農家に嫁いだ母は

第1子妊娠臨月にもかかわらず

山に柴刈りへ駆り出された





当時五右衛門風呂や

竈門の焚き付けに使う

柴刈りに行かされたのだ






お腹ポンポコリンの母は

山道で

足元が見えずお腹を打って

悲しい事に赤ん坊は死んだ


三日三晩母は苦しみながら

赤ちゃんを死産した

私の姉にあたる赤ちゃん

何とも可愛そうだ

 

それにしても死んだ

赤ちゃんをお腹を切開せずに

出産させるとは

考えられない修羅場だ

その時の母の辛さを考えると

想像を絶する



そして母が50代の時だった


それまで80歳の高齢の

耳鼻科の医師に

舌先にクリームを塗り

続けられても

治らない舌先の痺れ


流石の母も

どうしたものかと

案じていたのだろう


偶然TVで見た

ジェームス三木の脳腫瘍の話から

自身も同じ症状があると思い

駆けつけた大きな

耳鼻咽喉科でレントゲンを

撮ると直ぐに大きな

脳腫瘍が発見された




そこから紹介されたのが

癌センター

母はもう死ぬんだと憔悴しきった

私の都内の仕事先に連絡が入り

ギャンブラーで頼りない

父に任せられないと

長女である私に連絡が来た☎


私は職場に休暇を取り

母に付き添った


栃木県癌センターに

向かった母は

もう生きては帰れないと

思っていたようだ




もう死ぬ・・・

本人も周りも

覚悟していた


しかし

癌センターの脳外科の

ドクターいわく

自分には出来ない困難な手術

なので紹介状を書いてくださった

幸運なことにそのドクターは

当時、脳外科協会会長であった

東大の

高倉教授だった

柔和な表情に癒された




そしてなんと

入院1週間後には

手術をしていただけた

有り難かった

このときほど

紹介状の威力を

感じたことはなかった


しかし高倉教授からは

右耳の神経にまとわりつく腫瘍で

再発を防ぐには

全ての腫瘍を取り除く必要があり

右耳の聴覚は失われ

右顔面の麻痺が発生する等

(目が閉じない、口元が痺れて閉じられない後遺症が残る)

そのことを確認された


それは当然

再発は困るので

後遺症を覚悟するしか

選択肢はなかった


その上で執刀していただき


この30年以上

教授の言う通り再発はせず

言われた通りの後遺症だけが残った





当時東大の入院病棟は

とても古く

付き添いはベッドの横に

ゴザを敷き

布団を敷いて付き添った


手術後10日で

体重は45kgから35kgに

痩せてしまった母

当時28歳の私は

母に花嫁姿も見せられず

・・・残念に思っていた


そんな母が東大に入院中

毎日、交際中の

主人が仕事帰りに

寄ってくれた


そんな優しさが

身にしみて

結局それがきっかけで

結婚することになった


そして見せられないと

覚悟していた

花嫁姿も見せられた




高倉教授のお陰で 

あれから30年以上

母は私と妹の結婚式にも参加し

妹家族との同居で

可愛い孫たちとも暮らせた


ただし

これは脳外科手術を

受けた人にしかわからない

痛みらしいけど


母は腫瘍を取った部位が凹んでいて

そこがずーっと痛むと言い続けてきた

いつもハチマキをして

その痛みに耐えてきた母


そして10年前には

1月の寒い朝 

紙くずを裏庭で

燃やしている時に

あろうことか

ズボンに引火してしまい


下半身に8割の火傷を負い

ドクターヘリで運ばれた





当時私は

ホテルニューオータニでの

披露宴開演直前

妹からの報せで


「大変!大変!

お母ちゃんが、

大やけどしちゃって死んじゃう」





でも今、行くわけにいかない

「これから披露宴始まるから

無事にお開きしたら行くね」

とメールを返した


昨日の事のようだ・・・

獨協医科大学に運ばれた母を

夕刻訪ねると

顔がパンパンに腫れて

もう今度こそ命は

危ないと覚悟した


でもまたしても

母は再起した

私は東武線の定期券を購入し

毎日の様に

「おもちゃのまち」駅で下車し

母のもとに通った




ケロイド部位はかなり

回復したけど

やはり曲げ伸ばしは困難をきして

家庭のお風呂には入れないし

日常生活が困難となり

それがきっかけで

有料老人施設への入所となった



母は頭、胸、背中

あらゆる健常な部位の

皮膚を剥ぎ取り

火傷した下半身に

皮膚移植手術を3度受けた



更に股関節手術では

手術失敗により

両足の長さが

何と5センチも違ってしまった


いつも片足だけかかとが

五センチ高いリハビリ靴を

履いていた


そして28日、日曜日

「クモ膜下出血で緊急入院」

との連絡☎


どうか、どうかこれ以上

お母ちゃんに痛い思いを

させないでほしい


そう願うばかりだ


脳腫瘍の後遺症で
口腔内が乾いて仕方無い
これまでずっと使い続けてきた
「人工唾液サリベート」

脳腫瘍の後遺症で右瞼が
閉じないから乾く
目薬も施設から持参しよう
看護師長さんにも了解を取った

そして今回倒れて
これまで無かった
左顎から頬にかけて
突然大きなシミが現れた
なぜだろう?




本当に母はこれまで

痛みとの闘いばかりの人生だった


この苦しみをなんとかして

あげたくても何も出来ない

ただ見守ることしか出来ない

私達