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2011年。年が明けた。

今年は、おそらく

「なんでもあり」の年になるだろう。


企業モラルの崩壊、

金融崩壊、さらには、今までのスキームが崩壊し

行き詰まってくるように思う。


しかし、紳士的かつ良識を持った日本人として

きちんと世の中を見ていきたいと思う。


日本の夜明け前夜。


昨年末に会津若松を訪ねた

雪をかきわけて、白虎隊の墓へ参拝した。


おそらく、倒幕に対してこの地は

前のめりになって阻止しようとしただろう。


正義とは何か?誠とは何か?

タクシーの運転手さんが、

なぜここ会津に、正義があるのかを

僕に教えてくれた。


大雪が降る中で、

確かに、ここには正義があったと確信をした。


お互いが日本を守らなければならない。

そういう利害が激突した場所でもある。


日本人同士がお互いが何かを守ろうとした。

お互いが、どうしてもゆずれなかった。


この地で散っていった志士たちへ、

雪をかきわけて、会いにいった。


雪をかきわけて

その場所へ。


大雪にて、

すべての交通機関が全部止まったのだ。


会津の志士たちが、

篭城した場所へ翌日、

雪をかきわけて行った。


交通機関が麻痺しているため、

駅から、約30分ぐらいかけて

行くことになった。


雪が半端なく、

何度も転びそうになった。


途中までしか行けなかったが、

一日、すべての交通機関が止まり、

まさに、自分もそこに留まることになった。


宿に止まり、

一日いろいろな事を考えた。


向こうからしたら、自分は正しい

こちらからしたら、自分は正しい


みんなが救われたいと思うから、

最終的にみんなが負ける仕組みの中で、


みんなが、共に痛みを分かち合い、

見えない血が流れているということを認識した上で、

ゆるやかな

「絆」を再生する必要があると痛感した。


だからこそ、

敵味方だから組まないとか、これは商売敵だから組まないとかじゃなくて

これだけグローバル化の波が押し寄せている中、

また急速に、世の中が求めるものや、嗜好が細分化する中

生き残るためには、


様々な壁を越えて、

お互いのよい部分を足し合わせて、シンクロさせ、

じゃあ、何か、おもしろいことやりましょうかね。

という空気感にならなければならないように思う。





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@会津にて



誰とたたかっているのか。

これまでの社会は


競合とか、ライバルとか、

派閥とか、勝ち続けなければならないとか


そういったものにとらわれて、

みんなが我武者羅に走ってきた。


しかし、

毎年、前年の成績を

越えていかなければならないという

概念は、この場に及んで制度疲労を起こしているのではないかと思う。


人生山あり谷ありだから、

そううまくいくとは限らないと思う。


正直、みんなが実態の無い

幸せの形を追い求めて

ずっと我慢してきたと思う。


いつか、誰かが良い仕組みを作ってくれる

誰かが世の中を変えてくれる

その、いつかは来るはずが無いいつかで、

自分たちは、ずっと「変わるだろう」と思い込まされてきた。


期待を裏切られる度に

今度こそはと思い、

また期待を裏切られる。


正直、

信じる力をなくしているように思う。


おそらく、

自分達が、世の中に対して

これは、おかしいのではいか?と勇気を持って問う

あるいは、

正々堂々と正論を言うことも必要だと思う。


そして、誰かに期待するのではなく

その「誰か」に自分こそはなってやろうじゃあないか!という

人がドンドン出てきて、

喧々諤々、議論すれば面白いことになると僕は思う。


世の中の価値観を大きく変えないと

自分たちは、真の幸せをつかむ事はできないように思う。


出世したいとか

お金をもっと貰いたいとか

世間体とか。

ブランドとか。


おそらく、みんな、そういった「記号」や「価値基準」に

とらわれ、既成概念や、そして今までの社会通念や、

そういったものと闘っているのだと思う。

疑問を持ちながらも、、、、。


更に一歩奥を言えば、

一生懸命尽くしてきたのに

あっさり、じゃあ違う会社にこれ依頼するから。

みたいな感じのせちがない世の中で、


いったい、誰と戦っているのだろうかと

思う人もたくさんいるだろうと思う。


みんなが出世したいと思うから

稼ぎたいと思うから、

更には、より幸せになりたいと思うから、

軋轢ができて、ポストが足りなくなって

最終的に、大きな会社が、細かく

分社されたり、無数のグループ会社ができたり。


そういう世の中になっていることは、やはり

世の中の仕組みが制度疲労してきたと思う。


それは、みんなが自分だけは助かりたいと思わせてしまっている

のだから、最終的に、みんなが負けるようになってしまうと思う。


競争させて、

互いに潰させる社会から、


競争から、共生へ

良いアイデアがあれば、様々な壁を越えて、

コラボレーションし、ワクワクしながら

互いがクリエィティブな関係を結んでいく社会。


そういう社会になるためには、

変な壁を全部取り払う必要があると思う。


まず自分自身が着ている

鎧を外し、溶かしていかないといけない。


ノーサイドの本当の意味は、

一緒に闘ってきたから

本当に、敵味方を越えて相手を

認めるというものだ。


本当の意味で、

幸せとは何か?生きがいとは何か?


何を生活の価値として置きながら

みんなが生活をすべきなのか、

周りの人に良い影響を与える人間になるには

どうすれば良いか、そういう事を、


それぞれの立場で、

じっくり考え、ミクロの部分から、自分達も問題意識を持っていくような

世の中にする必要があると思う。


そう意識するだけも

自分の周りの人間の心を沸騰させていくことができると思う。




守るということ。

「何かを守るということ。」


大事な人、家族を守れるか。

自分自身をも守れるか。


やみくもに、先行き不透明を

憂うのではなく、

本当に、みんなの意識を今こそ変えるべき時に

来ているように思う。


あえて、リスクを取ってチャレンジすることも

ひとつあるかもしれないし、


じっと我慢する事も大事だと思う。


心をむなしくして、

自分の内なる声にじっと耳を傾け、


何を変え

何を残すのか


あるいは、


何が変わるのか

何を変えるのか

を、各々が、真面目に腰を据えて考える時期に来ていると

思う。


僕は、内なる声、

自分自身の本音と対峙し


深堀して行こうと思っている。


それは気付かないふりをして、

今まで、流してきたことだ。

しかし、今になって

自分の内なる声が大事だと痛感した。


外に求めるのではなく

自分自身との対峙が重要だなと

この秋に感じた。


秋の夜は長い。

読書が進む。