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生活スタイルを変えること。

最近、思う事は

世の中のコマーシャルもそうであるが

色々仕掛けられているんじゃないかと思う。


何が正しくて何が正しくないのか

何が仕込みありの物なのかのラインがほとんど

なくなっている。



某商店街の朝市で、「マグロ1000円!」「おにいさん、マグロ1000円」

このフレーズにやられた。


妙に耳に残るのだ。

買いたくもないのに、ついつい「おいくらですか?」と聞いていしまう。


歯切れの良い言葉で、心の隙間にすっと入られてしまったら、、、、

それでいて、その流れに乗っかる事、

流れに身を任せることはは本当に良いことなのか

いや、ちょっと待てよ。と一旦冷静になって

勇気を持って問い直す事ができるだろうか。


その某商店街のおやじには

「マグロ1000円」「これは、お買い得!」「絶対損はない!」


うーん悩んじゃうなー。

ちょっとまた考え直して来ます。

これが、精一杯だった。

確かに、異論を唱える事は勇気のいることだ。

「えっつ?買わんの?」と

冷やかな目で見られる可能性だってあるからだ。

空気を読むことが本当に良いことなのだろうか。


昔、教室で、一人ちょっと先生、そこの部分違うんじゃないの?

と指摘をする同級生を見た時、

こいつは勇気あるなと思った。先生は、すまんすまんと

間違いを認めた。

数学の授業だったが、生徒は先生が絶対に

正しいと思っている。

疑問も持たない。当然大丈夫だろうなんて勝手に最初から

思いこんでいる。


けれど、きちんと計算して

ちょっと待てよ。どう考えてもおかしいのではないか?と

ブレーキを踏む奴が、本当の勇気を持てる人間だと僕は思う。


彼は、2年後浪人をしながら

某国立難関大学を突破した。


当然のことながら、商品に置き換えても同じ値段だったら

色々細かい部分まで調べてみるでしょう。


検証して、実際にこうなったらこうなるという部分まで

落とし込みがなされず、

雰囲気や、空気感で世の中が動くとしたら

それは、ちょっとそれって良いのかなって思ってみたりもする。



日本本来のライフスタイルがボロボロになっている今、

もちろん価値基準さえも持てなくなっている今、

原点回帰が必要なのではないかと思う。

これは、おじいちゃんとか、おばあちゃんの知恵袋みたいなものだが、


①一つのものを大切に使うこと。(愛着を持つ。)

モノを大切に使う習慣を身につける。


②季節感を取り戻し、その季節に応じたライフスタイルにシフトする事。

夏には夏の生活に心がけること。


③物を買う時には、慎重に色々と比較をしながら最適な物を

買うこと。ただの一面だけを見ず、多面的に見ること。

機能性を重視したものや、外のパッケージにこだわったものなど

様々だからだ。


④情報をうのみにしないこと。情報共有すること。


⑤流行や、ブームに乗せられず、自分自身の価値基準に応じて

動くこと等。自分だったら、こう思うという事を、自分なりに考えてみたりすること。



色々あると思うが、

商品に置き換えて考えてみたら単純明快だ。


細かい部分まで比較して考えてみることが

最適解を導き出す道しるべになる可能性がある。


今、思っている事は誰かから思わされているかもしれないし

自分から、自発的にわき上がってきた物なのか?の線引きも

難しい。


明治維新の時、

実は日本国内での乱世が

背景に外国の外圧があり、攘夷派と、開国派等(厳密に言うと、

この2軸で動いたのではないと思うが。)


