正科生として

コロナ禍の2021年4月に

入学した

大手前大学通信課程

現代社会学部

現代社会学科


上海では隔離生活の中で

この通信課程での学びがあって

どんなに救われた事か

やはりいくつになっても

新しい事を学べる喜びは

あるのだなと実感 


単位修得も目標を持てて

楽しかった記憶しかない


上海で多くの中国人から 

日本語を教えてほしい

そう言われた事がきっかけだった 


そして第二の人生として

日本語教師を目指すことになった


日本語教員養成課程

学習者と関わる仕事ゆえ

併せて

認定心理士(民間資格)

資格を取得し

学んできた


そして今月の

日本語教育実習で

一段落


実習を終えて、

開いたスマホに

母危篤の連絡


母が倒れたのは

私の教育実習最終日 


全ての授業を終えるのを

待つかのように・・・


母に付き添う妹からは

今日はもう会えないから 

明日15時以降に来るよう言われ


日曜夜 

こんなに集中したことは無い

と言うくらいの集中力で🧑‍💻


日本語教育実習記錄

観察記錄

反省&感想文 

レポート

全て整えた

病院行ったら

そんな時間無いだろうし・・・


翌朝、宇都宮へ向かい

駅まで迎えに来てくれた

妹の車で母の病院へ


すると看護師長より

説明があり、

午前中は信じられない事に

「名前を呼ぶと返事をし

両手も挙げることが出来て

お腹が空いた、と言っていた」

というのだ


私はクモ膜下出血と聞いて

その様子に驚いた


しかし午後の面会時間に

訪れた私達が見た母は

ひたすら眠り続けていた


50年前、やはり亡き祖母が

同じクモ膜下出血で倒れ

大いびきをかいてその

1週間後に亡くなった

当時私も数日、病院で付き添った

事を覚えてる

なんの因果か

母も同じ疾患で倒れた


だから今回、母が同じ疾患で

倒れたと聞いて

もう話せないものと諦めていた

・・・しかし

看護師長から

「奇跡的に回復の兆しがあります」

と言われ、本当に驚いた



しかし

その後の医師からの説明で


一命はとりとめたものの

脳全体に出血している状況があり

予断を許さない状況だとのこと


従って

そんな母の面会時間に

制限はなく

昨日東京に戻り

今朝再度駆けつけた


そうして

私は1日

母の枕元で

母の温かくか細い手を

握っている・・・




今日は覚醒し

「どうしたの?と聞く」

「お母ちゃんはね

施設のベッドに倒れて

病院に来たんだよ」


母は驚いたように

「へぇ」

と呟くとまた目を閉じた

きっと夢の中を

彷徨っているのだろう



日曜の教育実習では

5日間、共に学んだ学友に対し

別れの言葉もそこそこに
教室を出てきた私

皆さん、先生を囲んで
和気あいあいと
されている中で
水を差すような話は
できませんから 

静かに 
「お先に失礼します」
と教室を後にした

今、母のいる病室で
静かに

日曜に最終日となった
日本語教育実習について
振り返る

私はI先生のクラス
クラスのメンバーは9名
海外から参加している
学友もいた

「みんなの日本語初級本冊」
25課目の中で1人2つの課 
(10課以内で1つと11〜25課まで1つ)
から選択し
45分の教案を作成

学習者は日本語学校に通っている 
在校生、あるいは卒業生の外国人の学習者さん6名(中国人・ネパール人・ウズベキスタン人・ベトナム人)を
前にして、授業を行った

今年から国家資格となった
日本語教員
教育実習もそれに伴い
昨年以上に厳しい
内容となった模様

最初は1人で45分授業を組み立て
それを
2つもするなんて
なんとハードルの
高いことかと案じていた

しかし結論として
本当に素晴らしい体験が
出来たと思った



それは授業を終えると
学習者の方
そして同じ実習生の皆さん
最後に先生からの
詳細にわたるフィードバックの
時間がたっぷりあった

9名✕2課=18課分の
フィードバック
この時間こそが最高の
財産になると思えた

自分だけではなく
全員のフィードバック、
様々な角度からの
アドバイスが聞けて
大変勉強になった


将来、
日本語学校に就職しても
なかなか他の方の授業を
見学できる機会は
少ないと思う

そういう意味でも
貴重な体験ができた

これは皆さんに言えることだが
最初発表した教案より
2回目の教案が
かなりブラッシュアップされていて
その完成度の高さに感動を覚えた

今では45分授業を
2回出来た事に
感謝の気持ちで一杯


わずか5日間という
短い実習日程だったけど
クラスメートの皆さんとは
休み時間や昼休みにお互い
相談しあい
とても良い関係となった

最終日、今後日本語教師に携わる中で、相談しあいましょうねと、 
グループラインも作った

先生も本当に素晴らしい先生で
クラスでは人気者となり
帰り際に先生を囲んで
集合写真も撮った


集中治療室から
個室へ
今日移動した母

その際
退院計画書等にサインを
求められた
ほぼ昏睡状態で一体何処へ?

このような状態で
退院計画書??
ちょっと心配になってきた私