしてきた。まりあは、まったく私の知らない世界を持ち、すでにパーソナリティの完成した猫だ。無理にムルカと同様に扱うということは、おとなになってから我が家の一員となったまりあに対して、色々なものを押し付けることになる。もちろん一緒に暮らすルールはこれから厳しくしつけていきたいと思う。が、付き合い方としては、まりあらしさを尊重し、ムルカのお友だちになってもらうのと同様、私ともお友だちになってもらうっていう接し方が、お互いに気楽でいいんじゃないかなっと。
・・・という発想自体、かなりの猫馬鹿かしら???