日本国内が

大いに揺れていたが、どちらにも、外国の影響下にあったのではないかと

加持将一氏の龍馬関連の書籍の中で書かれていた。


また細かい部分で主義思想も

わかれ、どうすれば良いのかと迷いに迷い

ベストなアンサーがないまま、とにかく守らないと!という想いで

争いをしてしまったのではないかと

思えてならない。


しかし、薩長土肥などを中心とした勢力を基盤として

日本がキャスティングボートを

つかみかけていたものの、諸外国の外圧というものがかなり

占める割合が大きく

いわば代理戦争であったと気付いた坂本竜馬は

和平で日本を治めようとするが、近江やで中岡慎太郎と共に、

命を落とした。日本人が本来は協力するはずの

日本人同士で争ってしまい

あそこで、相互理解、ガッチリ握手して話し合いで解決する事ができたら

また、歴史は変わっていたかもしれないし

龍馬も生き延びていたかもしれない。

これもまた話し始めたら、きりがないのだ。


その事も踏まえて考えると、

争う事ではなにも生まれないし

誰も得をしない。


会社でも、苦言を呈して

きちんと、言うべきことを言う事ができれば

大きく経営改善ができたりもする。


亀山社中は、商社だったので

人と人をつなぐ役目も果たしていたのだろうと思う。

長崎の丸山で夜な夜な、飲みながら

遊びながら、夜明けについて語らったことだろう。


今のサッカーの日本代表を応援するような気持で

自分や、自分の周りの大事な人を応援し

自分自身をも自分でノセていくことが

できれば、世の中はがらりと変わると思う。


けれど、本当はみんな人間なんだから

人の子なんだから、人間らしい気持ちや優しさを

持っていると思う。


100年経てば、今いる人の殆どはいない。

これは事実である。


人間は二生もいきれないからこそ

面白いのだと思う。


だから、自分をあきらめてはならないし

日本をあきらめてはならない。


日本代表には頑張ってもらいたいものだ。



羅針盤。大海を抜け、太平洋へ。

先の見えない海図なき航海の途中。


相手にしてみたら相手が正しい。

こちらから見たら、こっちが正しいのである。


「双方向で違い」をきちんと認識しなければ

ならないと強く思うのである。


こちらが妥協して

譲歩するのか

互いに妥協点を探るのか。


かつての日本も同じく

非常に、いろいろ

大変だったに違いない。

通信手段も限られているので

なおさらだ。

今の様に、ネットもないのだから。



パンをくれと最初は要求してきた

次はミルクをくれという。

譲歩してきたことが

最終的に己にとって

最悪な事態を招くことだってある。


正しいことは何も

ない。こうしないといけないということもない。


最適解とか、うまくやろうとしない。

うまく儲けようとしない。

うまく仕掛けて騙そうなんて思わないこと。


ありのままでOKなことだってある。


結論を出させるのは

過去現在未来の中で


これをやったら未来は

どうなるだろうかという賭けができるかどうかだ。



21世紀まで、人間、自分たちが思わされてきたこと

とらわれてきたこと。

それは、資本主義において

お金がすべてだという事だ。

更には、記号。記号(ブランド)によって

左右されてきた。


しかし、投資銀行が潰れ

軒並みリーマンショックの余波を

受けて、大打撃を受けた。


従来の既成概念を超えた部分で

やっていかないといけない。

ビジネスモデルも軒並み崩壊した。


急速なデフレが進んだ。


食については食の安全がさかんに叫ばれている。


記号よりも

機能性や、安全を選ぶ様になってきた。

または信用だ。


幸せとは一体何か?

大学で経験マーケティングという領域を勉強したが

これがキーワードになってくるように思う。


お金で買えない物はなにか?

何か満たされない、その原因は何か?

なぜ、人は迷うのか?


日月神示でも述べられているとおり

金で固めて、金で潰す。

というワンフレーズは

江戸は穢土、エゴを捨てエコへ

シフトしないといけないと思う。


必要以上のものは買わないとか

何が正しいのか、見極めないと

いけない時代がいよいよ来たのだ。


一つの時代が終わり、

大きなうねりをなして、

ドドドーっと地鳴りを鳴らして

世の中がひっくり返り、

既成概念や思考が大きくチェンジしないといけないんじゃないかって

思ったりもする。


ひいては

良い方向へシフトする。


それぞれの夜明けに向けて。


今まで詰まってきた部分を

すべて洗い流し


一掃する。


最終遅れで走ってきたように


見えて、実は先頭を走っている。

そういう人が沢山、世の中に出てきて

埋没する事なく、しかるべき

哲学を持ち、


覚悟を決め、腹をすえ

想いを一つにまとめることができれば


間違いなく日本は大きく変わる。







喫茶店。


自分が好きな喫茶店はそう多くはない。

行くところも、特に決まってはいない。


けれど、

喫茶店に行くと、何時間も書を読みながら

色々な事を考える。


煙草の匂いも悪くはない。

気難しそうな店員がいても、

気にしない。


何回も通うと、自然と仲良くなる。


落ち着いた雰囲気で

時間がたつのも忘れて。


じっくり考え抜くと、ふと

良い案が浮かんだりする。


それをメモして、

ノートに書き込む。


別にどうこう使うわけでもなく

人に披露するわけでもない。


ただ、使うときに使うことが

あれば良いなくらいだ。


司馬先生の本の中で

「人の命なんざ、使う時に使わないと意味がない」という

フレーズがあったが、


これは、どう生きるかという

事を常に問い直す良いフレーズだと思う。


自分にとってのマイルストーンは

いったい何であろうか?

という部分について

今一度、

じっくり考えていこうと思う。