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京都に行きたくなった。

だいたい、京都に行きたくなるということは、

京都東山を訪れたいという時だ。


色々回って、

志士の、なんともいえない

想いを感じ取ったとき、


なんだか、無性に

一人で飲みたくなるのだ。


幕末にゆかりのある居酒屋に

行った時、

カウンターで、店主から色々な話を聞き

疑問が氷解することもある。


また、たまたま近くにいた

お客さんから、「まあ一杯やれや」とビールを注がれ

るのも、一人旅の大変面白い所だ。


杯を乾かし、自分も注ぐ。



幕末の志士たちは、


お互い立場は違えど、

守りたかったことがあることは確かなことだ。


なんとなくだが、

「憂いて、日本の将来、そして遠くをみつめているような」

気がするのだ。


吉田拓郎の「慕情」の歌詞が

志士への想いを代弁してくれている様な気がして

心に沁みる。





京都。訪れる場所。


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毎年、一度は訪れる場所。


京都東山の記念館、

そして、その上の坂を登った

志士が眠る場所だ。



2011年。


日本が泣いて

途方に暮れた。


まだ、目に見えない血が流れ続けている。




幕末。

もう150年以上も前のこと、


日本を軟着陸させようと、


全くの浪人志士が、

東西を奔走した。


問題の中心に対して、それぞれの立場で

勇気をもった

一石を投じた。


しくみを、全部、壊すのではなく、

「着地」させようとした。


僕は、そう感じた。



ふらっと立ち寄った、居酒屋の

店主から、


「なぜ、これ程までに活躍できたか?」

という話を聞いた。


「この人は、大局で動く人。」


地位もいらない、

名誉もかねも、いらない。


そういう人間だったからだよ。と。

所狭しと、

グッズや書籍が並べられている。


このおやじさんとは、

本当に、好きなんだなーと思って

うれしくなった。


時空を越えても、

人に影響を与え続ける人。


当時は、


「黒船」という強力な日本にとっての

シンボリックな出来事をきっかけとして、


徐々に目覚めていて、

考え一つ、志で動いた人たち。


時代は繰り返すというが、

シンボリックな出来事や、


一方方向に急激に流れつつある中、
(正々堂々と、異を唱えるのは、

本当に勇気のいることだと思う。)


龍馬さんなら、

おそらく、こういうだろう。


「みんなあ、仲良くしいや。」








地元のお祭り。

地元のお祭り。


おそらく、

遠い記憶のものだが、


確かに覚えている。


過疎化が進み

時代が何周もしても

またその神社のお祭りが再開したらしい。


世の中がデジタル化の流れにシフトしてきた

昨今、


アナログなものの

良さも随分わかり始めてきた。


神社の夏祭り

金魚すくい

おとなが、カラオケやっていた舞台。

屋台のひかり、

灯篭を灯したひかり


いつも

夏をつかもうとしても


毎回

何も残らない。


秋風が吹くと

何だが、ほっとする。


そんな夏が昨年までであったが

今年は違っている。


今年の夏は鎮魂と共にある。


世の中が、

これからどうあるべきか?


まじめに考える岐路に立たされている。


ずっと先送りにして生きたもの、

「課題」に対して、

大人たちが子供たちに大きな宿題を残さないためにも

日本の未来を取り戻すべく、アイデアをひねっていかないといけない。


10年後、20年後のビジョンを描かないといけない。


また20年後、30年後、

夏祭りを

見ることができるように。